私のChatGPT活用アイデア:授業のメンバーとして迎え入れる|近野洋平 先生(山形県公立小学校)
ユーザーからの様々なリクエストに高度で自然な回答を返すAIサービス「ChatGPT」を、教育の現場でどのように扱ったらよいのか、教室での手探りの実践が始まっています。今回は山形県の公立小学校教諭・近野洋平先生から届いた実践事例の紹介です。
実践報告/山形県高畠町立和田小学校教諭・近野洋平
ChatGPTはとても高い精度であらゆる情報を提供してくれます。しかし、たまに間違ってしまったり、こちらが思うような処理をしてくれなかったりする時もあります。そんなところにどこか「人間臭さ」のような一面も感じていました。そんな考えから生まれた「授業のメンバーの一員としてChatGPTを迎え入れる」という活用方法を紹介します。
多くの小学校では、道徳の授業では教科書の教材文を使用することが多いと思います。道徳の教科書に掲載されている物語文では、主人公の悩みや葛藤の場面が描かれることが多く、その中で「自分ならどうするか」という当事者意識を持たせていくことが重要になってきます。
私の学級では、この「悩みや葛藤の場面」にChatGPTを登場させる、という授業を行なっています。先日は第5学年の「手品師」を教材に授業を実施しました。
授業実践(小5道徳)
対象:小学5年生
内容項目:誠実に、明るい心で生活すること。A(正直、誠実)
教材名:手品師(『新・みんなのどうとく5』学研教育みらい)
子供たちには「主人公(手品師)になったつもりでお話を聞いてね」と指示して物語を読み聞かせます。手品師がマジックショーに出るべきか、子供との約束を守るべきか、判断に迷い始めたところで「教科書を閉じましょう」と指示しました。
どうして手品師は迷ってしまったのかな?
昨日出会った子供との約束を大切にしたいから
大舞台に立てるのは二度とないチャンスだから
どちらも自分にとって大切だから決められずにいる
こんなふうに迷った時、みんなならどうやって決断する?
自分で決める
家族に相談する
友達に相談する
じゃあここで、何でも答えてくれるAIさんに相談してみようか? 納得のいく答えを出してくれると思う?
答えてくれるはず!
いや、こんな悩む問題に答えられないよ
じゃあちょっと聞いてみましょうか
ということで、ChatGPTに以下のように文章を打ち込みました。
私は手品師なのですが、昨日、親を亡くした子供と出会いました。明日その子に、手品を見せる約束をしています。その子はそれをとても楽しみにしているようです。しかし、ついさっき友人から連絡があり、「明日、大劇場でマジックショーをしないか」と誘われました。これは二度とないチャンスかもしれません。でも、子供のことも気になります。私はどうしたらいいでしょう?
ChatGPTの回答です。
あなたの心情は理解できます。一方で、約束を守ることや子供の感情を考慮することも重要です。以下に、考慮すべきポイントと可能な解決策を提案します。
1. 約束を守ることの重要性: 子供があなたの手品を楽しみにしていることを考慮してください。子供たちは亡くなった親を失った悲しみの中にいるかもしれません。手品を通じて、少しでも彼らの心を明るくすることができるかもしれません。
2. チャンスを逃すリスク: 大劇場でのマジックショーのチャンスは貴重かもしれません。友人の誘いは一生に一度の機会かもしれませんが、他の機会も訪れる可能性もあります。
解決策としては、以下の選択肢が考えられます。
1. 子供との約束を優先する: 子供の期待を裏切らず、約束を守ることを選択します。手品を通じて彼らの心を癒し、彼らに笑顔を与えることができるでしょう。
2. 友人の誘いを選ぶ: 大劇場でのマジックショーのチャンスは貴重です。友人に感謝の意を伝えながら、子供には誠実に謝罪し、別の機会を提案します。子供の心情を理解してもらえるかもしれません。
最終的な選択はあなた次第ですが、子供の期待と感情を考慮し、約束を守ることが一般的には良い選択とされます。ただし、友人への誘いを逃すことによる後悔感も考慮に入れて判断してください。
おおー
本当に何でも答えてくれるんだ
感心した様子の子どもたち。しかしよく読んでみると、ChatGPTは現状を整理しただけにすぎません。「最終的な選択はあなた次第」という言葉に「何でも答えを教えてくれるわけじゃないんだ」と引っ掛かりを覚えた子もいました。
追加で質問してみたい人はいますか?
