#49 金八先生に憧れて【連続小説 ロベルト先生!】
今回は朝見鉄也先生の夢の回想シーンの続きです。高校時代から教員採用試験合格に至るまで、どのような学生時代を過ごしたのでしょうか。
第49話 鉄也が見た夢③
高校に入学した鉄也は、何を思ったか、ラグビー部に入った。
鉄也は背が高く、即戦力になるのではないかという期待もかかり、先輩からも可愛がられていた。しかし、だんだんと厳しい練習に着いていけなくなり、タックルをして目をけがしてからは、しばらく部活を休んだ。鉄也は、そのまま秋に部活を辞めた。
目標を失いかけた鉄也。
その鉄也には、中学生くらいから心の内に秘めていて、誰にも口に出せなかった1つの夢があった。それは、芸能人になるということだった。
雑誌を見ていると「テレビや映画に出られるチャンス!」という言葉が目に留まり、鉄也は俳優養成所のオーディションを受けた。
結果は何と!「合格」。
それからは土日になると都内へ通い、演技、アクション、歌、ダンスなどを習いながら、出演の機会を狙っていた。
テレビや映画のオーディションをいくつも受けたが、結果は全敗。それでも、役名こそないが、エキストラよりはちょっとマシな役を与えられ、テレビや映画に出ることができた。また、養成所主催のミュージカル公演にも出られ、それだけで俳優になった気がしていた。
養成所に通って2年間。卒業という形で芸能活動(そんな大それた活動ではないが)は終わった。すでに鉄也は、高校3年の夏を迎えていた。
高校を卒業してすぐに就職するという考えは全くなかった。というのも、これまでやってきた芸能活動も捨てきれず、また、将来の就職のことも考えて、大学に進学するつもりでいた。
そこから本格的な受験勉強が始まった。鉄也は、ボールペンを何本空にでき、ノートを何冊書き尽くせるか、そんなことを励みにしながら勉強した。
2月までの6か月間、ひたすら勉強し続け、以前は友達とも明るく笑顔で接していたのに、笑い方も忘れてしまうほど、性格は暗くなった。
結局、滑り止めにしようと思っていた大学に落ち、第一希望の大学に合格するという奇跡的な結果で、大学生になることができた。
当時のTVで人気番組だった金八先生に憧れて、入った学部は教育学部だった。
大学生になった鉄也は、早速、卒業した俳優養成所の仲間とともに劇団に入った。都内の芝居小屋で定期的に公演を行った。
また、その劇団の看板役者であった柴田道弘くんの誘いでバンドも組んだ。鉄也はキーボード、そして、後にボーカルを担当。都内のライブハウスで数曲のオリジナル曲と、メジャーな曲をコピーして我が物顔で歌っていた。
しかし、学業との両立は鉄也の心の中では絶対に外せないことだった。昼間は大学で授業を受け、夕方からは都内の公民館で芝居の稽古をし、夜中はオールナイトでスタジオにこもってバンドの練習に励む。そしてまた朝が来ると大学へ行った。
ある時には、3日間、72時間ほとんど寝ないで過ごしたこともあったが、若さとは恐ろしいもので、移動の電車の中で数分寝れば、過密スケジュールも乗り越えることができた。大学の単位を1つも落とすことはなかった。
また、こうした活動にはお金もかかるので、アルバイトもした。焼き肉屋で皿洗い、洋品店で販売、工場での製品加工、中学生の家庭教師など。
特に忘れられないのは、着ぐるみのアルバイトで、ヒーロー戦隊に扮してデパートで握手会をやったことだ。チビッ子から女子高生までみんなから握手を求められ、本当にヒーローの気分を味わった。
そうこうしているうちに鉄也は大学4年生になり、真剣に就職を考えなければならなくなった。
教育学部だったので、小学校や中学校の教育実習を経験すると、教師としての楽しさも日に日に増していった。
先生になったら、金八先生のように、子どもたちと川の土手を走り、夕陽を眺めながら石を投げたい。そんな思いも膨らんだ。
夏に教員採用試験を受けて運よく合格。
結局、芸能活動では芽が出ることはなかった鉄也だったが、小学校の教師として社会に出ることになった。
あれから10年の月日が経過した。
「ふわぁ~、あれっ、いつの間に眠ってしまったんだろう。何だか20年分くらいの夢を見ていた気がするな…」
こたつにすっぽりからだを入れたまま朝を迎えた。
「よし、いよいよだな」
私は、6年3組の子どもたちとの最後の授業に向かった。
執筆/浅見哲也(文部科学省教科調査官)、画/小野理奈
浅見哲也●あさみ・てつや 文部科学省初等中等教育局教育課程課 教科調査官。1967年埼玉県生まれ。1990年より教諭、指導主事、教頭、校長、園長を務め、2017年より現職。どの立場でも道徳の授業をやり続け、今なお子供との対話を楽しむ道徳授業を追究中。