インタビュー/工藤勇一さん|「働き方改革」を進めるためのポイントは「主体性」と「当事者性」【今こそ問い直す!先生を幸せにする「働き方改革」とは⑩】

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全国の学校で、今進められている「働き方改革」。ともすると時短ばかりが強調されがちですが、本当の意味で教師の仕事にやりがいや楽しさを感じられる改革になっているのでしょうか。学校教育のオピニオンリーダーの方々に改めて「働き方改革」の本質を語っていただきながら、子供も先生も皆が幸せになる「これからの教師の働き方」について考えてきたこの連載も10回目を迎え、いよいよ最終回です。今回は教育アドバイザーの工藤勇一先生にお話を伺いました。

〈プロフィール〉
工藤勇一(くどう・ゆういち)
1960年山形県鶴岡市生まれ。東京理科大学理学部応用数学科卒。公立学校教員、東京都教育委員会、新宿区教育委員会教育指導課長等を経て、2014年4月より千代田区立麹町中学校校長、2020年4月より学校法人堀井学園 横浜創英中学校・高等学校校長として、教育改革を行ってきた。内閣官房教育再生実行会議委員、内閣府規制改革推進会議専門委員、群馬県非認知教育専門家委員会委員等、公職を歴任。2024年4月より教育アドバイザーとして全国で講演活動を行う。『学校の「当たり前」をやめた。生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革』(時事通信社、2018年)、『校長の力-学校が変わらない理由、変わる秘訣』(中央公論新社、2024年)など著書多数。 

求められるのは、もっと本質的な「働き方改革」

全国の学校で行われている「働き方改革」を見ると、ひたすら対症療法を行っているように感じます。もちろん、一つ一つの問題を解決していくことは大切ですが、もっと本質的な問題を解決していかなければなりません。

最大の問題は、教員が教育の一番大切なことを目的に働いていないことです。教育において一番大事なことは「自律した子供」を育てていくことだと私は考えます。自律。かみくだけば、主体性と当事者性、これこそが「生きる力」です。特にこれからの時代、社会はますます変化が激しくなり、10年後を予測することさえ困難です。企業が一生面倒を見てくれる時代は終わりました。子供たちがそんな世の中を自分の力で生きていくには、自分の力で考え行動するための主体性と当事者性が不可欠です。

学習指導要領では「生きる力」を育てるには子供たちに知徳体をバランスよく身に付けさせる必要があるとしていますが、各学校は手段である知徳体を育てることに躍起になり、「生きる力」そのものである主体性と当事者性を失わせています。

不登校の児童生徒が34万人の日本。他国とは何が違うのか?

皆さんもご存じの通り、日本では今、不登校の児童生徒が約34万人います。これに対して、欧米には日本のような不登校という教育問題は存在しません。「不登校」という概念すらありません。不登校問題はアジア型とも言われ、テストの点数を競う受験制度を基盤とした高い学業プレッシャーと、さらには集団行動を基盤とする同調圧力の強い風土がある日本や韓国、中国などに共通に見られる現象です。

なぜ欧米に不登校問題がないのかと言えば、そもそも教育に対する考え方が日本とは全く違うからです。

例えば、アメリカの場合、そもそも就学義務がありません。つまり、必ずしも保護者は子供を学校へ行かせなくてもいい、ということです。子供にどういう教育を受けさせるかは保護者が決めることであり、その責任は保護者が負っています。公立の学校へ行かせてもいいし、近くの教会で学ばせてもいいのです。アメリカは州ごとに法律が違うのですが、50州全部でホームスクーリングが認められています。つまり、自宅で学んでもいいのです。

このように、アメリカに不登校という概念がないのは、学び方を子供自身や保護者が自由に選べるからです。「学ぶのは自分である」という意識、つまり、主体性をなくさないような教育システムがつくられています。

