対談:今の学校現場に求められる校長の役割とは(木村泰子×市場達朗)
2006年に開校した大阪市立大空小学校では、「みんながつくる みんなの学校」として、すべての子どもが安心して共に学ぶことができる学校づくりを実現してきました。その取り組みは2015年にドキュメンタリー映画『みんなの学校』として上映され、今もなお注目を集めています。
同校の初代校長として子どもを見つめてきた木村泰子さんと、2代目校長で現在は大阪市立南港桜小学校の校長を務める市場達朗さんに、今の学校現場に求められる校長の役割について語り合ってもらいました。
対談/大阪市立大空小学校初代校長・木村泰子×大阪市立南港桜小学校校長・市場達朗
目次
すべての子どもの学ぶ権利を保障 校長にしかないただ一つの「責任」
木村 ときどき、校長研修に呼ばれて講演することがあるんですが、そこでよく、校長先生たちに「校長の責任って、何だと思いますか?」と聞くんです。すると、「学力を上げること」や「保護者対応をきちんと」など、いろいろな答えが出てきます。でも、60人いれば60通りの答えが出てしまう「個人」の責任と「校長」の責任は違うはずです。パブリックの校長にしかない責任って、何だと思いますか?
市場 これも木村さんによく言われましたね。校長の責任は、「すべての子どもの学ぶ権利を保障すること」ですね。
木村 そう。誰一人としてもらさず、すべての子どもが安心して学校に来て、学ぶこと。日本国憲法第26条にもあるこれが、たった一つの、校長にしかない責任です。
学力アップなどの「自分」の仕事は、うまくいかなければ、やり直せばいい。でも、もし校長が、すべての子どもの学ぶ権利を保障できず、学校に来ることができない子どもが一人でもいたら、もし校長に見捨てられたその子どもが命を落としてしまったら、取り返しがつきません。校長の「責任」は、これだけ重いんです。
そして、この責任を果たすのは、校長一人の力では、絶対に無理です。
市場 そこに、校長の「つなぐ力」が求められるんですね。
木村 学校の外に出れば、教職員の目は届きませんから、保護者や地域の方の協力も欠かせません。いろいろな人の力を活用していく必要がありますよね。
そして、このたった一つの責任さえ果たせるのであれば、そこに至るまでの方法は、何でもいいわけです。木村には木村なりの、市場には市場なりのやり方があっていいし、あるはずです。
市場 そういう考え方は、大空小でも徹底していましたね。だから、校長を交代するときの引き継ぎも、一切なしでした(笑)。
木村 いや、1個だけしたやん。「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」、この理念だけ守ったらええねんと、これだけです。
市場 あとは、教頭だけ紹介されて、そこからは完全にバトンタッチです。それ以来、一切、大空小には行っていないんですよね。
木村 だって、次の校長にしてみれば、私の存在は邪魔ですよね。市場とまわりの人が「あいさつもせずに出ていくなんて、ほんまに冷たい」と私の悪口を言い合うくらいでちょうどいいんですよ(笑)。
市場 校長の離任式もしませんでした。
木村 校長だけに「ありがとう」と言って送り出すのであれば、これまで学校に関わってきたすべての教職員に「ありがとう」と言わないのはおかしいですよね。私が大空小にいた9年間、何人もの教職員が離任していきました。全員が、一生懸命大空小をつくった人間です。校長だけが特別扱いされるのはおかしいと思うんです。
それに大空小は、まわりの人に「木村先生、ありがとう」と一方的に言われる関係ではなく、お互いにウィンウィンの関係でしたからね。
子どもは大人が動くように動く 教職員は校長が動くように動く
市場 木村さんが、今のような考え方をもつようになったのには、きっかけがあるんですか?
木村 大空小の前身である南住吉小学校での経験は大きかったと思いますね。初めて校長になって、しかも学校は、大荒れに荒れていました。当然、保護者からのクレームも尋常ではなく、毎日が嵐のようでした。
子どもたちは、全員が大人不信。その振る舞いは、まわりの大人そっくりだったんです。外からはわからないようにいじめをしたり、見えない差別をしたり、「大人の行動を見て、子どもは行動する」ということを、身をもって実感しました。
これが、私たちがやってきた人権教育なのかと、愕然としたのを覚えています。でも、私も大阪市の一教職員ですから、私がやってきた教育でもある。これは何とかしないといけないと思いました。そこから大空小開校までの1年は、考えるのではなく、何かに突き動かされるように動きました。
子どもは、大人の「言うこと」と「行動」がまったく矛盾していることに理不尽を感じていたんですね。ですから、子どもを力で抑えつけるのではなく、一人の大人として腹を割った対話を重ねました。そして最後には、子どもたちにも納得して卒業してもらうことができたと思います。
大人が口だけで行動せず、人にばかり求めていれば、子どももそれを真似します。でも、誰が認めてくれなくても、悪口を言われても、自分が大事だと思ったことを、「大事やで」と行動していれば、そんな姿も、子どもたちはちゃんと見ているんです。
――校長は、学校を変えることができるんですね。
木村 結果としてそうかもしれませんが、もちろん校長だけが学校を変えるわけではありません。
そして、「学校を変える」というのは、危険な言葉でもありますよね。何のために、なぜ変えるのか、ビジョンがなければ使うべきではありません。さらに、一校長としてのビジョンを語るのは、校長としての最低限の「責任」を果たしたあとです。
この責任を果たすために、私はどんなことでもしようと思っていました。一人では、絶対に無理です。保護者や地域の力も、当然必要です。
私には、何もできないからこそ、できないなりに行動することが必要なんです。そして、校長が動けば、まわりの人も「動いていいんだ」と動く。口だけで指示をしても、まわりは、どうやって行動したらいいかわかりませんよね。
市場 「校長が言うようには、教職員は動かない。校長がするように教職員は動く」と木村さんはよく言われていましたね。
木村 これは、子どもも大人も、同じですよね。先生が「ゴミ拾いや」と口だけで言って、ゴミを放置すれば、子どもも拾いません。でも、口で言わなくても、先生が黙ってゴミを拾っていれば、子どもも黙って拾うんです。
自分の行動抜きには、人は動かせません。そして、もしその行動で失敗したら、やり直しをして見せればいいんです。
市場 私も、まず真っ先に行動というのは心がけていますし、校長の行動抜きに教職員は動かないというのは、身をもって実感していることです。
木村 私たちの仕事は、目に見えるものがすべてですよね。行動の結果も、目の前の子どもの姿がすべてです。いくら口で頑張っていると言っても、数字で評価されようとも、「子どもが安心して学び合っているかどうか」。答えは、ここにしかないんです。それさえぶれなければ、学校はオールオッケーではないでしょうか。
取材・文/浅海里奈(カラビナ) 撮影/町田安恵
『総合教育技術』2019年10月号より
*対談の全文は、『総合教育技術』2019年10月号でお読みいただけます。