たこ焼きを作ろうとして、桃ができたことはありますか?<アート思考を育むアート鑑賞vol.1>

連載
先生のためのアート思考(『13歳からのアート思考』末永幸歩先生)

美術教師・アーティスト

末永幸歩

中学・高校の美術教師として行ってきた授業内容を一般向けに書き下ろし、19万部突破のベストセラーとなっている『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)の著者・末永幸歩先生。

今回は、末永先生が九州大学で行ったアート・シンキングの授業から、教師人生に役立つアート思考のエッセンスをご紹介します。

龍虎図屏風(りゅうこずびょうぶ)を鑑賞する末永先生。

鑑賞についての違和感

今回の記事は、九州大学大学院芸術工学府(ストラテジックデザインコース)で行われたアート・シンキングの授業(2022年7月2日から全8回)をもとに構成しています。

この授業の主題は、「自分なりのものの見方でみる」というもの。

いわゆる対話をしながら進めていく美術鑑賞なのですが、従来の「作品をありのまま見る」鑑賞スタイルについては、末永先生自身に違和感があったとのこと。

今回の授業を通して、自分なりの考えを以下のように再認識したそうです。

■みるって視覚だけのこと?
五感でみたり、想像によって目には見えないものをみたりすることも「みる」である。

■対話が深まるって、「みんな違う考えだね」で終わること?
対話が深まるとは、相手のまなざしになって「みる」ことにより、今まで見えなかったものが見えたり、新しい想いや考えが生まれたりすること。

■「作品とのやりとり」によってもたらされるものは、観察力?
作品の中に全ての答えが詰まっているという前提で、見落とさないように見る「観察的な見方」を磨くのではなく、作品とのやりとりによって自分の想い(主題・興味・問い)に気づく方が価値がある。

これらを頭の片隅に置きながら、読み進めてみてください。

鑑賞する作品は、「龍虎図屏風(りゅうこずびょうぶ)」の高精細複製品(京都文化協会とキヤノンが推進する「綴プロジェクト」制作)。17世紀(桃山時代)の長谷川等伯の作品で、原本はボストン美術館に所蔵、複製品は大分県立美術館に所蔵されている作品です。

大分県立美術館に所蔵されている高精細複製品。京都文化協会とキヤノンが推進する綴プロジェクトの協力により、九州大学内に運びこんで授業が行われました。

この講義の流れは大きく以下の三部構成になっています。

① 龍虎図屏風を鑑賞
② ①によって自分の中に芽生えた想いをもとに工作する
③ ②を鑑賞

まず、この記事では、「①龍虎図屏風を鑑賞」の講義から、「先生のためのアート思考」をひもといていきます。

大人は子供よりも◯◯と△△に頼りすぎている

講義の冒頭、末永先生は自身が監修を務める教育番組において、一般の5歳の男の子が作ったという作品を紹介しました。

それは、折り紙や毛糸、紙コップ、絵の具などを使って食べ物や飲み物を工作したものでした。

5歳の男の子がどのような思考過程で工作をしていたかを行動から読み取って紹介する末永先生。

「この子は最初、たこ焼きを作ろうとしていたそうなんです。ここにたこ焼きがありますよね。たこ焼きの隣には様々な色の水溶液が入ったコップがあります。たこ焼きの焼き目を塗って、茶色い絵の具のついた絵筆を洗ったときに、水入れの水の色を見て、その子の中でコーヒーが出来上がっていました。その発想から派生して、色々な絵の具をといて、りんごジュースとか、他の飲み物も作っていったのではないかと考えられます。注目すべき点は、たこ焼きの横に、桃が添えられていること。現実にはあまりない組み合わせですので、『桃を作ろう』と計画していたとは考えにくい。おそらく、ピンク色の飲み物を作ったあと、丸めたティッシュで絵筆を拭いたときに桃みたいだなと思って、桃を作ったのではないかと考えられます」

スタートからゴールまでの最短距離を探そうとする大人に対し、子供は都度対象を捉え直す。

大人だったら、たこ焼きを作るって決めたら、たこ焼きしか出来上がらないのではないでしょうか。スタートからゴールまでの最短距離を探しますよね。でもこの子は、作りながら新鮮な目で対象に出会い直している。また、同じ工作の他の箇所では、おそばが作られています。しかし始めは毛糸から着想した様子で『パスタを作ります』と言っていた。でも、工作途中に匂いを嗅いだらおそばの匂いがしたそうで、そこからパスタがおそばにガラッと変わります。五感を駆使して対象をみつめ直すような見方も、大人はなかなかしないのではないかと思います」

これこそが「自分なりのものの見方」。

「子供はみんなアーティスト」というピカソの言葉を紹介しながら、子供はすでに自分なりのものの見方ができている一方、大人は視覚による認知と言葉による理解に頼りすぎていると末永先生は指摘しました。

それを体感できる、ミニ・ワークショップもご紹介します。

ミニ・ワークショップ 〜視覚や言葉を除いてみてみると?〜

外からは何が入っているかわからないようにして何かを入れ、視覚と言葉を使わずにものを「みる」、ということをしてみます。

今回、末永先生は、二重にしたレジ袋に「ある物」を入れて、学生たちに配りました。
このワークショップを行ったときの学生たちのワークシートの一部を紹介します。

何が配られたのか分かりましたか?