日本人の感覚だと、「そんなに自由で将来進学や就職は大丈夫なのか?」と思うかもしれませんが、基本的にアメリカには高校受験がないですし、大学受験の仕組みも日本とは全く違います。日本のように「複数の科目の知識を暗記して、入学試験で1点でも多く点数を取った者が大学に入れる」という制度ではないのです。高校での成績、論文や面接、推薦状などを基に合否が決まります。日本で言えば、AO入試や総合型選抜入試、つまり、人物評価です。

日本では中学受験も、高校受験もあります。小学校に入学するときには、国が決めたこの小学校へ行きなさいと指定され、この学年では学習指導要領の中のこれを学びなさいと決められていて、そこから外れた子供を問題視します。欧米の国々から見たら、日本の教育システムはかなり変わっているのです。

日本と同様に韓国も不登校問題に苦しんでいますが、日本や韓国の教育と欧米の教育との根本的な違いは、どんな教育を受けるかを決めるのが学ぶ側であるかどうかです。言い換えれば、子供自身の主体性と当事者性を育む教育かどうかです。これ以上不登校の児童生徒を増やさないためにも、日本は教育に対する根本的な考え方を見直していかなくてはなりません。そしてそれこそが本当の「働き方改革」にもつながっていくものだと私は思います。

主体性は、自主性とは違う

では今後、子供たちに育んでいかなければならない主体性と当事者性とは何でしょうか。まずは主体性についてご説明します。

主体性と自主性を同じ意味だと勘違いしている人が多いのですが、全く違います。自主性とは、簡単に言えば自ら進んで行動することです。日本の学校が育てようとしてきたのはこの自主性であり、先生や保護者が期待すること、または組織が期待することを自ら進んでやれる子供を育ててきました。自主性のある子供は、組織や学校、保護者にとって、とても扱いやすく、気持ちのいい子供です。日本の人口が増えて、経済も順調に成長していた時代にはこういう人間が必要とされていました。実際に一度就職すると年功序列でみんなの給料が上がり、基本的には定年退職まで会社側が面倒を見てくれた時代が長く続きました。

これに対し、主体性は自分の頭で考え、判断し、行動することです。まさに今の時代に求められるのはこちらです。保護者や先生が薦めることであっても、自分の頭で考えた上で場合によってはやらないことも決定できる力です。

子供の主体性は、生まれたときには100%、誰もがもっている力です。幼児の姿を思い浮かべてみてください。子供の好奇心は素晴らしく、やりたいと思ったことを次々にやり続けます。時にその姿は大人をハラハラさせますし、ついつい口を出したくなるものです。しかし、残念ながら、大人の関わり方によっては、本来、子供たちがもっている大切な主体性を奪ってしまうのです。

大人が手をかけるほど、「人のせいにする」子供が育つ

日本ではこの30年ほど、保護者も先生も子供にやたら手をかけるようになりました。民間の教育産業やマスコミの影響もあって、こんな子育てがいい、あんな子育てがいいという情報を基に、保護者は少しでもわが子によい環境を与えたいと思ってきたわけです。

あれをするな、これをするな、あれをしなさい、これをしなさいなどと言われ続けると、幼児期には主体性があって好きなことをしていた子供たちが、徐々に保護者や先生の言うことを聞くことこそが大切だと考えるようになります。また、あまりにも頻繁に怒られたり注意されたりすると、自分で考えて行動してはいけないのだと思うようになり、何かをする前に「これやっていい?」と大人に聞くようにもなるのです。

小学校の高学年になると、保護者が「うちの子って、言われたことはできるのですが、自分で考えてすることができないんです」などと言い出します。授業についても、「うちの子は算数が苦手なんですけど、どうも勉強の仕方が分からないようなんです。自分から先生に聞けないから、先生から声をかけてもらえませんか。無理やり残して学校で勉強させてくれてもいいですが」と言い出したりします。

