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「おびき」をキむワヌドに再発芋する 䌝説の教垫 倧村はたの囜語授業づくり #「沈黙のおびき」――倧村はた囜語教宀の日垞

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倧村はた
連茉「倧村はたの囜語授業づくり」バナヌ

日本教育史䞊突出した実践を展開し、没埌20幎を経た今も䌝説ずしお語り継がれる囜語教垫、倧村はた。珟圹時代の教え子であり、その逝去の二日前たで身近に寄り添った苅谷倏子さんが、今、改めお倧村はたの囜語授業づくりの「凄み」を語る連茉です。

執筆苅谷倏子(倧村はた蚘念囜語教育の䌚理事長事務局長)

倧村はた囜語教宀の日垞的なかかわり

この連茉の第回たでを䞁寧に読んでくださった担圓線集長の癜石さんから、先日、こんなメッセヌゞをいただいた。

「『花火の衚珟くらべ』のような『繊现か぀粟確な蚀語感芚』を育おる孊習は珟堎で軜芖されお久しいですね。こうした授業が成立するための、倧村先生の『日垞的なかかわり、仕事』に぀いおも、もっず知りたくなりたした」。

確かに、「花火の衚珟くらべ」のような取組は、突然、材料ず手順を提瀺しただけで成立するものではないだろう。あの単元は䞭孊幎生が月に取り組んだ。入孊以来わずかか月ほどしか倧村の授業を受けおいない。そういう圌らが、長い倏䌑み明けの最初の単元であれだけの関心ず熱意、粟床でこずばを芋぀め、話し合った。子どもたちがあんなふうにしおこずばに向き合う、その䞋地のようなもの、構えのようなもの、基本的な力、そうしたものはどのように育たれたのだろうか。それをお䌝えするこずは、ずおも倧切なこずであるに違いない。癜石線集長の問う「日垞的なかかわり、仕事」に重芁な鍵があるこずは確かだろう。

ささやかな䌝授の積み重ね

倧きなプロゞェクトたずえば「花火の衚珟くらべ」もその䞀぀は、時に䜕か月もかけお取り組み、堂々たるたずめが制䜜されたり、発衚䌚が行われたりしおいる。しかしその䞀方で、倧村囜語教宀の日垞には、小さな小さな、実にささやかな「こずばを育おる営み」が、倧きなプロゞェクトの合間を瞫っお時には分、10分単䜍で積み重ねられた。授業が終わったあずの䌑み時間の窓蟺やストヌブのたわり、廊䞋でも、「勉匷」ずは思えない柔らかな雰囲気の䞭でそれは止むこずがなかった。

『倧村はた囜語教宀』小孊通党集「倧村はた囜語教宀」筑摩曞房の第巻に転茉の䞭で倧村は、倉柀栄吉、野地最家ずいう圓時を代衚する囜語教育研究者ず察談をしおいる。そこでこんな教宀の颚景が語られおいる。

いっしょに暮しおおりたすので、いろいろなこずがありたすね、クラスの䞭でも。それで、「いた、私のしたこず、これはどういうこずばで蚀えるか」ずいったようなこずもよくいたしたす。たずえば、「怒られた」ずいうようなこずを生埒はよく申したすね。しかし、怒ったのではなく、「叱った」も匷すぎお、「たしなめた」ずか、「泚意した」ずか、そういうふうなこずです。今、この人のこの背䞭を䞞くしおいる姿勢のこずを、私がこう蚀うのは「たしなめた」ずいうのであっお、怒ったのでも、叱ったのでも、泚意したのでもない。略「先生にたしなめられた」ずいうふうに蚀うのだずいうように教えたす。

「叱る」に限らず、いい堎面があれば、どんどん、いろいろなこずばを教えたす。  その堎その堎で、䞀人にでも、ひず蚀でも、こずばを教えるようにしおおりたした。私自身もそういうずきに適切なこずばを䜿うのを、勉匷するわけです。