……正解は、卵でした。

ワークの後のディスカッションでは、

「触っているうちに卵だなと思って、握り潰したくなって割ってしまった」
「でも、割ろうかなと思ったのは、卵だからだと(言葉で)認識したからなのかも」

などといった感情も吐露され、言葉や視覚から自由にみるということの難しさも語られていました。

ぜひ先生も、視覚に頼りすぎていると感じることがあれば、このワークをやってみてくださいね。

言葉から自分の思考が狭められてしまうことを身をもって感じた学生たち。

さて、今回鑑賞する対象は、歴史的な美術作品。どのような意図で作られたのかということは、調べればわかってしまうもの。

しかし、その視覚や言葉に頼りすぎずに「自分なりのものの見方」ができるのか、ということが今回のテーマなのです。

末永流・作品鑑賞の2ステップ

作品鑑賞は本来自由なものですが、こうした大人の根強い「ものの見方の枷」を外すために意識的に行っていることがあると末永先生は言います。

末永流・鑑賞の2ステップ

1、「気づいたこと」「思ったこと」を箇条書きでできる限りたくさん書き出す
→「どこからそう思ったのか?」「そこからどう思ったのか?」を考える


2、1でしていた見方を否定する。「もしそうでないとしたら……?」と否定する。


※とるに足らないような気付き、違和感、ダメ出しを書いてもいい。
※作者の考え、一般的な解釈と違う、ありえない見方、馬鹿げた見方でもいい。

これは、美術館などでの鑑賞でも使える考え方なので、ぜひ先生も真似してみてください。

その人なりの出会い方ができる工夫を

学生たちはいよいよ別室に用意された龍虎図屏風と対面。

上記の2ステップで個人鑑賞(30分間)をすすめ、ワークシートに記入した後、全体で対話(15分間)を行いました。

「今回の鑑賞授業からは話が逸れますが、よく、子供向けのワークショップなどで見られるのですが、滅多にできないような造形遊びができる環境があると、大人は『せっかくの機会だから大胆にこの場で遊ぼうよ!』 と、必死に子供たちを誘うんです。でも、当の子供たちは戸惑ったり隅っこの方にいて、その場の空気に馴染むのに時間がかかるということもしばしば。私はその瞬間こそ、その人らしいと思うんです。はじめの出会いの瞬間は一回しかありません。小さな違和感とか、戸惑いもその人らしい感覚だから大事にしたい。だから、授業者として、作品との出会いにはなるべくこちらはガイドしたり聞き出したりせず、個人鑑賞の時間をたっぷりとったあとで対話という流れにしました

実際、学生からの感想でも、「椅子に座ったり、床に座ったり、近づいたり、満足するまでゆっくりと作品を見られてよかった。自分のペースで鑑賞できたのは久しぶりだと思った」という声や、「飽きるまで見ることで自分が思ってもみなかった考えまで出てきた」大昔に星座を作った人たちもこのような感覚だったのではないかと思いを馳せている学生もいました。

複製品とは思えない精緻さ。「古いにおいがしないことに違和感がある」という声もあがりました。

さて、第一印象としては、睨み合う龍と虎、今にも戦いが始まりそうな緊張感などを感じ取っている学生が多く、そう思った理由としては、全体のトーンの暗さ、二体を隔てる距離、対比を感じさせる表現などが挙げられていました。これは、まさに観察的な見方。

しかし、「もしそうでないとしたら…?」と考えていく段階になると、「実は二体ではなくて仲間がいるのかもしれない」「二体は見つめあっていて、恋に落ちているのかもしれない」「虎じゃなくて猫なのかもしれない」など、見方にバラエティが出てきました。

「最初に書き出したことは必ずしも『自分が感じたこと』とは限りません。むしろ、社会的、文化的、学習した見方であることが多い。だから、その時点で自分の見方を疑うことと自分の見方をすることは表裏一体なのです」(末永先生)

「短い物語」「勝手な作品解説」「絵で表現」いずれかをかく       

次に、学生たちは、上記の鑑賞のステップで書き出したことから一つを選び、「短い物語」「勝手な作品解説」「絵で表現」いずれかの形で思いを紙にアウトプット(30分間)。

その一部を紹介します。

学生たちが全く同じ作品を見たとは思えないほど、バラバラのアウトプットとなったのです。
めでたし、めでたし!

「知りたい・伝えたい」という思いが対話を生む

……ではなく、そこからさらに踏み込んでいくのが今回の授業。

鑑賞についての違和感を思い出してください。

アウトプットができた人からボードに掲示し、それぞれ個人鑑賞(30分間)した後、対話(15分間)を行いました。

対話を生むには、『伝えたい・知りたい』と言う思いが必須。見る人にとっては、書いた人の解説なしに見ることで『これはなんだろう?』という想いがふくらみ、書いた人にとっては、アウトプットしたものだけを見せているので、対話ではそこに至った思考プロセスを話したくなるだろうと考えました」(末永先生)

対話を終えた学生たちからは、このような感想がありました。

「『睨み合っている』という見方から離れられなかったが、対話で『恋に落ちて恥じらいながら見つめあっている』という考えに出会い、その対話の後で作品を見ると、中央が天の川に見えたり、七夕を連想するようになった」
「屏風の美しさを文字の美しさに変換した◯◯さんの作品を見て、美しいイメージが湧いてきて、創作意欲が生じた」

美術作品の鑑賞をきっかけとして、対話を深め、さらに新しいものが生まれていく……鑑賞とはこのように創造的なものなのです。

次回からは、この体験をきっかけに学生たちがどのような作品を創作したのかを紹介していきます。


いかがでしたか?
自分自身がかつてアーティストだったときの感覚(=子供時代のものの見方)を取り戻し、子供と接する大人として魅力的であり続けたいものですね。

末永先生プロフィール写真

末永幸歩(すえながゆきほ)
武蔵野美術大学造形学部卒、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。東京学芸大学個人研究員、浦和大学こども学部講師、九州大学大学院芸術工学府講師。中学・高校で展開してきた「モノの見方がガラッと変わる」と話題の授業を体験できる「『自分だけの答え』が見つかる13歳からのアート思考」は19万部を超えるベストセラーとなっている。

取材・構成・文/福原智絵

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