保護者や先生が手をかけ続けていると、子供の主体性はどんどん失われます。そして、共通した特徴が見られるようになっていきます。自分がうまくいかないことがあると、必ず人のせい、環境のせいにするようになるのです。勉強が分からないと「先生の教え方が悪い」と言い出します。学級がうまくいかないと「うちの学級は担任がはずれだよな」、お母さんが「宿題やったの?」と声をかけると「うるさいなー。今やろうと思ったのにやる気うせたよ」といった感じです。

教員は子供のそんな不満の声に応えようと努力し、さらにもっと分かりやすい、丁寧な授業をしようと努力していくわけですが、キリがありません。当然、どんどん仕事も増えていくことになるわけです。

つまり、日本の教育は、子供に良かれと思ってたくさん手をかけた結果、子供の主体性を奪い取ってしまったのです。子供は手をかけてもらわないと学ばなくなり、教員は「教え方が悪い」と文句を言われるからもっと努力をする、この悪循環に陥っています。これが、学校の「働き方改革」が一向に進まない根本的な理由です。

当事者性を育む機会を奪ってきたのは大人たち

一方、当事者性とは、集団や社会で生きる中で起きたトラブルを自分で解決しようとする力です。当事者性がある人は、何か困難なことが起きても、人のせいにすることなく、自分で積極的に課題を解決していこうとします。

例えば、小学校の校庭で子供たちが集団で遊んでいるとします。一人の子供がブランコを独占していたところ、ブランコに乗りたい他の子供と喧嘩が始まりました。さて、あなたが先生だったらどうしますか。欧米と日本の対応を比較してみます。

欧米では、このケースで先生はたぶん、放っておきます。よほどのことがない限り、子供が喧嘩をしても大人は関わらないで見守っているのです。もちろん、発達に特性のある子供が関係しているときは、暴れるなどのことがあるので介入しますが、何が起こったのかを先生が聞き取って、「これは君が悪いから謝らなきゃいけないよ」などとジャッジはしません。もちろん放任するわけではありません。先生たちは次の日もその様子を見ています。「昨日は喧嘩していたけど、今日もやってる。でも、ちょっと様子が変わったね」。次第に子供たちには変化が見られるようになります。「今日はあの子たちでルールを決めてきたよ。成長したね」。

先生たちは基本的には見守っているだけで、可能な限り関与しないようにします。ですから、子供たちは何か問題が起こっても「問題は大人が解決するもの」とは勘違いしません。ゆっくりですが、自分たちで解決していく経験を通して当事者性が育まれ、他者を尊重しながら対話をし、確かな社会性を獲得していくのです。

では、日本の場合はどうでしょう。こんな場面がたくさん見られるのではないでしょうか。

まずは先生の言葉のシャワーです。

「仲良く遊んでね」「おもちゃは貸し借りしようね」「誰かを傷つけたら、『ごめんね』と言おうね」「『ごめんね』って言われたら、『イイよ』と言ってあげたらいいんじゃない」

ある子供が「あの子がブランコを貸してくれない」と先生に言いつけに来たとします。すると先生は、「みんなが待ってるでしょ」「10回こいだら交代しようか」などとルールまで決めてしまいます。

こんな環境で育っていくと、子供たちからは、あっという間に当事者性が奪い取られていきます。40年以上教育に携わってきた僕の個人的な感覚ですが、この30年間ぐらいでこの傾向が本当にひどくなったように感じています。その結果、子供たちの解決能力はますます低くなっていますし、保護者はトラブルが起こるたびに「学校の対応が悪い」とクレームを言うようになってきています。

もうお分かりだと思いますが、日本の教育は本質の部分が間違っています。先生たちは必要のないお節介を続け、いくら努力しても、結果的に人のせいにする子供たちを生み出してしまっているのです。

日本では「教育はサービス業」になっている

欧米の教育と日本の教育、その根本的な違いは、欧米では教育の主体は子供たちにあると考えるのに対して、日本では教育の主体は教える側にあると考えていることです。「教育はサービス業」だと勘違いしてしまったのかもしれません。

