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【指導のパラダイムシフト#19】対応のパラダイムシフト⑤

連載
指導のパラダイムシフト~斜め上から本質を考える~

京都橘大学教授

池田 修

北海道公立小学校教諭

藤原友和

池田修先生×藤原友和先生の好評コラボ連載第19回。今回は「学習者主体の学習」を促す3大対応(評価言)のうち、「正誤の判断をする」評価言を身に付け、レベルを上げていく方法について提案します。1人1台端末時代、教育の変革期に奮闘する全ての先生方にとって必読の連載です。

執筆/京都橘大学発達教育学部児童教育学科教授・池田修、北海道函館市立万年橋小学校教諭・藤原友和

池田修

池田 修(いけだ・おさむ)1962年東京生まれ。国語科教育法、学級担任論などを担当。元中学校国語科教師。研究テーマは、「国語科を実技教科にしたい」「楽しく授業を経営したい」「作って学ぶ」「遊んで学ぶ」です。ハンモッカー。抹茶書道、ガラス書道家元。琵琶湖の話と料理が得意で、この夏は小鮎釣りにハマってます。

藤原友和

藤原友和(ふじわら・ともかず)1977年北海道函館市生まれ。4年間の中学校勤務を経て小学校に異動。「ファシリテーション・グラフィック」を取り入れた実践研究に取り組む。教職21年目の今年度は、教職大学院で勉強中。教師力BRUSH-UPセミナー、函館市国語教育研究会、同道徳研究会所属。

第19回のテーマは 「正誤の判断をする」評価言

授業での対応は、難しい。しかし、この対応を適切に行うことが、学習者主体の授業をつくるときには大事なポイントになる。これが私の仮説です。前回はこの仮説に基づき、評価言の一つ目の「1.認める」ためにはどのようなレッスンが必要なのかを考えてきました。

今回は、引き続き、「2.正誤の判断をする」ためのレッスンについて考えていきましょう。

評価言を身に付けるレッスン 2

正誤の判断をする

子供たちがいろいろな考えを出し、いろいろな意見を出す。これは授業をする教師にとっては理想的な状態の一つです。しかし、これをそのままにしておくことはできません。それが正しいのか間違っているのかの、判断を示す必要があります。

例えば、有名なところでは『「ごんぎつね」では、ごんは、kogituneと書いてありますが、その漢字をかきなさい』という問題があります。この有名な物語のごんはどんなkogituneなのかというと、多くの学生たちは「子ぎつね」と書きます。

しかし、本文を読むと「小ぎつね」と書いてあるので、「子ぎつね」では間違いということになります。子供の狐ではなく、成長した小型の狐ということです*1。このように事実と照らし合わせて、正誤の判断を示していく。これは、大事なことです。根拠を持って子供たちの意見に判断をしていきます。これは、教師が教材を研究することで、可能になっていくものでしょう。そういう意味では、教材研究が「2.正誤の判断をする」ためのレッスンと言えるでしょう。

ところが、正誤の判断には、もう一つ考えておく必要のあるものがあると考えています。それは、なぜ、その子供がそのように思ったのかということです。「ごんぎつね」で言えば、イラストが子ぎつねのように描かれているものが多く、それに引きずられてしまい、本文を読み落としていることがあります。私は、授業では「なぜ、その子供がそのように思ったのか」を確認するレベルまで行う必要があると考えています。

筑波大学名誉教授の中山和彦先生に、

子供は正しく間違える

という言葉があります。これは本当に味わい深い言葉です。
子供は疑問を持ち、その疑問を考えて解決しようとします。
例えば、飛行機に乗った5歳の子供が、離陸するときは大雨だったのに、離陸して雲の上に行ったら晴れているのがどうしても納得がいかなくて考えてしまいました。そして、その子供はある結論を出します。「ああ、これは明日の分の天気なんだ」と。

この答えは、間違っています。子供は知識も経験も少ないですから、このように間違えます。しかし、自分の持っている知識と経験を組み合わせて考えて、答えを導いています。その答えが間違っていただけです。私たちのように、分からないことがあったら、すぐにスマホで調べるということはしていません。自分の頭で考えて答えを出しています。間違っていますが、自分の頭で整合性に決着をつけて答えています。これが中山先生の言う「正しく間違える」だと私は理解しています。

そう考えると、この「明日の分の天気だ」と考えた子供は間違っているのでしょうか?

