従来の授業を変えていこう【菊池省三流「コミュニケーション科」の授業 #5】
教師と子ども、子ども同士のコミュニケーション不足こそ今の学校の大問題! 菊池省三先生が、1年間の見通しを持って個の確立した集団、考え続ける人間を育てる「コミュニケーション科」の授業の具体案と学校管理職の役割を提示します。
第5回「コミュニケーション科」の授業は、<従来の授業を変えていこう>です。
目次
受け身の授業に退屈する子どもたち
学校の再開とともに、私も再び学校を訪れるようになりました。教室で学ぶ子どもたちの姿を見ながら、「学校で学ぶことの意義」について、あらためて考えるようになりました。
多くの学校では、遅れた学習を取り戻すため、しゃかりきに教科書の内容を進めたり、プリントやドリルを急ピッチにこなしたり、子どもたちに必死に学習内容を詰め込んでいます。話し合い・対話についても、教科書に書いてある教材が軸で、対話は付録のごとく形式的で表面的。対話の内容も、様々な意見を出し合い、話し合いを楽しんだり深めたりすることよりも、正解を導き出すことに主眼が置かれています。
様々な授業を見る中で、従来通りの授業には次のような問題点があることに気づきました。
①子どもは受け身で、退屈である
・「教える」と「黒板に書く」がほぼ同義である。
・発問による口頭でのやり取りのみで終わったことは「試験には出ない」という暗黙の了解がある。
・試験までに教える内容を終わらせるために、次々と教科書を進め「教えて」いく。
・時々は発問するものの、じっくり考えさせるような発問をすると授業が計画的に進まなくなる上、子どもたちの発言に対応することが難しくなる。
・その結果、わかっていればすぐに答えられるような、正解の決まった発問ばかりを行う授業が繰り返される。
・口頭で説明をし、発問(ノート作業)で多少の変化をつけながら、教師は必要事項を次々と板書していく。
・子どもは、板書された必要事項をせっせとノートに写し、それを試験前に頭に叩き込んで試験に臨む。
②多くの教室、学校で起きていること
・板書を作成することが主な指導になるため、教師は子どもを「見なく」なる。「見られない」子どもは、楽しくないので学びから脱落していく。教師も、授業に乗らない子どもたちに対して楽しさがなくなる。その結果、教室が落ち着かなくなる。
・先生の話を聞かなくなり、注意にも反発する。ひどくなると「学級崩壊」へ。
・発問に対して反応しなくなる。しなくても教師は先に進むので結果的に許される。
・じっくり考える、考え合うという学びの経験を知らないまま学校生活が過ぎる。
こうした冷めた授業を通して、学級の人間関係はますます冷たくなっていくのです。
予定調和のつまらない授業
今、多くの学校で行われている授業の問題点とは何でしょうか。次のようにまとめてみました。
●従来の予定調和的な授業
多くの中学校(おそらく高等学校も)や「〇県版スタンダード」「〇県版ベーシック」を採用し推進している小学校は、実技系を除く多くの教科・領域で、次のような “お決まり” の授業パターンがみられる。
①教師は、1時間で教科書数ページを進むことを予定している。
②教師は、定期試験などを念頭に置き、その時間の内容で、試験に出る可能性のある項目をあらかじめ確認している。
小学校に多い▶︎教師は、「〇県版スタンダード」「〇県版ベーシック」の展開を念頭に置き、その時間で押さえたい内容(キーワードなども)をあらかじめ確認している。
③授業は、教師の説明と生徒への発問を中心に進む。
小学校に多い▶︎ノートやワークシートに書かせることも時々はある。
④教師は、説明する際に②で決めてある項目を板書していく。生徒は、板書された項目をノートに写していく。
小学校に多い▶︎教師は、授業を進める際に②の授業展開に沿って板書していく。子どもは、板書された内容をノートに写していく。
⑤教師は、発問するとすぐに生徒に発言させようとする。しかし、基本的に発言したがる生徒はいないので、教師が席順などで指名して発言させていく。
小学校に多い▶︎多くの場合は、一部の活発な子どもの発言で進む。
⑥教師の発問は、その場でじっくり考えることを要求するものではなく、わかっていれば簡単に答えられるものが多い。
