「国家観」と「国民観」についての「教育観」 ー敗戦後の教育の反省ー【野口芳宏「本音・実感の教育不易論」第47回】

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野口芳宏「本音・実感の教育不易論」
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植草学園大学名誉教授

野口芳宏
「国家観」と「国民観」についての「教育観」 ー敗戦後の教育の反省ー【野口芳宏「本音・実感の教育不易論」第47回】

教育界の重鎮である野口芳宏先生が60年以上の実践から不変の教育論を多種のテーマで綴ります。連載の第47回は、【「国家観」と「国民観」についての「教育観」 ー敗戦後の教育の反省ー】です。


執筆
野口芳宏(のぐちよしひろ)

植草学園大学名誉教授。
1936年、千葉県生まれ。千葉大学教育学部卒。小学校教員・校長としての経歴を含め、60年余りにわたり、教育実践に携わる。96年から5年間、北海道教育大学教授(国語教育)。現在、日本教育技術学会理事・名誉会長。授業道場野口塾主宰。2009年より7年間千葉県教育委員。日本教育再生機構代表委員。2つの著作集をはじめ著書、授業・講演ビデオ、DVDなど多数。


1 元旦の様変わり、今昔

元旦の光景がすっかり昔と様変わりして久しい。「昔」と言うのは、私が子供だった時代、それは今からざっと70年ほどの前、昭和10年代のことである。また、老人の繰り言かと思われるかも知れないが、唯の繰り言ではない。

70年ほどの昔の元旦というのは、どの家にも例外なく門松飾りと国旗が掲げられていた。祝日は旗日とも呼んでいた。また、元旦には普段着ではない服装に改め、学校の元旦の式典に参列した。貧富を超えた淑気が満ちていた。正月下駄はおろしたての新しさで鼻緒がまだ足の指に馴染まず、窮屈だった。式典は厳粛で静かだった。どの店も全て閉まっていた。どの家の大人も子供も元旦は身を慎み、立居振舞にも気を付けた。風呂もたてない、入らない。

男の子は凧揚げやこま廻し、女の子は羽根つきや毬つき、家族での楽しみは双六やカルタと決まっていた。みんな同じような楽しみ方をした。同じような楽しみ方でそれぞれが楽しんだ。一言で言えば社会が「まとまっていた」ということになろうか。

私の家では、今でも国民の祝日には日の丸を掲げるが、我が家以外にその光景を見ることはほとんどない。

イラスト47

2 不動の姿勢で国歌を斉唱

日本の教育事情に詳しい韓国の小学校長の計らいで、韓国に三度講演に出向いたことがある。初回の折には500人ほどの先生方が集まり、広いホールは満席、壇上には日韓両国の大きな国旗が左右に掲げられていた。進行係の合図で全員が一斉に起立したので、私も起立をした。私は韓国語が全く分からないが成り行き上、私への礼なのかと思ったのだが全く違った。

一瞬の静寂の後、音楽が流れ、全員が不動の姿勢をとり、右手を左の胸に当てた。そして、全員が壮重な斉唱を始めた。韓国国歌である。私は国歌が終わるまで韓国旗に対して不動の最敬礼を捧げた。開会式の、これが恒例となっているセレモニーだと後で聞かされて驚いた。日本の教職員の集まりでは考えられないことである。

今の日本の教職員の研修会の開会式で国歌を斉唱する例は極めて稀である。入学式や卒業式で国旗を掲揚することにも、国歌を歌うことにも反対する教職員が今でもいるそうだ。韓国とは大違いである。

国家によって様々な違いがあることは当然だから一概に良否、善悪を論ずるわけにはいかない。しかし、初めて韓国に参上した折のあの感激は未だに強烈に脳裏にある。

授業についての日本語での私の講演は、一文あるいは一文節ごとに止まり、韓国語に訳されるので、90分の講演が3時間に及ぶ。訳者の韓先生は私より6歳年上の方で、講演が終わると双方ともへとへとになった。

3 ピオネールの英雄クラブ

これももはやざっと50年前のことになるが、文部省(当時名称)の教員海外教育事情視察団に加わり、当時のソ連、ユーゴスラビア、スイスなどを訪れた。キエフのピオネールを見学した折、その中の一つの歴史研究室にある英雄クラブの活動に強く心を打たれた。

ピオネールはパイオニアと同義。選ばれたちびっ子エリートの為の課外施設で、その指導者も施設も超のつくほどの高水準である。さて、その「英雄クラブ」というのは、ロシア革命に命を賭けた「英雄」を祀る戦勝記念塔を尊び、守る少年少女らの自主活動グループである。一定の時間、不動直立、正面正視、無言で数名が記念塔を守る。交替時刻になると、整然とした歩調を揃えて隊列行進をする。にこりともしない真剣なまなざしが凛とした空気を生む。制服、制帽、正装はほとんど軍服に近い。圧倒される思いであった。

愛国心、祖国愛を育て、先人の偉業を尊び、後継者としての魂を磨く行動、と言ったらよいだろうか。およそ日本では見ることのできない少年少女の光景、行事、行動、表情である。

4 ファシズムに死を! 人民に自由を!

