提言|森 万喜子 コロナ禍を言い訳に、学校がスルーしたことは? 【「マスク世代が奪われたもの」を取り戻す学校経営 #3】

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「マスク世代が奪われたもの」を取り戻す学校経営
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元北海道公立中学校校長

森万喜子

コロナ禍は小中学生の子どもたちにどんな影響をもたらしたのかを知り、2023年度に学校は何をする必要があるのかを考える7回シリーズの第3回目です。コロナ禍だからという理由で、多くの学校が「やるべきなのにやらなかったこと」は何でしょうか。校長として、コロナ禍を駆け抜けた、森万喜子先生に聞きました。

森万喜子(もり・まきこ)
北海道生まれ。北海道教育大学特別教科教員養成課程卒業後、千葉県千葉市、北海道小樽市で美術教員として中学校で勤務。教頭職を7年勤めた後、2校で校長を勤め、2023年3月に定年退職。前例踏襲や同調圧力が大嫌いで、校長時代は「こっちのやり方のほうがいいんじゃない?」と思いついたら、後先かまわず突き進み、学校改革を進めた。「ブルドーザーまきこ」との異名を持つ。校長就任後、兵庫教育大学教職大学院教育政策リーダーコース修了。

本企画の記事一覧です(週1回更新、全7回予定)
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 提言|森 万喜子 コロナ禍を言い訳に、学校がスルーしたことは?(本記事)

大事なことをスルーして来ませんでしたか?

2023年度が始まり、なんだかよくわからないままコロナ禍が収束し、この3年間に学校にはどんなプラスの影響、マイナスの影響があったのかを総括しないまま、新学期の怒涛の忙しさに入ってしまった学校が多かったのではないかと危惧します。果たしてそれでいいのでしょうか。スクールリーダーは、この経験を検証、整理しておく必要があると思います。それにより、学校として今年度、何をすべきで、何をやめるのかが見えてくるからです。

コロナ禍を振り返ってみますと、学校は、未知の感染症を恐れ「コロナだから」と、本当は頑張ればできたかもしれないのに、やらなかったこと」があったような気がします。

学習指導要領はどうでしょう。小学校では2020年度、中学校は2021年度に全面実施となりましたが、コロナ禍のゴタゴタのせいで、授業は以前とたいして変わっていない……といったことになっていないでしょうか。今回の学習指導要領の理念、内容は、私自身は素晴らしいと思っているのですが、その素晴らしさを具体に落とし込む間もなく、コロナ対応に忙殺されてしまった面があるのではないかと思います。

また、2022年12月には、12年ぶりに生徒指導提要が改訂されました。これは、日本の教育界にとってエポックメイキングと言うべきことなのですが、なんとなくスルーされていないでしょうか。

つまり、先生がずっとしゃべってばかりの授業も、教室でガミガミ、ガミガミ、生徒のことを怒鳴りつけている先生も、今の時代に合っていないのです。コロナ対応に右往左往しているうちに、大事なことが後回しになってしまった学校が多くないように願います。

さらに、2023年4月からできた「こども家庭庁」は何をするところなのか、それと同時に施行された「こども基本法」はどんな内容なのか、などについて組織的に学べていない学校はないでしょうか。GIGAスクール構想の1人1台端末についても、コロナ禍が落ち着き、臨時休校ももうないからと、オンライン学習や端末活用のポテンシャルが前より下がってしまった学校はないでしょうか。

そうやって多くのことを現場が後回しにしてしまっている中で、新たに教員採用試験に合格した若い先生たちが入ってきます。現場は教員不足ですから、若い即戦力とばかりに、学級担任、校務分掌、部活動、免許外教科担当などを担わせたら、初任者として必須の学びの機会、学校での初任者研修がおざなりにならないでしょうか。余裕のない学校でOJTなど可能でしょうか。

学校がアップデートせずに旧時代の授業や生徒指導をしていたら、若い先生たちは教育現場に夢を持てなくなって、去るかもしれません。それを避けるには、今の時代に求められている教育とはどんなものなのか、などについて教職員がみんなで共有し、安易にコロナ前に学校生活を戻すのではなく、新たにつくっていく気概を持たなくてはならないと考えます。

この特集のタイトルには「取り戻す」とありますが、なんでも取り戻せばいいわけではありません。コロナ前の4年前の資料を引っ張り出してきて、コロナがなかった時代のやり方でやろうとしても、うまくいかないでしょう。GIGAスクール構想をはじめ、学校には様々な変化があり、いろいろなことが先に進んでいるのです。今の時代に取り残される学校をつくってはいけないと思うのです。これからが正念場です。

コミュニティ・スクールから生まれたつながり

コロナ禍で学校が「頑張ればできたかもしれない、もったいないこと」は他にもあります。地域の中の学校としての機能低下です。

私は校長としてコミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)の活動を積極的に進めてきましたが、「コロナのためできない」と考え、学校運営協議会を開催しなかった学校があったようです。あるいは、年1、2回開催して、「結局、コミュニティ・スクールなんて意味があるのか」ともやもやしたり、負担感だけを感じていたりしたスクールリーダーもいたかもしれません。前例がない取組を非常時にしなくてはならず、大変な思いをされたことでしょう。