⑦教師の発問に生徒がどのように反応しても、授業の基本的な進行には影響がない。教師の発問は、説明する事項の一部に、生徒の注意を喚起させる程度である。
もちろん、このような授業を全面的に否定しているわけではありません。例えば、次のような状況の場合、理解できる点も多くあります。
①中学校は、生徒指導や進路指導、部活などで忙しい。
②教科担任制で、数年の経験で指導内容は一通り知り、授業改善への動機を持ちにくい。
③文字の読み書きや計算のように、結論が決まっていることを丁寧に教えることも必要。
だからといって、全ての授業を同じように進めていくのは、自ら教師の仕事を放棄しているのに等しいのではないでしょうか。
これからのコミュニケーション指導のあり方
教師と子ども、子ども同士が温かい人間関係でつながり、どの子も自分らしさを発揮できる授業をつくるためにはどうすればいいか—教師は、次のような考え方をまず見直さなければなりません。
・正解主義の弊害……教師は教える人。正解を唯一持っている人という考え方。
・減点法の見方……試験の点数が悪いのは、子どもが悪いということになる。
・権威的、高圧的な指導……成績が悪い子に「もっとがんばれ」という指導。
・排除の方向に向かう指導……説明型の一斉指導に合わない子どもへの指導。
教師の授業観が変わらない限り、新しい教材や指導方法を導入しても、学校現場の根底は変わりません。
教師が意識することで、コミュニケーション指導は、次のようなプロセスを経て本来のあるべき指導に変わっていきます。
①今までの硬直した「ルール」ありきのコミュニケーション指導の意識を変える
・しつけ、実用レベルにおける技術・知識指導、正解主義における「答え」を見つける手段としての活用は、コミュニケーション指導のごく一部にすぎないことを自覚
↓
②これからのあるべきコミュニケーション指導の目指す世界に近づく
・コミュニケーションそのものを楽しむ体験を通して醸成される意識
・内容、相手、自分への3方向のコミュニケーション指導を意識
・非言語コミュニケーションの価値を発見
・その場の状況や条件によって、「ルール」が変わる、生きたコミュニケーションの事実
↓
③これからのコミュニケーションの指導内容が明確になる
・「楽しい」「喜びを感じる」コミュニケーション指導
・集団として成長のあり方を学ぶ指導(対等な関係)
・人間的なふれあいの重要性を学ぶ指導(心の開放)
・具体的なかかわり方を学ぶ指導
↓
④従来重視されなかったコミュニケーションの指導の方法や技術が明確になる
・インストラクターとファシリテーターとしての教師のかかわりと指導技術
・「指名」の方法と「自由な立ち歩き」の話し合いの2つの授業改善の実行
・コミュニケーションの2つの公式※の各要素の指導
・話し合いのテーマ、規模、グランドルール、形式など大枠の視点での実践
↓
⑤「生きる力」の目指すべき指導観、授業観が浮き彫りになる
・人間的交流の重視
・個と集団の確立
・学び続ける人間の形成
・民主主義社会の形成者(市民)を育てる
これまで当たり前としてとらえてきた “日常の授業” が、今回のコロナ禍で大きく崩れました。そんな中で、人と人をつなぐコミュニケーション指導のあり方を考え直すきっかけになったことは、これからの教育を見ていく上で貴重な機会になったと思います。
※ ①コミュニケーション力=(内容+声+表情・態度+α)×思いやり、②対話力=話すこと×聞くこと
菊池省三が考える「教育学」から「学習学」へのチェック表
<菊池の考える答え:全て左側が望ましい>
菊池省三が考える <「教育学」から「学習学」へのチェック表>は以下からダウンロードできます。
『総合教育技術』2020年9月号より
構成/関原美和子
菊池省三(きくち・しょうぞう)
教育実践研究家。
1959年、愛媛県生まれ。山口大学卒業後、北九州市の小学校教諭として崩壊した学級をこの20数年で次々と立て直し、その実践が注目を集める。2012年にはNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演、大反響を呼ぶ。教育実践サークル「菊池道場」主宰。『菊池先生の「ことばシャワー」の奇跡 生きる力がつく授業』(講談社)、『菊池省三流奇跡の学級づくり』(小学館)他著書多数。