good enoughな毎日を! ~今考えたい、先生と子どもたちのための「自尊感情」~
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「自尊感情って、高い方がいいですか?」
たびたび耳にする「自尊感情」という言葉。これは、人間が成長していくための下支えとなる、大変重要な概念だと言えます。それは、ただ高ければ高い方ほどよい、というものではなく、その質が大切だと言われているのをご存知ですか? 今回は、教育に関わる先生方と、子どもたちにとっての自尊感情について、考えてみたいと思います。
【連載】ストレスフリーの教室をめざして #19
執筆/埼玉県公立小学校教諭・春日智稀
目次
自尊感情は、自己評価
この記事を読んでいるあなたは、自分自身のことをどう評価していますか?
自分自身を自ら価値あるものとして評価する感情のことを、「自尊感情」といいます。自尊感情は、「自尊心」「自己肯定感」などという似た言葉で表現されることもありますが、概念としてはほぼ同じ意味で扱われることが多いようです。教育現場だと、自己肯定感という言葉が有名だと思います。各自治体が公表している教育振興基本計画などにも、よく自己肯定感という言葉は載っていますね。
繰り返しますが、自尊感情とは「自己評価」です。他の誰かが評価するものではありません。
自尊感情は、高ければ高い方がよい?
自尊感情は、「高ければ高いほどよい」というものでもないようです。アメリカの例から考えてみましょう。1980年代、アメリカのとある州では犯罪・暴力・薬物乱用といった社会的問題や、学業的失敗などが問題とされていました。そこで行政は、自尊感情が高まればこうした問題は解決するだろうと考え、約3年間に及ぶ「自尊感情を高めるプログラム」を実践したのです。しかし結果は行政の目論見からは外れ、社会的問題は特に改善せず、むしろ教育水準が低下するなどの弊害まで生まれてしまったそうです。
この例は、自尊感情の「高さ」だけが重要ではなく、むしろ「質」が問われるのではないかという視点を私たちに与えてくれたように感じます。では、自尊感情の「質」とはどのようなものでしょうか。
very goodとgood enough
自尊感情について研究したローゼンバーグは、自尊感情を「very good(とてもよい)」と「good enough(これでよい)」の2つに区別しました。very goodは、他者と比べて自分は優れているという意味を含んでおり、good enoughは、自分は完璧ではないけれど、良い面もそうでない面もまとめて自分として受け入れる、という意味を含んでいます。ローゼンバーグは、good enoughに基づくところが本来の自尊感情であるとしています。
筆者は、後者であるgood enoughな自尊感情こそ、現代の教育において極めて重要な意味をもち、先生と子どもを救うピースではないかと考えているのです。なぜなら、現代社会はこれまでに比べ、「自分をまるごと受け入れる」ことが難しくなっているのではないかと感じるからです。
終わりのないレースに参加する子どもたち
その理由のひとつにSNSの発展があります。SNSを使えば、時間・場所を超えて多様な他者とつながり、あふれる情報にふれることができます。SNSの中には、例えば「写真」や「短時間の動画」をアップロードできるものがあります。自分は投稿しなくても、他者の投稿を容易に閲覧することができます。先生の中にも、利用したことがある方も多いのではないでしょうか。閲覧して満足するならばよいのですが、「私も〇〇のようにキラキラしたい!」「人によく思われるためには、こんな画像(動画)をアップしなくちゃ!」などのように、他者と自分を比較した切迫感のようなものが生まれてしまっているのではないかと心配しています。言い換えれば、very goodを追い求める終わりのないレースに参加してしまっているのではないかという危機感です。
very goodを追い求める限り、本当の意味で自分を受け入れることはむずかしく、不安定です。なぜなら、very goodの評価は他者に依存するからです。評価の軸が自分の中にないため、当然自分をまるごと受け入れることはできずに、環境や評価者が変わればまた新しいだれかが求めるvery goodを探さなければなりません。
自分なりの満足感
good enough(これでよい)な自尊感情は、言い換えれば「自分なりの満足感」です。自分なりですから、自分で満足するポイントを決めてよいのです。ここで気をつけたいのは、「自分なりの満足感」と「このぐらいでいいやというあきらめ」は違うということです。あなたにライバルがいて、全力で戦ったけれど負けてしまったとします。悔しいけれど、一生懸命に努力した自分を認めてあげるのが「自分なりの満足感」であり、good enoughな自尊感情です。最初から「どうせ勝てないからいいや」と努力を放棄するのはただのあきらめです。そもそも後者では、自分を認めようという想いも起きにくい気がしますね。
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評価者はあなた
あなたの自尊感情は、very goodとgood enough、どちらでできているでしょうか。厳密にどちらか、というよりかは、どちらの割合が多いか、で考えるとよいと思います。もしvery goodが多くても大丈夫です。なぜなら、「評価者はあなた」だからです。自分の価値は自分で決めることができます。very goodが多いなと感じたら、少しずつgood enoughを増やせばいいのです。すべて心の中で行われることですから、だれに見られるわけでも、口を出されるものでもありません。
good enoughな毎日を
先生の中で整理ができたら、ぜひ子どもたちにもgood enoughに接してほしいと思います。子どもは身近な大人を真似るものです。行動はもちろんのこと、思考も真似します。例えば先生の子どもに対する評価軸が、「学力・運動能力」などの能力ベースでしかなかった場合、子どもは「人は能力で価値が決まるのだ」と学習します。very goodな思考ですから、常に自分をだれかと比べ、競争が生まれ、殺伐とした教室になるでしょう。しかしお分かりのように、人の価値はそれだけでは決まりません。学校での「評価」はあくまでその子どもの一側面でしかなく、本当の自分の価値は自分自身で決めていくものです。たとえ子どもが失敗をしようとも「人はだれしも間違えることがあるよね。失敗は成功のもと。そんなところもあなたらしいじゃない。成功できるように、先生も一緒に手伝うね」と言ってあげられたら、どれだけ救われるでしょう。そして、そんな先生を真似して、子ども同士もあたたかい人間関係をつくっていくことでしょう。あたたかな学級づくりは、「グッドイナフ(good enough)な毎日」からはじまるのです。
【参考文献】
・セルフ・エスティームの心理学 自己価値の探求/遠藤辰雄・井上祥治・蘭千壽/ナカニシヤ出版
イラスト/坂齊諒一
<プロフィール>
春日智稀(かすが・ともき)
2015年より埼玉県公立小学校教諭。体育主任・生徒指導主任・研究主任・教務主任などを担当。
学校心理士/ケアストレスカウンセラー/青少年ケアストレスカウンセラー/アンガーマネジメントキッズインストラクター/アンガーマネジメントティーンインストラクター
日本生徒指導学会・日本学校教育相談学会・日本教育心理学会・NPO日本教育カウンセラー協会/所属