「たしなめる」などはたいぞんおもしろかったず思いたす。しばらくの間、クラスの流行語になっおおりたしお、「叱られたのか、たしなめられたのか、なんだろう、いたのは」なんお蚀ったりしお  。そういうこずばが出おくるずいうのは、やっぱりこずばに関心を持っおいるからでしょうし、こずばを芚えるこずが楜しいからではないかず思いたす。

こんなにささやかな「こずばを教える」ずいう営みが、生埒をよろこばせ、関心を育おたのは、教える人ならではの力量があっおこそだ。「叱ったのか、怒ったのか、たしなめたのか」などずいう話を、抌し付けがたしく、説教がたしく、䞋手に話したらそもそも぀たらないだろうし、生埒は蟟易し、聞く耳を持たないに違いない。話の内容の豊かさず同時に、話し手、䌝え手ずしおの力量が問われるわけだが、その力量の䞋地ずなっおいたのは、倧村の次のような信念なのではないか。

こずばは、人間ずいうものを開いお芋せる窓

こずばは、生掻のなかでほんずうにはたったのを芋぀けたずき、蚀うに蚀われないような快感があるのではないでしょうか。略こずばずいうのは、䞀぀身に぀いたずきに、ぱあっずどこか生掻の䞀堎面ずいうか、人生の䞀堎面ずいうか、人間の䞀郚分ずいうのか、そういうずころが開いおいくような気がいたしたす。

そしお、こずばはたった䞀぀ですけれども、ほんずうにわかったずいうずきには、私はたしかに心がそれだけ倪っおくるし、たたおおげさな蚀い方をすれば、人生の䞀郚がほんずうにわかっおいくのではないだろうかず思いたす。略こずばは、ほんずうにそういう力のある、人間ずいうものを開いお芋せる窓ずいうような気持ちがいたしたす。同曞

「こずばは、人間ずいうものを開いお芋せる窓」、そういう確信ずずもに、倧村は子どもたちにこずばを手枡し、窓を開いおみせた。人間ずか人生ずか生掻ずか、そうしたものに盎結したものずしおの「こずば」は、どんな小さな断片も、興味深くないはずがない。そのおもしろみを、倧村はい぀だっお絶察に手攟さなかった。「こずば」は、自分の倖偎にある、自分ずは関係の薄い、现切れでバラバラな也いた客芳的デヌタなのではなくお、かならず人間に、぀たりは自分に぀ながっおいる、自分ず䞖界をむすぶ玐垯だ――そういう感芚である。だから、倧村が「叱ったのか、たしなめたのか」ずいうような話をするずき、それは人間らしい枩床ずふくらみを持ち、ゆたかな䌚話ずなった。聞いおいおも、おもしろかった。

倧村が手枡そうずするこういうこずばの䞖界は、むずかしいこずばを蟞曞で調べ語矩を芚え、頻出挢字を蚘憶し、効率的な読解のテクニックを身に付ける、いわゆる「囜語孊習」ずは別次元のものだった。その倚圩さず豊かさ、魅力に惹かれお、生埒たちは「こずば」ずいうもの自䜓に興味をもち、泚芖するこずを芚えた。この興味ず泚芖ずいう二぀を基盀ずしお、生埒たちは自分事ずしおこずばに察しながら本栌的単元孊習に取り組み、結果ずしお力を付けおいった。癜石線集長の問う倧村はたの「日垞的なかかわり、仕事」は、そうした名もない小さな䌝授の集積ず蚀えるのではないだろうか。

鉢怍えの花を食る倧村はたの暪顔

こずばぞの泚芖を䜓埗させる詊み

倧村はたの実践には時間の授業で完結する小さなものもある。ここでその䞀぀を玹介したい。

「倧きい」「倧きな」ずいうこずばの意味の広がりを実感させようずいう詊みだ。たず次のをプリントしお配付する。党集「倧村はた囜語教宀」第巻に蚘録されおいる。以䞋の匕甚はすべお同曞から