結果として、日本では、学習塾や通信教育なども含めて教育に関わる企業が多すぎるようにも思います。欧米では学習塾の文化もないので、日本の子供たちと比較すれば、やらされる勉強はほとんどありません。生活を楽しみ、もっと自由に遊んでいるように見えます。その中で主体性と当事者性が育まれていきます。自己決定が繰り返され、自然に「自分の人生は自分で切り開く」と考える大人に成長していきます。

残念ながら、日本では教育関連の企業が競い合い、子供は幼児期から何らかのサービスを受けるのが当たり前になっています。それに刺激され、保護者は学校にもサービスを求めます。先生たちは授業はもちろんですが、学校生活全般を管理し、トラブルのない学校づくりを目指します。先生たちはますます目が離せない生活を送ることになっています。

宿題は子供たちの自律を妨げる

繰り返しになりますが、日本の学校の「働き方改革」の本質的な問題は、子供に主体性と当事者性を育てるのを忘れていることです。子供たちに課す宿題もその問題の象徴的なものと考えます。多くの学校では毎日宿題を出すのが当たり前になっていますが、本当に必要でしょうか? 欧米では宿題はほとんど出ないようですし、夏休み、冬休みの宿題については全く出ないそうです。

日本では宿題を出す理由として、よく「学習習慣をつけることが大事」などという人がいますが、本当にそうでしょうか。小中学校時代の僕自身のことを振り返っても参考にはなりませんが、学校の勉強とはほとんど関係なく好きなことをやっていましたし、目的もなくやりたくない勉強をやることなんてなかったように思います。

先生の中には「宿題を出すけど、分からないところがあったら飛ばしてもいいから、分かるところだけやっておいで」などと指示する方がいらっしゃいます。しかし、分かるところしかやらないとしたら、時間だけ使って学力は宿題をする前とほぼ変わらないわけですから、とても非効率です。それに宿題が大量に出れば出るほど、子供たちは分からないところを飛ばすようになりますから、結局はたくさんの時間を費やしているのに学力はほとんど向上しないことになります。1日は24時間しかないのにもったいない話です。

日本の多くの子供たちは小学校から高校まで、ずっと宿題をし続けます。自分の意志で勉強したいものを選んでするのではなく、やらされ続けているのです。日本の大人社会の課題の一つに労働生産性の低さが挙げられていますが、まさに大量の課題をこなしている割に学力が身に付かない実態は大人社会の姿そのものということができますし、学校時代のこの実態こそが、非効率な日本社会そのものを表しているように感じています。

横浜創英の「働き方改革」とは?

ここからは横浜創英中学・高等学校(以下、横浜創英)がどのように「働き方改革」を進めたのかをご紹介します。私は校長として横浜創英に4年間いたのですが、私がまずしたことは目標の共有でした。横浜創英には正規職員だけでも80人程度の教員がいますが、およそ1年をかけて、全職員で生徒の主体性と当事者性を育むことこそが、これから目指す教育であることに合意しました。

全員が納得する目標さえ定まれば、誰もがそれを実現するための手段を考えることができるようになります。また、これまで進めていた横浜創英の教育活動の矛盾を洗い出すことができるようにもなります。そこで私は全職員及び各分掌組織に対して、以下の3つのポイントに該当するものがあったら見直してほしいとお願いをしました。

【改善のポイント】
①最上位目標である主体性と当事者性を損ねているもの、妨げているもの
②何のためにやっているか目的を見失っているもの
③成果は上がっているけれど、手間も時間もかかり、非効率的なもの

もちろん、最初からうまくいったわけではありません。教職員たちが自走し始めるためには何よりも経験を積み重ねていかなくてはなりません。最初はごく小さな変化でも、その変化の本質的な意味を誰もが理解さえできるようになれば、次第に大きな変化につながっていくのです。