尋ねると
両方とも満足させる結果にできないのかな?
と呟いた児童がいました。
じゃあ試しにChatGPTにも聞いてみよう
ということで追加の質問を打ち込みました。
両方とも満足する結果にはできないですか?
もちろん、両方を満足させる方法もあります。以下に、そのようなアプローチを提案します。
1. 子供との約束の実現: まず、子供との約束を守る方法を考えます。子供が手品を楽しみにしているのであれば、予定通りに彼らと会って手品を披露しましょう。彼らの笑顔や喜びを目の当たりにすることは、あなたにも喜びを与えるでしょう。
2. 友人への対応: 大劇場でのマジックショーに参加するために、友人に連絡して状況を説明しましょう。予定の重複があることを謝罪し、別の機会を提案します。友人が理解してくれるならば、後日、あなたのマジックショーを友人に披露する機会を設けることもできます。
このようなアプローチにより、子供の期待を守りながらも友人の誘いにも応えることができます。ただし、友人が理解してくれるかどうかはわかりませんので、その点を考慮しながら適切なコミュニケーションを行ってください。
まあ確かにそうなんだけど、なんだかすっきりしないな。
という子もいれば、ChatGPTが言うように
正直に話せば何とかなるんじゃないか。
と考える子もいました。ChatGPTの回答がしっくりきている子、そうでもない子とそれぞれいる状態です。続いて、
自分が何かの判断で迷った時、ChatGPTに相談する?
と問いました。以下、子どもたちの考えです。
【児童の考え】
AIの意見を踏まえて自分で考えたい。
自分の意見を持った上でAIに相談したい。
AIはいつでも相談に乗ってくれるし、自分が困っている時はAIが正しいと思ったから、聞いてみたい。
困ってしまうと、ずっと決められないかもしれないから相談したい。
自分で考えると時間がかかるから相談する。
AIに聞くことで新しい解決策が見つかるかもしれない。
ほとんどの子どもたちが、「まずはAIの判断を聞いて、その上で判断したい。」「自分で考えはするけど念のためAIにも聞いておきたい。」などの考えでした。
そんな中である子が手をあげてこんな発言をしました。
僕は相談しません。自分で決めたことなら、どんな結果でも受け入れられるからです。
この発言で教室の空気が少し変わりました。「確かにな……」「相談したらそっちの考えに引っ張られそう……」といった反応が見られました。
授業後の振り返りにはAIとどのように付き合っていきたいかを考えている児童が多くみられました。何名かの振り返りを紹介します。
【児童の振り返り】
AIが全てじゃないことに気をつけて使いたいです。ぼくは最終的に自分の意見も入れて判断します。AIが全部正解じゃないし間違っている可能性もあるからです。
AIは使いたいです。自分で決めなきゃだめな悩みや誰かとの約束のときはAIを使うかもしれないけれど、最後はAIの意見を踏まえて自分で考えていきたい。そして勉強などや料理などの生活面などではAIを活用していきたい。
AIはなんでも知っているわけでもないけどでもAIは結構いいことを教えてくれるといいと思いました。
私は「Al」に聞かないほうがいいと思いました。料理のレシピなどを教えてもらうときは便利だけど「Al」も何もかもが正しいわけじゃないし、自分の人生だから、自分で決めたほうがいいと思いました。
私は、AIを本当に考えても分からない時などにAIを使いたいと思いました。それでも、最後には自分で考えるのが大切だとも思っています。理由は、分かっていてAIを使っていたら、自分の力にならないと思ったからです!