ユーゴスラビアのベオグラードも訪れた。日本の敗戦は昭和20年(1945)、この年にユーゴスラビアは社会主義の国家として生まれ変わった由。2世紀の初めにはローマ帝国の支配下にあった。ベオグラードは、ドナウ川とサヴァ川の両大河に挟まれてあり、諸民族の興亡を繰り返した地点である。カレメグダンの高台に要塞を築いて争乱を抑えようとしたが、この要塞そのものが奪い合いの的となって幾多の戦いを引き起こしたとのこと。ナチスドイツは非戦闘員のベオグラード市民を8万人も殺害したと、ベオグラード市民は、今も怒りをこめてその非を訴える。地続きで隣国を持つ国々の大きな悲劇と言えよう。島国である日本の幸せを思う。

外国の脅威から自国を守る為には、必然的に人々は団結する。カレメグダン公園には「ファシズムに死を! 人民に自由を!」と刻まれた石碑を見守るようにして4人の思想的指導者の胸像があった。

そこにはベオグラードの子供を引率する教師の姿が幾組か見られ、胸を突かれる思いになった。祖国の歴史を子供の心に刻み、伝え、忘れさせまいとする教育のあり方に強い共感を覚えたからである。

日本で言えば、それは靖国神社であり、遊就館であり、知覧特攻平和会館にもあたるであろう。仮に、今の日本で、定期的に子供をこのような所に連れて行こうとしたら、大変な騒ぎになること間違いない。国柄や国情の違いと言えばそれまでのことだが、さて、それで済ませてよいことなのだろうか。

5 国民を守る国家の恩恵

敗戦後の日本国もざっと75年の歳月を重ねた。今の日本国は、曽(かつ)てない豊かさと、平和と、自由と、平等の中にある。ある時期「総中流社会」という言葉が広まったが、それは今に続いている。着きれないほどの衣服を持ち、食べきれないほどの食料があり、世界中の料理が食べられる。

むろん、そうでない人もあるが、全般的に見ればそれは例外的であり、そういう人々への福祉政策もかなり行き届いている。政府の批判をしても、学校に行かなくても、基本的人権は守られ、拘束されることもない。こんなに多くの国民がまずまず住みよく暮らせる時代が、これまでの日本にあったのだろうか。私はつくづく今は有難い時代だと考えている。

そういう中にあって心配がないかと言うとそうでもない。私が残念に思い、このままでよいのだろうかと案じているのは、この暮らし易い時代と社会の中にあって、国民のほとんどが無自覚、無関心とも言える「国家意識」の希薄さである。極端な言い方をすれば、敗戦後の国民は戦争に懲りたあまり、「戦争に導いたのは国家だ」という国家悪玉論が通念になっていることだ、ということになる。だが、国民にとって国家ほど大切なものはない。国家を大切にしない国民は国家を滅ぼしかねない。

曽てない豊かさと、平和と、自由と、平等を享受している現在の日本国民は、それが日本国という国家に守られているからだということを忘れてはならない筈だ。

だが、現実は「国民の祝日」が、「国民の休日」と変わらない「休みの日」になってしまっている。「国民の祝日」は本来、次のような趣旨によって設けられた。

第1条 自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。(国民の祝日に関する法律)

前半は、この法律の「目的」に当たる。

日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、

「美しい風習」の一つが、曽ての「元旦」の光景であろう。「休日」ではなく「祝日」という意識が国民に共有されていた。これは「美しい風習」と言ってよいだろう。それが壊れてしまったのは残念だし、なんとか少しでも元に戻したい思いが私にはある。また、それは大きく「教育」、とりわけて学校教育に依存する面が大きいとも思う。

後半は、言わば「心構え」「方法」だ。

国民こぞって祝い、
感謝し、
又は記念する

祝意、謝意を表し、思い出に残すべく過ごすのである。これらが「国民こぞって」なされるようにすることが望ましい。だが、考え方に「多様性」を認める世相はなかなかそれを許さない。

6 国家観、国民観、教育観

韓国の先生方が、研修会で不動の姿勢をとり、国家への忠誠を誓いつつ国歌を斉唱した姿を目の当たりにしたことへの感動を懐かしく思い出す。

キエフのピオネールの少年少女らの戦勝記念塔の尊重と警護の凛々しさと整然とした隊列行進の厳粛さに心打たれた感動は、今もって新鮮である。

ベオグラードの要塞跡のカレメグダン公園に建立された「ファシズムに死を! 人民に自由を!」の石碑と、そこに子供らを連れて行き、自国の歴史を語り伝える幾組かの教師たちの真剣な表情も、昨日のことのように思い出される。

いずれも、やがてその国を背負う子供たちに何を伝え、何を残していくべきかという教育のあり方を問いかけているように思われる。一言で言えば、健康な愛国心や、先人の国家への貢献に対する敬慕の念を育む大切さである。

日本では「愛国心」や「国家への忠誠」という言葉を口にすることがなんとなく憚られる空気がある。国旗の掲揚や国歌の斉唱を積極的に進めようとすると、右翼呼ばわりをされたり、戦争賛美者というレッテルを貼られかねない雰囲気がある。

だが、日本人が声を大にして言い難いようなことが、外国や世界では当然のこととして尊重されている。世界の常識が日本では非常識、日本の常識は世界では非常識などと言われないためにも、改めて敗戦後の国家観、国民観、教育観のありようを考え直し、見つめ直してみる必要があるのではないか。

国家は国民の為に存在し、国民は国家の為に存在する。国家が国民を守り、国民が国家を守るのである。この当然の認識の改めての共有がなされねばなるまい。個性尊重、個性重視という視点も大切だが、それが公共軽視、国家軽視に傾き、我儘や自分本位、自己中心の世相を強めていくことになったら、その行く末は「まとまりのない」「てんでんばらばら」の、どの国からも相手にされない国に堕するのではないか。

以上、なかなか書けずにいたことを、年頭に当たって記したが、ご批判を願いたい。

執筆/野口芳宏 イラスト/すがわらけいこ

『総合教育技術』2021年3月号より

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