1年目のいくつかの小さな変化の事例をご紹介します。

着任直後、私からすぐに助言してやめさせたことがあります。学校要覧の廃止です。学校関係者の皆さんはお分かりになると思いますが、学校の教育目標から始まり、学校規模や教育方針、主な学校行事や学校組織など、様々な内容が数ページにわたって網羅された冊子です。当時、教員たちは2か月程度の時間をかけて作成していました。その様子を見て、私はこんな声をかけました。「これ、誰に配付しているの?」と。すると教員からは、「全ての家庭と神奈川県です」という答えが返ってきました。

「じゃあ、やめようよ。だって今の保護者はこんなものをもらっても、ほとんど読まないでしょ。学校パンフレットもあるし、ホームページだってある。県だって求めてないでしょ。惰性で仕事をすることはやめようよ」

私のこの言葉に教員たちは本当に驚いていました。だって、毎年より良いものを作ろうとますます手をかけていたのですから。

また、1年目の終わり頃、まさに次年度の教育計画立案の際、こんなことがありました。中学部の教員から来年度の計画が出てきたのですが、そこには「〇年生を演劇鑑賞教室へ連れていく」と書いてあったので、私は反対しました。

「うちの学校の最上位目標は主体性と当事者性を育てることでしょ。だったら、行きたくない子供を無理やり連れていくのはダメでしょ。皆さんは前日指導までするんでしょ? それに鑑賞態度の悪い生徒たちがいたら𠮟るんでしょ。行きたくない活動に無理やり連れていかれて、お金まで払って、態度が悪かったら𠮟られるなんて、𠮟る先生も気の毒だけど、𠮟られる生徒はもっと不幸だよ。そんな生徒たちにとっては、時間の無駄だし、まさに非効率な活動だよ」

「どうしてもこの行事をやりたいなら、その日の教育課程は昼で終了し、行きたくない生徒は下校してもよいことにすればいい。希望者を募って、申し込んだ子供だけに費用を負担させ、引率してください」

私は「上記の①から③を改めていくことに逆行することさえなければ、基本的に皆さんの提案にNOとは言わない。決裁は全てGOサインだ」と伝えていたのですが、この出来事は、全教員にその意味を伝える重要なきっかけになりました。事実、これ以降、全ての分掌組織からの提案の中に生徒たちに強制する活動がなくなりましたし、どのような形にすれば、生徒たちが自己選択・自己決定できる仕組みになるかを検討するようになりました。

こうした積み重ねが教員たちの主体性と当事者性を向上させていきます。「働き方改革」も同様です。自分たちのアイデアでいくらでも仕事を減らせるのです。

主体性と当事者性を育む授業が「働き方改革」につながる

多くの学校では「働き方改革」は授業以外の部分で行うものだと認識しているようですが、授業のやり方を見直すことも重要です。

かつての横浜創英では、主体性、当事者性を損ねても学力を上げようとしていました。特に、特進コースでは毎日7時間目まで授業がありましたが、時々0時間目もあり、1日に8時間も授業をする日もありました。それまでの保護者は子供に勉強をさせると喜びますし、「希望者だけの授業ではうちの子は参加しないので、無理やり全員参加にしてほしい」とまで言っていました。

現在、もちろんこれら全てを改善しています。2025年度から始める授業時数については、高校については文部科学省が高校3年間の最低授業時数として定めている74単位に設定しています。3年間で100単位以上を行っていた学校ですから、なんと25%以上の削減です。

生徒にとっては強制的に学ぶ時間が減り、自らが必要だと思う学びに自由に時間をかけることができるようにしました。当然ですが、教員が教える時間(授業時数)も減ります。

さらには生徒が自由に学び方を選択できる授業方法の研究も進めています。例えば、数学の授業では先生が教えないスタイルの自由進度学習を行っていますが、これを英語にも拡大しています。

