生活文脈と個の育ちとインクルーシブ教育|インクルーシブ教育を実現するために、今私たちができること #17


「インクルーシブ教育」を通常学級で実現するためには、どうすればよいのでしょうか? インクルーシブ教育の研究に取り組む青山新吾先生が、現場の先生方の悩みや喜びに寄り添いながら、インクルーシブ教育を実現するために学級担任ができること、すべきことについて解説します。今回は、個の特性に応じることとインクルーシブ教育について考えていきます。
執筆/ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科准教授・インクルーシブ教育研究センター長・青山新吾
目次
インクルーシブ教育とは何か
野口晃菜(2022年)は、「インクルーシブ教育」の対象は虐待をされている子ども、外国にルーツのある子ども、貧困状況にある子ども、性的マイノリティの子ども、障害や病気のある子ども、不登校の子どもなどのマイノリティ属性の子どもを含むすべての子どもたちであるとしています。そして、すべての子どもたちを包摂する教育を目指すプロセスがインクルーシブ教育であり、そのためには、これまでの教育システムを変えていくことが必要だとしています。本連載では、インクルーシブ教育を実現するためには、通常学級の教育が変わっていくことが求められているという前提に立っています。
今回は、インクルーシブ教育を進めていくことと「個の育ち」の関係をコミュニケーションの視点から考えます。
個への関わりーマグロということばー
ある知的障害特別支援学級での話です。
自分の思いを表現することが苦手な子どもがいました。してみたいこと、したくないことなど、日々の生活の中で様々な場面があるのでしょう。生活場面で自分の思いを伝えることは難しく、また、生活の中で起きた出来事について誰かに伝えることもないといった様子でした。あるとき、その学級の先生から、
「給食の時間に、ちょっと油断するとパンをちぎって床や周りに投げるんです。それを知ったある先生がよく見に来られて、本気で大きな声で怒るんですよね……。でも、また違う日にはパンをちぎって投げているんです」
という話を聞きました。そして、
「確かに、食べ物を投げるのはよくないです。でも、そんなに本気で怒ることなのかな……と疑問に思いながら考えていたんです。ある日、給食にソーセージが出たんです。ソーセージって投げやすいじゃないですか。だから、その子のそばでコソッと『ソーセージは投げやすそうですよ』ってささやいてみたんです。でも、全然投げないんですよね~」
とおっしゃったのでした。
私は発想がおもしろいな、うん、分かるなーと思って聞いていました。すると、
「多分、パンをちぎって投げているのは、自分を見て! ということなんじゃないかなって思えるようになりました。また、自分の気持ちを伝えるのが苦手だから、うまく表現できなくて、モヤモヤするのかなと思ったんです」
と言われました。これは、子どもにささやいて関わりながら、子どもの言動に対して「やさしいどうして?」のまなざしを向けて、その言動の理由を推察すること(本連載 第4回参照)を実践していることになります。その一連の思考をさりげなく、見事に展開なさっているなと思いました。

「それで、絵カードを使って、給食でおかわりをしたいときの表現や、残したいときの表現を教えて、一緒に練習したんです。すると、次第に絵カードを使って表現できるようになりました」
と言われました。これまた見事な関わりです。あっさりとことばにしているけれど、凄いなと思って聞いていたところ、
「そうしたら、ある日、急に私に『マグロ』って言うんです。最初は何のことかなと思って、家庭と連絡を取って考えていたら、どうもお休みの日にご家族でお寿司屋さんに行かれたようなんです。そうか! と思いました。お寿司屋さんでマグロを食べたんですね。それを私に教えたい、伝えたいって思ったんですよね!」
と話されました。

私は、うんうんと頷きながら、これまた凄いなーと、その先生と顔を見合わせながら聞いていました。そして、気付いたことを話そうとしたら、
「私、ふと思ったんです。給食の絵カードは、まあ、自分の気持ちの表現だけど、近くの大人にだったら誰でもよいから表現している場面かなと思います。でも『マグロ』は、他の大人には言わず、私にしか言わないんですよ。ひょっとしたら、お寿司屋さんに行ってマグロを食べたんだ、美味しかったんだということを私に伝えたいと思って話してくれたのかな……。こういうことばって、伝えたい人がいないと出てこないことばだと思ったんです」
と言われました。これは、まさに僕が今言おうとしたことだったのです。そこにもちゃんと気付いておられてさすがだなと思いました。