3年生担任に決まったらこれだけは押さえておきたい指導のポイント【生活習慣&人間関係編】

3年生の学級担任に決まったら、どんなところに気をつけながら、子供たちを指導すべきでしょうか。3年生の発達段階を踏まえ、学級開き時に押さえるべき指導のポイントを、ユニバーサルデザインなどにも精通する山田洋一先生がレクチャーします。今回は「生活習慣&人間関係編」です。

山田洋一(やまだ・よういち)●北海道公立小学校教諭。1969年北海道札幌市生まれ。教育研修サークル「北の教育文化フェスティバル」代表。日本学級経営学会理事。著書は『個別最適を実現する!ユニバーサルデザインで変える学級経営ステップアップ術60』『子どもの笑顔を取り戻す!「 むずかしい学級」リカバリーガイド』(共に明治図書)ほか多数。
目次
生活習慣
検温、こまめな手洗いなど、新型コロナウイルス感染予防は子供たちの学校生活に大きな影響を与えています。生活の中でのタスクが増えて、情報を処理することが苦手な子供たちにはとても苦しい日々となっています。
短いとはいえ春休みがあり、学校生活から離れた子供たち、ついこの間まで低学年だった子供たちには背伸びさせるよりも、まずはできることを着実にできるようにしてあげて、自信をもたせてあげましょう。
①ルーティンをスムーズにできる支援をする
子供たちの朝の動きを春休み中に担任自身が体験しておきましょう。
玄関から校舎に入る→検温する→靴を脱ぐ→靴を自分の下駄箱に入れる→手洗いをする……。こうした動きを教師自身が一つ一つやってみます。そのときに、「もしも、こういう子がいたら……」と考えてみます。
「学校は、2つ児童玄関があるけれど、もしも分からなくなっている子がいたら……」「検温の習慣がなくなってしまっている子がいたら……」「下駄箱の位置が探せない子がいたら……」のように考えてみます。こう考えてみることが、子供たちへの支援の第一歩です。
次に、その子になりきって何があったら安心かを考えてみます。
「ここに大きく『3年生』という表示があれば……」「検温器に『はかった?』とイラストを付けておいたら……」のように考えを巡らせます。そして、それらを準備していきます。

教室でも、同様に考えてみます。
「戸に『おはよう!』というポスターを貼ったら……」「『うわぎ』→『学習用具を机に』→『本を選ぶ』……のような掲示があれば……それらがイラスト入りだったら」のように考えていきます。
もちろん、2年生までの生活を思い出して、表示などがなくてもできる子はいます。また、子供の様子によっては一度用意した支援をなくすときも来ます。しかし、学期のはじめにこうした生活の手順を示すことで、新しい教室、新しい担任、新しい仲間への適応がスムーズにできる子供も一定数いることは確かです。
②日直・当番は一度全員で行ってみる
日直や給食当番、掃除当番なども①で述べたように、手順をイラストなどで示してあげるとよいでしょう。その際、「誰が、何を、どの手順で」するのかが分かるようにすると、子供たちは安心です。しかし、手順を示したり、口頭で指示・説明したりするだけで、子供たちが様々な日常のタスクを行えるかといえばそうではありません。実際にやってみないと、ピンとこない子は多くいます。
そこで、日直が行う朝・帰りの会の言葉などは掲示することはもちろんのこと、一度みんなで音読するとよいでしょう。また、教室掃除のようにみんなで一斉に体験できるようなものは、一度全員で行ってみるとよいでしょう。給食当番は手順などが2年生までのやり方と違っている可能性がありますので、実物を使わずに「エアー」で一度配膳をしてみると、子供たちは楽しみながら学べます。
③子供に尋ねてみる
それでも、うまくできない子がいるのは当然のことです。基本的には叱ってはいけません。叱られてできるようになるのなら、3年生になるまでにその子はできるようになっているはずです。そうではないのは、これまでの支援が間違っていたからです。まだ、試していない支援をする必要があるということです。
しかし、それこそこれまでの担任があの手この手を考え、試したことでしょう。打つ手がないような気がします。そこで、最後の一手を試してみましょう。
3年生となると考える力も、言語能力もぐんと伸びてきます。その子に、直接必要な支援を尋ねてみましょう。「どんなことをしたら、またはどんなふうに言ってもらえたらできそう?」と。
もちろん、子供自身が考えた支援策を試したからと言って、できなかったことがすぐにできるようになるわけではありません。しかし、できないときにはさらに「どこを修正すればできそう?」「ほかに何かアイデアはない?」と聞くことで、自分の課題を解決する主体は自分自身だという意識を育てることができます。教師はどれだけ親切でも、その子の人生を生きることはできません。その子を、その子の人生の主体者に育てるかかわりが必要でしょう。