#41 学校という場所の空気を読む【連続小説 ロベルト先生!】
今回はバレンタインデーのお話です。ロベルト先生のイベントへのスタンス、子どもたちへのあたたかい目線が感じられます。
第41話 バレンタインデー
「先生、もうすぐバレンタインデーだね。先生は子どもの頃、女の子からチョコレートもらったことがある?」
「もちろんさ。モテモテだったから食べきれなくて大変だったよ」
「先生、大人が嘘をついてはいけません」
「すみません…」
「先生、あげるね」
「ああ、それはどうも…」
こんな会話が数日前にあり、2月14日当日、帰りの会が終わって下校しようとする女の子数名から私はチョコをもらった。
今やバレンタインデーは「友チョコ」が主流で、女の子同士で交換し合っている。男の子たちにとっては悲劇なことだ。男である以上、この日ばかりは何かあるのではないかと期待してしまう。
しかし、ここで問題なのはそのことではない。学校にチョコを持ってきてよいものなのか? ということだ。
チョコに限らず、学校に不要物を持ち込むことはよくないことだ。例えば携帯電話やゲーム機などの高価な物が持ち込まれ、隠れてやっていたりすれば学習に集中できず、壊れたりでもすればその責任を取ることもできない。ましてや食べ物なんて以ての外で、隠れて飴やガムを口に入れるなど、学校が荒れる前兆としてよく見られる光景である。
バレンタインデーに友達にあげるチョコを持ってくることはどうなのか? 学校がそのような場に使われるのはどうなのか?
バレンタインデーだろうが何だろうが学校には不要物を持ち込まない。これが一般的な考え方かもしれない。
これは私の個人的な考えだが、1年の中には特別な日というものがある。
例えば4月1日のエイプリルフール。これは春休み中なので嘘をついたからと言って学校では大きく取り上げられることはないが、もし、嘘をつく計画を立てたとしたら、その後のフォローまで考えておけば面白いことができるのかもしれない。
母の日や父の日。以前には母の日に学校でカーネーションをまとめて購入し、家に帰ってお母さんに渡すなんていう計画もあった。しかし、これだけ母子家庭や父子家庭が増えてきている今日、母の日や父の日という言葉を発すること自体、子どもたちの家庭状況を把握して配慮しなければならなくなっている。子どもたちには個人的に対応してほしいと考えている。
さて、話を元に戻す。
バレンタインデーに友達にチョコをあげるのも個人的な問題なので子どもたちに任せている。家に帰ってからその子を呼び出して渡すのが一番よい方法だ。もし学校で渡す以外方法がないとすれば、学校に持ってきてもいいかなどは教師に確かめないで、子どもなりに学校という場所の空気を懸命に読みながら、タイミングを見計らって渡してほしい。これが私の理想である。
どうしてもチョコを渡したいという子どものスタンスを大切にしながら、私が子どもに求めたい「空気を読む」という生きる力である。
後で聞いた話だが、友チョコが流行っているとは言え、積極的な女の子はちゃっかりと本命の男の子数人に(本命が数人いていいのかはまた別の問題だが)私の見えないところで渡していたようだ。
特別な日だから目を瞑ろう…。
執筆/浅見哲也(文部科学省教科調査官) 画/小野理奈
浅見哲也●あさみ・てつや 文部科学省初等中等教育局教育課程課 教科調査官。1967年埼玉県生まれ。1990年より教諭、指導主事、教頭、校長、園長を務め、2017年より現職。どの立場でも道徳の授業をやり続け、今なお子供との対話を楽しむ道徳授業を追究中。