全国の多くの教員は、数学が得意な子供から苦手な子供まで、いろいろな子供に対応するためにたくさんのプリントを作るなどして、授業中にみんなが一緒に勉強できる方法を研究してきたわけですが、自由進度学習ではそれをする必要がないのです。見方を変えれば、これだけでも大きな「働き方改革」になります。

自由進度学習は生徒たちが自分に合った学び方さえ身に付けることができれば、教員が教えるよりもはるかに理解の定着もスピードも速くなります。分からないものを解決するために協働的な学びも自然発生的に生まれます。もちろんですが、たとえ分からないところがあっても、「先生の教え方が悪い」とは言いません。

自由進度学習の授業の様子は、慣れていない方が見ると統制もなく一見ぐちゃぐちゃで、勉強しているようには感じられないかもしれません。特に学び方が分からない新1年生の年度当初の姿はそんなふうに見えるのも当然です。しかし、半年から長くても1年もすれば、生徒たちの様子は確実に変化しています。そして、英検の合格率も含めて、確実に結果にもつながっています。

自分で「学びたい」と思えば、生徒たちは勝手に勉強します。大事なのは、その生徒に合った学び方を覚えていくことです。その根底にあるのは「授業は先生がするものではなく、あなたたちが学ぶもの」という発想です。日本では明治維新から約150年間にわたって、教える側が何をどうやって教えるのかを考えてきました。しかし、これからは学ぶ側が何をどう学ぶかを考えていく必要があります。

子供たちに教えなくてはならないのは民主主義

学校が本質的な教育に変えるときに大事なのは、子供たちに対して民主主義を教えることです。民主主義の社会とは、他人の自由を侵害しない範囲で、自分の自由が認められる社会です。

例えば、授業中に漫画を読んでいる生徒Aがいるとしたら、皆さんはどうしますか? おそらく注意するでしょう。注意しないでいると、他の生徒が教員に「注意してほしい」と言ってくるかもしれません。そんなとき、私なら「Aには勉強しない自由があるから、授業中に勉強したくなかったらしなくていい。でも、他の人の勉強を邪魔する自由はない」と教えます。

もしもAが他の生徒の勉強を邪魔したら教員が介入しますが、1人で漫画を読んでいるだけなら放っておきます。教員は𠮟る必要はありません。民主主義の意味さえ生徒に伝えればよいのです。長ければ何か月という時間がかかりますが、𠮟らないことを続けていると、次第に自ら勉強する姿が戻ってきます。不思議です。主体性が戻ってくるのです。

真面目に勉強できない子供を瞬時に叱れば、反応はすぐに表れます。すぐに勉強するかもしれませんが、その姿は不満たっぷりです。そして、時には怒りを教員にぶつけます。これでは主体性を復活させることはできません。

この国の未来のためにも、今こそ本質的な「働き方改革」を

学校の「働き方改革」を進めるには、まずは子供たちに主体性と当事者性を育む必要があります。それをしない限り、教員の仕事は増え続け、批判され続けるという構造は変わらないですし、世の中に対して不満だらけなのに自ら変えていこうとしない若者を増やし続けることになります。このままではこの国の未来は危ういと私は感じています。もう、待ったなしの状況です。

最後に全国の管理職に考えてみてほしいことがあります。教育委員会に命じられたことは全部やらなければいけない、と思い込んでいないでしょうか。

例えば、前述の学校要覧もそうです。今はインターネットの時代ですから、方法はいくらでもあるはずです。そもそも作らなければならないという法的根拠がなければやめればいいし、もしも教育委員会から提出を求められるのなら、「学校要覧はやめましょう」と校長会から教育委員会に要望を出すのもいいでしょう。

子供たちの主体性と当事者性を育てたいなら、まずは学校、そして教員が主体性と当事者性を持ち合わせていなければなりません。その延長線にこそ本物の「働き方改革」があるのです。そのことを忘れないでほしいと思います。

 

インタビュー・文/林孝美 イラスト/池和子(イラストメーカーズ)

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