勤務校の場合、コミュニティ・スクールの活動を始めたちょうどそのときに、コロナ禍がやってきました。「協議会開催をやめておきますか」という声も上がりましたが、委員の中には、コロナだからこそ、困っている人がいるんじゃないかな?」という意見を出してくださった方もいました。そして、「今、みんなが何に困っていて、どんなニーズがあるのかだけでも、話そうよ」と言って、学校運営協議会のメンバーが集まり、熟議をしました。

すると、 臨時休校になって「給食がなくて困る」、「仕事に行けない」など、たくさんの困り事が出てきたのです。それに対して、「学校だけではなく、地域も一緒に何ができるか考えていこう」ということが活動の第1歩となりました。

例えば、「中学生のAさんには、喘息持ちの小さい妹がいます。感染を恐れたAさんは学校に来られなくなり、お母さんがとても不安になっているそうですよ」という話が持ち込まれました。当時はまだGIGAスクール構想の端末が配備されていなかったので、「じゃあ、スマホでつながろう」ということになり、担任の先生と保護者、生徒が、スマホを通してお互いの顔を見ながら話をして、不安な気持ちに寄り添いました。

それから、経済的に困っている生徒がいることも気がかりだ、という声から、部活動用具や、学習道具などを無償で提供するイベントを行いました。「買ったけれど、ほとんど使わないで卒業してしまったようなものがあったら、寄付してください」と地域に呼びかけたところ、たくさんの方が協力してくださったのです。集まったものは、1週間程度、学校の廊下に展示しました。イベントは土曜日に開催し、朝8時半から受け付け開始と告知したところ、欲しいものがある生徒たちは8時半に来て列に並びました。当日は、PTAや地域の方にスタッフとして協力してもらい、混雑を避けるため、先着順で整理券を渡し、5名ずつ欲しいものをもらっていくシステムにしました。欲しいものが2つ、3つある生徒については、集まった生徒が全員もらうまで待って、もういちど列に並んでいいことにしました。これはお金がまったくかからず、本当にあたたかなイベントだったと思います。

また、「地域のお年寄りの方々が、集まって体操をする場所がなくて困っている」という情報が入ってきました。これまで借りていた病院や公共施設の会議室が借りられなくなったからです。そこで、学校図書館を貸すことにし、週1回、午前中の2時間程度、お年寄りの方々に使ってもらうことにしました。

毎週、図書室にお年寄りが集まって、わいわい楽しそうに何かをしているわけです。その様子を生徒たちは廊下を通りながら見ています。「おばあちゃんたちは、何をしているの?」と聞きに来た生徒がいたので、「介護予防体操教室よ」と教えると、「ふーん。大人も勉強するんだね」と言って帰っていきました。

そんな中で、生徒たちが「総合的な学習の時間」で、「子ども食堂」について調べ、自分たちも何かをやりたいと言い出したのです。話合いの結果、「先生方や学校の友だちに、おにぎりを作って配る活動から体験しよう」と決まりました。そのためのお米をどこから調達しようかと考えたときに、毎週、体操をしに来ている方々が快く協力してくださり、中には、おひとりで5㎏持ってきてくださった方もいました。このように、保護者でも先生でもない人たちが学校に来てくれて、生徒とふれあい、かわいがってくださり、中学生も、相談したり、何かを教えてもらったりできるつながりができましたので、コミュニティ・スクールにして本当に良かったと思います。

やはり、コロナ禍でみんなが不安になっていたときに、生徒にも保護者にも、教職員が「誰か困っていませんか?」という視点を持って接するのは大事なことだったと思います。そのおかげで、困っている人が見つかったときに、「じゃあ、これをやってみない?」と提案し、行動するマインドが、職員全体に形成できたからです。

例えば、校内で生徒指導上のトラブルがあったときに、善悪のジャッジをするのではなく「あの子、困っているんじゃない?」、「困っていると思います」と言う声が挙がってきて、どうしたらいいのか、どんなアドバイスができるのか、みんなで考えるようになりました。「コロナだからできません」と言わずに挑戦したことは、いろいろな形でチームビルディングや進取のマインドづくりにつながったように感じます。

地域とのかかわりが疎遠なまま今に至ってしまった学校があったとしたら、2023年度はぜひ、仕切り直して取り組んでみることをお勧めします。学校が地域から孤立している状態になっていて、それで困るのは地域に生きる子どもたちだからです。

マスクの着用は個人の自由であることを、先生が行動で示そう

学校では、マスクの着用についてどのように対応すればよいと思われますか、と尋ねられました。マスクの着用は個人の選択にゆだねられましたので、私がもしも校長なら、マスクを自ら率先して外します。そして、先生方には「自分のその日の体のコンディションでつけるか、外すかを選択してください」と言うでしょう。建前上は「好きにしていい」と言いながら、先生方が全員マスクをしているのなら、子どもたちは一歩を踏み出しにくいだろうと思うからです。