「ChatGPTが万能ではないが、利用価値がある」といったスタンスで「最終決定権は自分にある」ということを意識している児童が多い印象でした。「AIって便利!どんどん使う!」という立場の子はほとんどおらず、子どもたちはAIに対して警戒感も感じ取っているようでした。
教室にAIがいるから自分の考えと向き合える
道徳の教材文における「主人公の悩みや葛藤の場面」にChatGPTを登場させることで、その時間に考えるべきことを「自分だったらどうする」という当事者意識を実感として持ちやすくなったと感じました。
今回の内容項目は「誠実に、明るい心で生活すること。A(正直、誠実)」でした。様々な選択肢がある中で、自分はどの選択肢を選べばより良く生きていけるのか、「自分」を強く持っていないと誠実に生き抜くことは難しい。そしてその多くの選択肢の中に”AI”が入ってくるのが今の子どもたちの世代なのだろうと思います。「AIを使うのは卑怯だ。誠実ではない。」という価値観ではなく、「AIを上手に利用した上で、誠実な判断をする。」という価値観が広がっていくのではないでしょうか。
「自分」「友達」「先生」そして「ChatGPT」と、教室の一員としてChatGPTを活用することで、「自分の考えを持つことの大切さ」を新しい視点で伝えることができるようになりました。
ChatGPTは何でも100点満点の回答をするわけではありません。しかし、自分の中に響くようなことを言う時もある。「ChatGPTを人間として見る」と言ってしまうと語弊がありますが、そのように付き合っていくことでAIの考えと自分の考えを比較し、「自分だったらどう考える」という意識を持ち、「自分」という存在に向き合いやすくなるように感じています。
今回の授業の最後には、子供たちにこんな話をしました。
「AIを使って何かを判断することは、何だかずるいことのように感じる? AIを使ったとしても、最終的に自分で判断したのならそれでいいじゃないかと思う? AIのいいなりになったとしても、幸せになれると思う?
みんなが大人になるころ、ChatGPTのようなAIはもっと当たり前で身近な存在になっていると思います。みんなが言うように、AIが何を提案してきたとしても、最終的にそれをどうするか判断するのは自分なのだと言うことを忘れないでください。みんなにはたくさんの選択肢の中から、自分にとって良いと思うことを選び取れる人になってほしいと願っています。」
以上、「授業のメンバーの一員としてChatGPTを迎え入れる」という活用方法を紹介させていただきました。今後も学校現場における活用方法を探っていきたいと思います。
講評コメント
講評・池田修(京都橘大学教授)
何の価値を大事にして判断して行動するのかということは、生きていくときの根っこの部分につながっていると思います。自分が大事にしたいことは何か。そして、自分の価値と違う人と接する時にはどうしたらいいのか。これは小学生も大人も基本的には変わらない点でしょう。
今回の近野先生の「手品師」での実践は、今までであれば、自分、同級生、先生というクラスでの話し合いに、もう「一人」の第三者としてのChatGPTを招き入れては判断を考えてみるという面白い実践だと思います。 この実践は、おそらくGPT-3.5で行われたものでしょう。というのは、GPT-4であれば、以下のように答えてくるからです。
あなたが直面しているこの決定は、プロフェッショナルな機会と個人的な約束との間での困難な選択ですね。あなたがどの選択をするかは、あなた自身の価値観や優先順位に大いに依存しますが、いくつかの選択肢を提案します。
1 子供との約束を優先する: あなたが約束を守ることを選択すれば、子供にとって大きな安堵感と喜びを提供するでしょう。親を亡くしたばかりの子供にとって、安定した存在と約束を果たす大人はとても大切です。しかし、これはキャリアの機会を失うこともあり得ます。
2 大劇場のマジックショーに参加する: この機会を捉えれば、あなたのキャリアに大きな影響を与え、あなたの視野を広げることができるでしょう。しかしこの選択をすると、子供が失望するかもしれません。