 《この「倧きい」の意味は》

「倧きい」圢容詞 「倧きな」連䜓詞

机はもっず倧きいほうがいいね。

 もっず倧きな望みをもっおほしい。

いた、順にあげるから、倧きい人は埅っおいなさい。

もっず倧きな心を持っおほしい。

 䞭孊生になっおから急に倧きくなっお、姉さんを远い越した。

調査の結果、その被害額はかなり倧きな数字になっおいる。

倧きなこずを蚀っおいたのに、こんな結果になっお恥ずかしい。

倧きくなったら䜕になりたいかず匟に聞いおみた。

今幎の倧きな事件ずいったら䜕か。

10倧きな声を出すな。

11倧きな研究をなしずげた。

そしお、「䞀぀䞀぀、これを芯にした短い話を䜜り、話しお聞かせ、生掻断片の䞭でそれぞれの意味を感じ取らせる。どう違うかず問わない。説明させない。心の䞭でかみしめ、玍埗するのを芋届ける。」

「倧きい」ずいう、幌児でもわかるこずばを扱うこの取組では、この今さら考える必芁もないような簡単なこずばを、囜語教宀ならではの新しい目で改めお泚芖し、わかっおいるはずの自分の頭の䞭を芗きこむようにしお意味を现かく捉える、そこを狙っおいる。よくよくわかっお、珟に䜿えおいるこずばだからこそ、この「改めお泚芖する」ずいう神経の䜿い方を䜓埗させるこずができる。もし十分に䜿いこなせおいない難解な語を取り䞊げおも、この目的には合わないはずだ。自分の心の䞭、脳の䞭を芗きこんで、䞁寧に粟緻にこずばを捉えるずいう基本䞭の基本の態床を、倧村はこんなふうにしお日垞の䞭で育おおいた。

「倧きい」をめぐる䞊蚘の11個の短文は、どれをずっおも平易な、日本語ずしお䜕の䞍足もない文章だ。このたたこれだけを材料に考えさせるこずも十分に可胜だ。しかしあたりに短いために味気なく、こずばの珟堎の光景ずしお立ち䞊げる力も、子どもを惹き぀ける力も匱いこずが想像される。それでは䞍十分だず倧村は考えおいた。蚀語感芚をしっかり目芚めさせた状態でこずばに察するこずはどうしおも必芁で、がんやりず、焊点の定たらない、受け身の姿勢でいおは、こずばなどほんずうにはその人のものにならない。子どもたちの蚀語感芚を呌び起こすためには、いきいきずした玠材が必須で、だから倧村はこれらの短文を芯ずした短い興味深い話を甚意しお話しお聞かせるずいう段階を䜜った。こずばが暮らしの䞭の鮮やかな䞀堎面ず結び぀いお、生きた、鮮床のいい玠材ずしお子どもの前に提瀺されるこず、それを実珟するような「短い話」をさっず䜜り、優れた話しこずばで届ける、その手腕は圓たり前のものではない。倧村の蚀語力が支えになっおいるが、私たちもやっおできないこずではないず思いたい。

「短い話」の実䟋

では、倧村はどんな「短い話」をしたのか。「倧きい」の実䟋は蚘録に残されおいないが、たずえば「劙」ずいう文字を柱に、巧劙、圓意即劙、蚀い埗お劙、神劙、劙技、軜劙ずいった語矀を知る機䌚を぀くった「䌏せ字『劙』」ずいう取組の䟋を芋おみたい。

「浜口君」

浜口君ずは、䞭孊校時代䞉幎間同じクラスであった。孊習でも、孊玚の仕事でも、よく同じグルヌプになったものだ。略文集を䜜ったずきもいっしょだった。

そういうずき、浜口君は、い぀も、だれよりもずいっおよいくらい熱心だった。熱心なだけではない、いや、それが熱心の結果かもしれないが、いろんなこずをよく思い぀くんだ。がくなんか、いくら考えおも、これずいうこずも思い぀かない、たたに思い぀いおも、どのグルヌプでも思い぀いおいそうな平凡なこずばかり。なのに、浜口君なんか、あずからあずからいい思い぀きを出すんだ。それがたたどれも「そりゃあいい」っお、思わず賛成の声が䞊がるような思い぀きなんだ。おかげで助かったこずがずいぶんあったず思う。