次の例を考えてみてください。小学校一年生の子供の例です。

「太郎君は5匹カブトムシを捕まえました。そのうちオスは3匹でした。メスは何匹でしょうか。式をたてて答えましょう。」

皆さんは、5-3=2 と答えましたでしょうか。

しかし、この問題に対して、その子供は

5+3=2

と答えました。
皆さんは、このとき、この子供になんと指導しますか?
「もう一度問題をよく見ようね」
「間違えて書いちゃったかな?」など言うでしょうか。しかし、それでは、この子供はますます、5+3=2だと言います。

ちなみに、この子供は5−3=2というのを知っており、5+3=8というのも知っています。しかし、この場合は、5+3=2だと主張しています。

さて、これはどうしてでしょうか? 考えてください。仮説を出してください。

考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中

3行ほど考えてもらいました。

大学の授業で、この問題を学生たちに出したところ、全滅でした。そして、その後に、「とにかく何か仮説を出してみましょう」と促したところ、

・ーというのを書こうとして、ついうっかりもう一本書いてしまい、+にしてしまった。
・オスが三匹くっついて、三組のカップルが出来て、2匹残ったからこう書いた。

というものが出てきました。私は、このように仮説を出すということが、子供を指導する際とても大切だと考えています。場合によっては、子供の答えを当てることよりも大事ではないかと考えています。子供にはいくつもの考え方がある。子供の数だけ考え方がある。だから、一つだけ出すより、いくつも出せる方がよいと考えています。

いくつもの仮説を子供たちに投げかけていると、やがて子供は自分で「それは、~です」と答える経験を私はしてきました。教師が決めつけることより、余程良いと理解しています。決めつけて、命中すればいいのですが、しない場合、
(勝手に決めつけないでね)
と子供たちは思うのです。

仮説で、いくつもの「間違い」を教師が言うとき、子供たちは、自分で自分の答えを言い始めます。
主体的に授業に参加しようとし始めます。教師が答えを言うのではないのです。子供が答えを言うのです。教師は、第17回で説明したように、さんまさんのように、パスを出し続けるのです。

学生たちは、この後こんな仮説も出しました。

・「たてて」とあるので、棒をもう一本立ててしまって、ーが+になってしまった。
・「たてて」というのは、足し算のイメージのする言葉なので、+と書いてしまった。

面白いですね。これも結果的にはこの子供の考えとは違っていますが、中にはこのように考える子供もいるでしょう。

無理矢理の理由を考えるレッスン

これらを思い付くためには、無理矢理の理由を考えるレッスンがいいと思います。生活指導系でやるとやりやすいです。

「いつも時間を守って登校してくるAさんが、なぜか今週は朝の学活には間に合わず、1時間目ギリギリに登校してきます。さて、なぜでしょうか?」

のような問題です。大学の授業では、25人のクラスで1人四つずつ出して、「重ならない100個の仮説を出してみよ」としたことがあります。正解主義に囚われている学生たちには、難しいものでした。だけど、出させました(^^)。レッスンですから。

なお、私は、学生たちが答えを出すたびに、「認める」評価言を出し続けました。ここでは一切を受け入れます。否定はしません。否定があったとき、仮説を生み出そうという思いは急速に萎んでしまいます。このレッスンをするときは、(これはないんじゃないか?)と思うものでも、それを言葉にはせず、全て受け入れることが大事です。

ちなみに、このAさんが遅れてきた理由は、「今週は、朝の連続ドラマがいいところだったので、家に帰ってから録画で見るのではなく、朝の時間で見たかったから」でした(^^)。そんなの分かるわけありません(^^)。 

繰り返します。多くの仮説を出すことが大事なのです。一発で当てるのは、テレビドラマです。実際の現場は、そうではありません。

さて、気になると思いますので、この「5+3=2」の方も説明しておこうと思います。

その子供は、「そのうち」を「やがて」と理解していました。つまり、「晩秋の夜の冷たい雨は、そのうち、雪にかわるでしょう」の「そのうち」の意味と理解していました。ここで求められている「その中で」とは理解していませんでした。時間の経過の「そのうち」と理解していたので、+を書いたということでした。絵本の読み聞かせをたくさんしてもらったその子供は、そのように考えていたのでした。

実は、その子供は、私の子なのでした。
私は、その理由を聞いて
「天才!」
とほめました。
親バカです(^^)。

子供は間違えるものです。そして、間違いは直す必要があります。しかし、その理路は確認してみましょう。多くの場合、(ああ、そう考えたなら、こういう答えもあるなあ)と認めるものがあるでしょう。子供が何回やっても間違えるということは、間違えていないということなのです。何らかの子供なりの「理論」があって、それに基づいて考えて答えを出しているのです。

間違いを指摘するだけの正誤の判断なら、親でもできます。
私たち教師は、その先に行きたい。もっと深いところで子供を理解したい。
なぜ、それをそのように考えたのか。その理路は何か。
それが分かったとき、その「間違い」を授業の宝物にすることができると考えています。

そのためには、子供の考えの理路がどのようにして生まれたのかの仮説を、どんどん出すレッスンをすることです。

おっと、予定の文字数になりました。「3.振り返りをする」は、次回へ回します。あとは、藤原先生、よろしくお願いいたします。

*1  本文中で、ごんは、自分のことを「わし」と呼んでいます。やはり子供ではないと言えます。

現場教師によるキャッチボール解説 by 藤原友和

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