【相談募集中】天邪鬼な態度をとる女子に振り回されています
高学年女子の天邪鬼な対応に振り回されているという女性教師から「みん教相談室」に相談が寄せられました。同じような経験があるという東京未来大学非常勤講師 山中伸之先生の回答をこちらでシェアします。
目次
Q. 高学年女子の天邪鬼な態度に傷ついています…
公立小学校で6年生の担任をしています。簡単な言葉で言えば天邪鬼な女の子がいます。反抗期、思春期と言われてしまえばそうかもしれません。でも、直接アプローチしたり、メッセージに書いてアプローチしたり、言い方を変えてみたり、いろいろなことを試しても何も変わりません。
正直どうやって関わっていけばいいのかもう分からなくなりました。その子の反応や態度に傷ついて、毎日辛いです。どうやって関わっていけばいいでしょうか。(匿名先生・20代女性)
A. 先生の努力とは関係なく、そういう高学年女子はいるものなのです
私にも同じような経験がありますので、先生のお気持ちがよく分かります。たぶん、多くの先生方が同じような経験をお持ちだと思います。
これが何を意味しているのかというと、「そういう高学年女子は現実にいるものだ」ということです。そういう子はいるものなのです。そう考えて受け入れてみてください。それだけで、いくらか心が軽くなりませんか? 先生の努力とは関係なく、そういう女子はいるものなのです。
先生は「どうやって関わっていけばよいか」とお悩みですが、最もよい関わり方は「関わらないこと」です。または、相手を変えようとするような関わり方をしないことです。
「こうするといいと先生は思いますよ」というメッセージは伝えます。しかしそれを相手が受け入れるかどうかは相手の問題です。相手が受け入れるかどうかまでは干渉しないようにするというような関わり方です。
でも、先生は多分そのようなことはもうご存じのことと思います。「自分は変えられても、他人は変えられない」とはよく言われることですし、学級担任教師としてそのような子を放っておくことはできないと考えていらっしゃると思うからです。
頭では分かっていることなのに、感情がついていかないのはなぜなのでしょうか。そこを少し深掘りしてみたいと思います。
原因の多くは、ご自身とご自身以外との間にある境界線があいまいになってしまっているからではないかと思います。境界線があいまいになると多くの問題が起きてきます。また、人はその境界線があいまいになってしまう瞬間があるものです。
境界線があいまいになるとどうなるのでしょうか。
具体的にいえば、自分ではない誰かの感情を自分の感情だと錯覚してしまったり、誰かの感情で自分の感情が影響されてしまったりします。反対に、本来自分の中にあるべき感情を誰かに引き受けてもらおうとしたり癒やしてもらおうとしたり、自分の感情で相手の感情に影響を与えようとしたりしてしまいます。
このような境界線のあいまいさから、いろいろな問題が起きてくるだろうということは、容易に想像できるのではないでしょうか。
しかし、本来「自分は自分」であり「他人は他人」です。このことに気がつくと、境界線も見えてくるのではないかと思います。冒頭部分に書きましたが「先生の努力とは関係なく、そういう女子はいるもの」なのです。
先生が学級担任として精一杯の努力をすることは、大変素晴らしいことだと思います。しかし、それは先生の境界線の内側のことです。そのことが境界線の外側に影響を及ぼすことを期待すると、境界線があいまいになってしまいます。
そしてその女子も境界線をもち、境界線で悩んでいるのではないかと思います。互いの境界線について、大人である先生がはっきりと認識してあげるとよいのではないでしょうか。
最後に「ゲシュタルトの祈り」をご紹介しますので、読み味わってみてください。
私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
私は私。あなたはあなた。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいこと。
ゲシュタルトの祈り(精神科医フレデリック・パールズが、ゲシュタルト療法の思想を取り入れて提唱した詩)
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