3 両方を両立させる: 友人に子供の状況を説明し、ショーの時間を調整してみてはどうでしょうか。あるいは、ショー後に特別なプライベートマジックショーを子供のために開催することも考えられます。あなたの友人が理解してくれれば、あなたは両方の機会を活用できるかもしれません。
あなたの価値観と優先順位を考え、最善の選択をすることが大切です。どんな選択をしても、それがあなた自身にとって正しいと感じるものであるならば、それが最善の選択です。
以上のように、ChatGPT-4になると最初から両方を両立させる提案がされます。実践的にはここを考えさせたいところなので、授業ではGPT-3.5を使う方がいいのかもしれませんね。
この「手品師」の教材は、 今回の内容項目は「誠実に、明るい心で生活すること。A(正直、誠実)」でした。 ということですが、これは「自己決定」という観点で考えるのもいいのではないでしょうか。『平成29年度小学校 特別の教科道徳 学習指導要領』には、「自己決定」という言葉は出てきません。しかし、学習者主体の学習を行うことが求められている『平成29年度小学校学習指導要領』の立場に立つと、特別の教科道徳では、自己決定を意識することは意味があると考えています。
児童たちの会話を見てみますと、 「僕は相談しません。自分で決めたことなら、どんな結果でも受け入れられるからです。」 という発言で教室の空気が変わったとあります。この児童は、相談しないと自己決定したわけです。果たして「自分で決めたことなら、どんな結果でも受け入れられるからです。」で、本当にいいのかという問題はあります。自分で決めたことがダメなことに繋がることは別に珍しくないわけですから。 しかし、自分で決めるということは、ChatGPTを使う際に最も大事なことの一つです。ChatGPTが提案してきたことを使うか使わないかを決めるのは、自分だからです。
さて、そう見てくると、 「AIを使わない自分の力」と「AIを使った自分の力」は、どちらがいいのだろうかという問題にたどり着くのではないでしょうか。 近野先生が、「AIを使って何かを判断することは、何だかずるいことのように感じる?」と子供達に話しているように、この考え方は、子供から大人までかなりあるように私も感じています。ずるいから使わないという考え方が、使わないことを選ぶ児童や先生にもいるように感じています。 しかし、本当にそうなのでしょうか。
私は、文章を書くとき、筆から始めて、万年筆、鉛筆、ジェルインクペン、ワープロ、エディター、スマホの音声入力、AppleWatchの音声入力とさまざまな文房具を使っています。これは目的と状況によってどれが一番いいのかが違ってくるからです。自分が感じたこと考えることを、適切に脳から取り出して表現し、伝達するにはどれが最適なのかを考えて使っています。ワープロが良くて、鉛筆がダメということはありません。また、筆が良くて、万年筆がダメということもありません。使い分けです。
この「AIを使わない自分の力」と「AIを使った自分の力」の問題も同じではないでしょうか。これは、二項対立にしないことが大事なのだと考えています。A or Bではないのです。目的と状況に応じて使い分けるというのが大事なのではないでしょうか。
さて、そうだとすると次に、「AIを使わない自分の力」と「AIを使った自分の力」は、どのように使い分けるのがいいのだろうかという新しい問いが立つわけです。現在、私も大学生にこの問いを投げかけて、考えさせているところです。小学生の皆さんが、どのように使い分けようとするのかは、とても興味があります。 ぜひ、このあたりも授業で取り上げて考えさせてみてほしいと思います。
『みんなの教育技術』では「ChatGPT」を使った授業実践の事例レポートを募集します。ご寄稿いただける先生は、お問い合わせフォームより記事原稿のデータ(Word形式)をお送りください(編集部)※ご寄稿は掲載を保証するものではありません。
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