川上康則先生講演|特別支援教育にできること〜暴言を吐く子・無気力な子に寄り添う視点@北の教育文化フェスティバル
2024年8月10日に札幌市で開催された「北の教育文化フェスティバル」での、川上康則先生による特別支援教育についての講演の内容を2回に分けてお届けします。今回はその前半。暴言を吐いたり、無気力に見えたりする子に寄り添うための視点を、特別支援教育の観点からお話しいただきました。
取材・構成/村岡明
目次
教室が「安全基地」であること
人の意欲の扉は、内側からしか開きません。子供が主体的な行動を起こすには、「安全基地」の役割を果たせる大人が必要です。教室は「わからない」「できない」「難しい」といったことを、気軽に言える場、何かあったときに安心感を与える場である必要があります。この安心感を、「内側から醸し出すことができるか」が教師としての重要なポイントです。
教師には「安全基地」としての2つの重要な機能があります。 一つは「やってごらん」と送り出す役割、もう一つは何かあったときに戻って来られる役割です。この役割は特別なときではなく、日常的に果たす必要があります。
この役割を表す言葉として「オーパッキャマラド」があります。 これは「クラリネットをこわしちゃった」という歌の一節からきています。フランス語で「Au pas, camarade(友よ、一歩一歩行こう)」という意味です。思った音が出ずに焦っている子供に対して、「大丈夫だよ、一つ一つ音が出せるようになろう」と励ます父親の姿勢を表しています。
子供はルールよりもラポールに従う
「指示に従わない」「指導が入らない」などのマイナス表現は、子供の実態を表す言葉ではありません。⼤人側の都合を表した言葉です。
もし「指導が入る」ようにしたいのであれば、子供を変えようとするのではなく、信頼関係(ラポール)作りを意識すべきです。「この先生の話は聞く価値があるな」と思ってもらえなければ、指示も指導も入りません。
そのためには、「あれができない」「これがダメ」などと、子供のマイナス面に目を向けず、良い面を探すようにしましょう。「ないものねだり」よりも「あるもの探し」が大事です。
暴言への対応
子供たちから「うるせえ」「黙れ」「あっち行け」「むかつく」「うざい」「きもい」「消えろ」「死ね」「殺す」といった暴言が出ることがあります。これらは、ネガティブな感情を表す語彙が乏しいことから出現する言葉です。振り回されてはいけません。
これらの言葉は、直接的な意味を持っているわけではなく、その裏には、本当に伝えたい感情(悔しさ・苦しさ・もどかしさなど)があるのです。そこで先生は「『むかつく』って言いたいくらい悔しかったんだね」「もどかしかったから、つい『殺す』という言葉が出るよね」というように、子供の内面にある感情を理解し、言語化して返すことが大切です。
この繰り返しによって、子供は感情の社会化を進めていくことができます。教師には、子供の体の中に流れる不快なエネルギーを観察し、それを言葉で正しく捉えることが求められます。
望ましい対応とは
暴言を吐くなど、問題のある行動を取る子供に対して教師が取りがちな対応パターンとして、以下の3つがあります。
- いらだつ大人:子供の内面に寄り添えず、強い叱責を与えるパターン
- 向き合わない大人:「無理はさせない方がいい」「パニックになったら強制しない」というように、諦め、放置するパターン
- 封じ込める大人:「そんなことくらいでいちいち起こるな」というように、子供のマイナスの情動をなかったことにしようとする
こうした対応では、さらなる問題に発展してしまうかもしれません。このような対応ではなく、「包み込める大人」になることが大切です。
- 子供の内面の葛藤に理解を示す大人
- 子供の気持ちを言い当てつつ、落ち着いた状態に巻き込める大人
自尊感情が低い子
教室でいつも机に突っ伏して、教師の言葉に反応しない子がいます。そうした子に対して、教師はしばしば「やる気がない」「態度が悪い」「努力が足りない」「甘えている」「たるんでいる」「なめている」などと言いがちです。しかし、これらの言葉で子供を評価してしまうと、その子のことを分かったような気になってしまう危険性があります。
無気力に見える子は、自尊感情が低い場合が多いです。自尊感情は「自己効力感」と「自己受容」から成り立っています。この感情が足りないため、「代償的機能」として、机に突っ伏すなど無気力に見える行動を取っているのです。
学校で無気力な子が、よくゲームにはまっている場合があります。ゲームの世界では少し頑張れば、レベルが上がったり、ステージが変わったり、得点が増えたりといった「報酬」が得られます。仲間から認められたり、必要とされたりするといった学校生活における「報酬」が期待できない場合、なおさらはまってしまうであろうことは想像に難くありません。ゲームにはまるということは、実生活での「努力の報われなさ」を示すものなのかもしれません。
代償的機能と学習性無力感を脱する
机に突っ伏して動かない、制服のジャケットを頭からかぶるなどの行動をとる子は、自尊感情が欠乏している状態を隠そうとしているのです。これを心理学用語で「代償的機能」といいます。苦手なことをカバーするために、後天的に身につけた機能のことです。困難を隠したり、補ったりするために編み出した、自分なりの解決法なのです。
結果的に「学習性無力感」に陥ることがあります。これはアメリカの心理学者マーティン・セリグマンが提唱した感情です。「できない」が多いと頑張れなくなり、「分からない」が多いと分かる気持ちが削減され、「やってもらえる」が多いと、「自分はできるかもしれない」という可能性が見過ごされてしまいます。
この学習性無力感から抜け出す鍵となるのが、「援助要求スキル」です。困ったり分からなかったりしたときに、「手伝ってほしい」「教えてほしい」「助けてください」と言えるスキルです。
けれども援助を求めることは「叱られるのでは」「バカにされるのでは」といったリスクや懸念を伴います。自尊感情が低いと、さらに萎縮してしまいます。援助を求めることは、子供にとって案外難しいことなのです。
授業改善への具体的なアプローチ
これらの課題に対応するためには、授業のあり方自体を見直す必要があります。
まず、発問の仕方を変えてみましょう。従来の「分かる人? できる人?」という問いかけでは、分からない子供の気持ちに寄り添えません。「正直言ってピンとこない人」「もっと考えるヒントがほしい」「一人じゃ無理だと言う人」「今指名されたら正直困る人」といった表現を使ってはいかがでしょうか。子供が「知らない」「分からない」を自然に表明できる雰囲気を作ることができます。
また、学習に困難さを抱える子は「授業のおもしろさ」に敏感です。彼らにとって「おもしろさ」とは、小刻みに考える場面があることです。今の子供たちは、Instagram、TikTok、YouTubeショートなど、小刻みに展開が進んでいくコンテンツに慣れています。それを「おもしろい」と感じるのです。
それゆえ、授業への参加感が必要となります。見ているだけの参加、教室の外から見学するだけの参加など、様々な参加形態を認めることで参加感を醸成できます。
次に、発問と指示をセットにすることです。これにより、さらに参加しやすい環境を作ることができます。例えば、「隣の人と話しましょう、どうぞ」「分かった人は立ちましょう、どうぞ」「わかる人はパー、ピンとこないという人はグーを挙げてください」といった感じです。
授業の質を変えられること。これがおそらく、特別支援教育が本当に目指している形だと思います。その第一歩として、まずは職員室の会話の質を変えていくことです。子供をネガティブに断ずるのではなく、理解しようとすることが、授業を、ひいては学校をよくすることに繋がると思います。
(後半へ続く)