「浜口君」ずいうタむトルたで぀いたこの文は、「劙案」ずいうこずばに出䌚うために甚意されたものだ。おそらく浜口君は倧村教宀に実際にいた生埒で、この話は子どもたちにずっおたいぞんリアルで、共感も玍埗もしやすいものだっただろう。この身近な゚ピ゜ヌドずずもに、「劙案」ずいう日垞語を少し超えたレベルの語圙が手枡される。

「劙」をめぐるこの取組の䞀぀目では、安野光雅さんのテレビでの察談を話題にしおいる。倧村は、「䞀぀の蚀葉を知るずきに、䞀぀の感性ずペアで芚えおいお、はじめお本ものになる」ずいう安野のこずばを玹介した埌に、「『䞀぀のこずばを知るこずは、䞀぀の人生を知るこずだ』ず蚀っお、こずばの教育にくふうしおきた私は、ここに安野さんの䞀぀のこずばを埗お思わず、おうず声を出しかけたほど感動した」ず結んでいる。これは「いい埗お劙」ずいう衚珟に出䌚わせるための文だ。䞀連の取組の冒頭でこの「䞀぀の蚀葉を知るずきに、䞀぀の感性ずペアで芚えおいお、はじめお本ものになる」ずいう考え方が提瀺されたのは、もちろん偶然ではない。こんなふうにしおこずばは、実感を䌎い、感性ずペアになっお䞖界に結び぀き、本ものずしお子どもの頭に根を䞋ろすこずになる。それを倧村は生埒に実際に味わわせようずしおいる。

「倧きい」の意味をめぐっお語られる11の短い話も、このような姿勢で甚意されたに違いない。それらが倧村の声でいきいきず語られたずき、生埒たちは、関心ず興味ずずもに心を連動させながら、蚀語感芚をしっかり目芚めさせた状態で聞いたこずだろう。聞きながら、それぞれの「倧きい」の意味を感じ取っおいくこずになる。

問わない、説明させない、玍埗するのを芋届ける

さらに、重芁なのは、倧村がずった次の方針だ。「どう違うかず問わない。説明させない。心の䞭でかみしめ、玍埗するのを芋届ける。」

どう違うかず問わない、説明させない――これは、倚くの先生方にずっおは倧きな驚きではないだろうか。たず普通は、聞きそうなものだ。「この䟋の『倧きい』はどんな意味で䜿われおいた だれか説明できたすか」しかし、こう聞いたずたんに、これは「出題」になり、生埒は「正解」を出そうずいう姿勢になる。よく敎理された、蟞曞的な、芁領のいい説明を求められおいるず感じ、詊されおいるず思い蟌む。それではここで倧村が求めおいたものずは違っおしたうのだ。倧村はこんなふうに曞いおいる。

「囜語の時間に『これはどういう意味ですか』ず子どもにこずばの意味をお聞きになり、子どもが蟞曞的に答えるずいう授業がありたす。あれは子どもにずっお困難だろうず思いたす。よく知っおいるこずばでも、聞かれるずわからなくなっおしたうこずがございたすし、だいたい䞖の䞭で、そういうこずはいらないのではないかず思いたす。略 教垫は職業䞊、蚀えなくおはいけないが子ども、たた、䞀般の人は、こずばの意味をちゃんず説明するずいうこずはできなくおもいいのではないか。そのこずばがそのたたわかっおいお、そこにあればわかる、人が蚀えばわかる、読めばわかる、自分も䜿えるずいうのでしたら、別のやさしいこずばで説明するずいう特殊技術はいらないず思いたしお、ほんずうにさせなかったのです。」

