和して同ぜず〈後編〉能楽師・安田登の【能を知れば授業が変わる!】 第七幕
高校教師から能楽師に転身した筆者が、これまでになかった視点で能と教育の意外な関係性を全身全霊で解説します。後編の今回は、一人一人が最大限に力を発揮すると、調和が生まれるという話です。※本記事は、第七幕の後編です。
プロフィール
能楽師 安田 登 やすだのぼる
下掛宝生流ワキ方能楽師。1956年、千葉県生まれ。高校時代、麻雀をきっかけに甲骨文字、中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師時代に能と出合う。ワキ方の重鎮、鏑木岑男師の謡に衝撃を受け、27歳で入門。能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演など国内外で活躍。『能 650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)他著書多数。
各自が最大限に力を発揮すると「調和」が生まれる
一人一人が好きなことをしながら調和を見出す、それが「和(龢)」である、と前回に書きました。それを可能にするのは何でしょう。
能では、それは各自が一生懸命にすることだと教えられます。
私たちは「調和」というと、合唱など西洋音楽の方法論を思い浮かべてしまいます。合唱のときに大きな声で歌うと「調和をさせるために他の人の声を聴きなさい。そのためには自分の声を抑えなさい」と言われます。
しかし、能では逆です。みな、持てる最大限の力を発揮する。そうするとそこに調和が生まれる、そう考えるのです。
保育園や幼稚園で幼児たちが歌っているのを聴くと、音程は全然合っていないのに、しかし何か合っている、そう感じることがあります。幼児たちは一生懸命に声を出して歌っている。そうすると自然に合う、それが本来の「和(龢)」なのです。
聖徳太子は「和を以て貴しとなす」と言いましたが、これは『論語』の「礼の用は和を貴しとなす」という章句が元になっています。これは孔子の弟子の有子という人が言った言葉です。
ふたつを比べてみましょう。
似ていますね。しかし、意味はまったく違います。
「和(龢)」というのは、一人一人が別々の音、別々の意見を出すことでした。「礼」というのは規律のようなものです。一人一人が別々の音を出すとばらばらになってしまう。規律があってはじめてそれは貴く(調和)なるんだ、というのが有子の考え方です。
合唱に似ていますね。一人一人が定められた正しい音を出し、そのバランスを取る(礼)ことによって調和が生まれる。
しかし、聖徳太子は「和(龢)」そのものが貴いと言っています。みんなが各自ばらばらに音を出していい。意見も自由に述べていい。そこに誰かが決めた規律などは必要ない。それでも調和を生み出せる、それが日本人なんだと言っています。孔子の「和して同ぜず」もこちらだと思います。
能には「演出家」はいません。「この演目はこうやって演じるんだ」という指示を出す人がいないのです。その代わり、一人一人が自分の意志を持って舞台に臨みます。リハーサル(申し合わせ)がないこともあるので、最初はちぐはぐなこともあります。しかし、舞台が進行していくと、そこに調和が生まれる。それが能です。
それは能が「自律的」な芸能だからです。「自律」は自立とは違います。自律的というのは、律、すなわちルールが自分にあるということです。その反対が「他律的」、他人の決めたルールの中で生きることを言います。
例えばコンピュータ・プログラミングは他律的です。誰かが作ったプログラミング通りに動き、自分で自分のプログラミングを書き換えることはできない。ところが人間は、自分で自分を動かすルールを作り変えることができます。
社会生活で他律的の最たるものは法です。それは、国民は未成熟なものだという考えがベースにあります。だから、ちゃんとした人が作った法律に従わせるんだという考え方です。
子供たちも最初はそうでしょう。1年生に「自分たちでルールを作りなさい」と言っても難しい。できても、親や先生、あるいは世間の考えから影響を受けたものしか作れません。
しかし、本来、人間は自律的な存在です。自分の決めたルールの中で生きていくことが求められます。自分のルールといっても「毎日、6時に起きるようにする」などというのとは違います。それは世間を忖度したルールで自律ではありません。「学校に行かない」という選択肢も含めたルールを定めることが自律性です。
ところが日本では自律性があまり求められないために、自分のルールを自分で作り、それを自分が守るという習慣があまりありません。
メタバースが一般的になれば学校に来ないという選択肢もふつうになるでしょう。いまの子供たちが社会人になったときには会社に行かないという選択肢もふつうになるかもしれません。これから先は、より自律性が求められる時代になります。そうして「和(龢)」が大切になります。
子供たちの将来を見越して、自律性と「和」とを教えることが先生方にも求められるでしょう。そのためには、まずは先生方ご自身が自律性を身につけることが大切ですね。
構成/浅原孝子
※第六幕以前は、『教育技術小五小六』に掲載されていました。