子どもは、同調圧力にとても影響を受けやすいのです。おそらくどの学校でも「学校だより」などで、「マスクの着用は個人の自由になりました」と知らせていると思いますが、それを見ただけでは行動に移すのをためらう子どもがいます。身近な大人である先生方の中に、「今日は調子がいいから外したよ」という人もいれば、「のどが痛いのでマスクをつけています」という人もいて、いろいろな人がいることを子どもに見せるのは大事なことです。

人生は選択の連続なのです。いろいろなことを自分で決めて、自分で行動できるのは大切なことです。マスクをするもしないも個人にゆだねられているのであり、それをお互いに認め合うこと、苫野一徳先生(哲学者・教育学者)がおっしゃっている「自由の相互承認」が重要なのです。

そのためにも、小さいことでもいいので、子どもに選択肢を用意して選ばせるのは大事なことです。それが多様性教育にもつながります。

今は、LGBTQに関連して、制服のモデルチェンジを進めている中学校が多いと思います。勤務校も2023年4月から変わりました。これからは女子がネクタイをしても、男子がリボンをつけてもいいのです。両方買って、その日の気分で変えてもOKです。それから、男子も女子も、スカートでもズボンでも、好きな方を選んでいいのです。このような自己決定の場が授業の中にも、日常生活の中にもたくさんあった方がいいはずです。なぜなら、これからの社会には、自分では何も考えないで「あなたの色に染まります」的な人間は必要とされないからです。

中学生の「こうしたい」を大事にして、次につなげる

「ソーシャルディスタンス」「黙食」「諸活動の自粛」などから、おそらく子どもたちは以前の行動や思考からの変容を余儀なくされてしまいました。大きな声で笑ったり、ハグしたり、子どもらしいしぐさを封じ込めてしまった3年間は長く、感染への恐怖感も大きかったことでしょう。収束に近づいたとはいえ、もう大丈夫と言い切ることはできないので、まだ完全に行動を変えられずにいる子どももいます。

コロナ禍の最初の緊急事態宣言は、2020年4月7日に東京をはじめとする7都府県に発出され、4月16日に対象を全国に拡大しました。今、3年経って当時のことを思い返してみると、みなさんも「そこまでする必要はあったのかな」と感じることがあるはずです。中学生にとっては、コロナ禍の一年目は、体育大会や中体連の大会、修学旅行などが全部中止され、我慢しなくてはならないことがたくさんあり、親も学校関係者も、多くの子どもたちの涙を見ました。

今後、当時の大人たちの行動について、「あれは本当に正しい対応だったのかな」「もっと他に、いい方法はあったんじゃないの」「もっとよくリサーチしてから、決めるべきだったんじゃないの」などの意見が出てくるかもしれません。私はそれも、中学生としての正しい反応だと思うのです。彼らも当事者だったからです。

こういうとき、先生たちは「先生としての立場」で「そんなことを言ってはいけない」などと指導したりせず、話をしたらいいと思います。もっとよく変えられたかもしれないという感覚は、中学生だったら持ってほしいものです。逆に、「偉い人が言うことは、間違いないからなんでも従った方がいいよ」などと考える10代の子どもがいたら、そのほうが心配です。

子どもが学校で学ぶことの目的は、自分の力で人生を切り開いて、幸せになることです。「自分はこうしたい」と言えない子ども、「どうしたらいいのかわからない」子どもは、スタートラインにも立てないと思うのです。だからこそ、先生たちは子どもたちの社会に対する考えや、こうしたい」という思いを大事にし、その疑問を次につなげていただきたいのです。

最後に、全国の小中学校の校長先生に対して、コロナ禍の3年間の学校経営の苦労を乗り越えた仲間として、ねぎらいの言葉をかけたいと思います。それとともに、やはりこれを「転んでもただでは起きない」経験として、校長としてのありかたを再考する機会にしようと伝えたいです。

「翻弄された」と思ったこともあるでしょう。一方、行政からすると「いちいち教育委員会にお伺いを立てないで自分で判断してほしい」という思いもあったようです(状況や地域によって違うのでしょうが)。校長には、自分で判断できることがたくさんあります。なんでも教育委員会にお伺いを立て、判断してください。あなたの言う通りにします」といった態度は正しくないように思います。

また、教育委員会も、すべての学校が同じことをしなければなりません」と求めるのも違うでしょう。私たちはゴールを共有しつつ、子どもたち、地域の実態などを最前線で見て、最適解をださなくてはなりません。地域の公立学校は多様性の塊です。いろいろな子どもと保護者がいて、日々いろいろなことが起こり、そんな中でそれぞれの幸せの在り方を探っていくのが学校の仕事です。

これからの世の中を生きる子どもたちが、幸せだと実感できる、その時間が長く続いてほしいと願っています。そのために、スクールリーダーとしての立ち位置、持っている権限をきちんと理解して行動するのは大事なことです。最前線で働く皆さんには、大変な苦労があると思いますが、心から頼りにして応援しています。

取材・文/林 孝美

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