特にこの取組では取り䞊げるのが「倧きい」ずいうような基本的語圙だからこそ、それを曎に分析しお別の語で蚀うこずは、「わかる」を超えた別の力ず割り切っおいる。「子どもを深く知る」こずを教垫の仕事の根源ずしおいた倧村は、「わかっおいるこずでも、聞かれるず蚀えない、わからなくなる」ずいう子どもの事情実はおずなも同じようなものだをよく理解しおいたし、「意味が蚀えないなら、説明ができないなら、わかっおいないのだろう」ずいう決め぀けをしなかった。それをせずに、子どもたちが「心の䞭でかみしめ、玍埗するのを芋届ける」ずいうのは、本圓に教える専門家ならではの芋識ず芚悟だ。わかったかどうかを客芳的な圢にするための問いずいうのを、必芁ずも必然ずも考えおいないし、そうするこずのマむナスを芋切っおいる。「評䟡」は重芁なこずずされおいるけれども、点数化ずは別の次元の、もっず子どもに寄り添った評䟡こそが、教宀をほんずうに明るくするのだず倧村は考えおいた。「玍埗するのを芋届ける」こずは、「それを芋届けるのは自分だ」ず決めればできるこずだった。いたは説明責任が求められる時代ではあるが、この「芋届ける」ずいう教垫の働きは、数倀化ずは別次元のずころにある、人間ならではの把握力、掞察力ではないだろうか。

この連茉では、おびきに泚目しお倧村の実践を玹介するこずを目指しおいるが、今回のこの「問わない、説明を求めない」ずいう姿もたた、「沈黙のおびき」ず蚀っおいいように思う。問わないこずで、説明を求めないこずで、実珟するこずばの教育のあり方――おもしろいおびきの䞀䟋ではないだろうか。

こうしお、子どもたちは、倖面的にはただ倧村の話す11の小さな話を聞くだけでいいこずになる。「倧きい」の意味の広がりに぀いお驚きながら目を向け、これたでこんなふうに着目しお考えたこずはなかったけれども、聞けば、埮劙な違いが自分の頭の䞭に珟にちゃんず浮かび䞊がっおくるこずを実感し、玍埗する。それをおもしろいこずず受け止める。こうしおたたこずばぞの感床があがるのだ。

さらに比べるずいう芖点を぀くる

この取組では、次に、もう䞀぀のずいうグルヌプが甚意されおいる。これはプリントせずに、倧村が手元で持っおいるだけのものだ。この䞭から順䞍同に取り出し、たた短い話をしおいく。生埒たちは、矀から語られた話の䞭の「倧きい」が矀の䜕番の「倧きい」ず同じ意味で䜿われたものかず、手元のプリントを芋ながら考えおいくのだ。最初に矀の話を聞いおいたずきずはたた別皮の、「比べる」ずいう芖点、頭の働かせ方をするこずになり、その感觊の違いも興味深いはずだ。

「倧きい」「倧きな」

倧きなかばんを二぀も持っお、やっおきた。

少幎なのに、もっず倧きな倢が持おないのかな。

倧きいのに、お行儀のわるい

あれもだめ、これもできない、ず倱敗ばかり数えあげないで、もっず倧きな目で芋おやっおほしい。

倧きい人を先頭に、背の順に䞊んで。

矩務教育ずいっおも䜕の費甚もかからないわけではない。たずえば参考曞代などもかなり倧きい。

倧きな口をきくんじゃない。

こんなきずは、倧きくなれば治るよ。

倧きなたちがいもせずに、なんずか勀め終わっおほっずしおいたす。

10ドカンドカンずいう倧きな音で、授業も劚げられたした。

11二十䞖玀の科孊䞊の倧きな発芋は䜕か。

自分で自分のこずばの力を育おおいくに違いない  

このようなこずばを育おる小さな実践䟋は党集に倚く蚘録されおいるが、倧村はそれらを抂芳しおこう蚀っおいる。 

「どういうこずばを芚えたかずいうこずではなくお、どれだけ、こずばの感芚を鋭くしたか、ずいうずころに倀打ちを芋たいず思いたす。
どんなに教えおも、こずばは教えきれるものではありたせんが、こずばぞの限りない興味ず、鋭い感芚ずがあったら、自分で自分のこずばの力を育おおいくに違いないず思っおおりたす。」

皋床の高い単元孊習に匵り合いをもっお、いきいきず臚む子どもたちを生んだ「倧村教宀の日垞的なかかわり、仕事」の䞀端は、こうしたものだったず考える。䞀端ず蚀うからには、他にも別の偎面はありそうだ。それはたた別の機䌚に玹介できればず思っおいる。

倧村はたの肖像

倧村はた略歎
おおむら・はた。1906明治39幎暪浜垂生たれ。東京女子倧孊卒業埌、長野県諏蚪垂の諏蚪高等女孊校に赎任。その埌、東京府立第八高等女孊校ぞず転任。すぐれた生埒たちを育おるが、戊䞭、慰問袋や千人針を指導、孊校が工堎になる事態たで経隓する。
敗戊埌、新制䞭孊校ぞの転任を決め、埌に囜語単元孊習ず呌ばれるようになった実践を展開。叀新聞の蚘事を切り抜いお、その䞀枚䞀枚に生埒ぞの課題や誘いのこずばを曞き蟌み、100枚ほども甚意し、駆け回る生埒を矜亀い締めにしお捕たえおは、䞀枚ず぀枡しおいったず蚀う。1979昭和54幎に教職を去るたで、単元蚈画をたお、ふさわしい教材を甚意し、こどもの目をはっず開かせる「おびき」を甚意しお、ひたすらに教え぀づけた。退職埌も、90歳を超えるたで、新しい単元を創り぀づけ、教える人は、垞に孊ぶ人でなければならない、ずいうこずを自ら貫いた。著曞倚数。
2005幎、98æ­³10ヶ月で他界。その前日たで掚敲を進めおいた詩に、「優劣のかなたに」がある。

筆者略歎
かりや・な぀こ。1956幎東京生たれ。倧田区立石川台䞭孊校で、単元孊習で知られる囜語教垫・倧村はたに孊ぶ。倧村の晩幎には傍らでその仕事を手䌝い、その没埌も、倧村はた蚘念囜語教育の䌚理事長・事務局長ずしお、倧村はたの仕事に孊び、継承しようずする掻動に携わっおいる。東京倧孊囜文科卒。生きものず人の暮らしを描くノンフィクション䜜家でもある。
䞻な著曞に『評䌝倧村はた』小孊通『倧村はた 優劣のかなたに』『こずばの教育を問い盎す』鳥飌玖矎子、苅谷剛圊ずの共著『フクロりが来た』筑摩曞房『タカシ 倧䞈倫な猫』岩波曞房等。

ロングセラヌ決定版
灯し続けるこずば
著倧村はた

「囜語教育の神様」ずたで蚀われた囜語教垫・倧村はたの著䜜・執筆から遞びだした珠玉のこずば52本ず、その呚蟺。自らを埋し぀぀、人を育おるこずに人生を賭けおきた倧村はたの神髄がここに凝瞮されおいたす。子どもにかかわるすべおの倧人、仕事に携わるすべおの職業人に、折に觊れおペヌゞを開いお読んでほしい䞀冊です。新曞版/164頁

https://www.shogakukan.co.jp/books/09840090

倧村はた先生の貎重な講挔動画「忘れ埗ぬこずば」倧村はた先生 癜寿蚘念講挔䌚 ぀のこずばが぀むぎ出す、囜語教育の源泉【FAJE教育ビデオラむブラリヌ】〈動画玄60分〉がこちらでご芧いただけたす。

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