刻々と変化する多様な答えを追いかける|常識を疑い自分だけの答えを〈後編〉

この連載では、『13歳からのアート思考』著者の末永幸歩先生の取組から、みん教読者の先生に知ってほしいアート思考のエッセンスをお届けしています。今回は、「令和6年度愛知県造形教育研究会総会及び第59回愛知県造形教育研究協議会」で造形教育に携わる教師に向けて行われた講演の内容の<後編>です。(<前編>はこちらから)
目次
中学1年生を対象にした授業からー「卵」のリアリティを探究ー
末永先生が中学1年生に実践した授業の内容を紹介します。ピカソの「リアリティ」について話したあとにおこなったものです。写実でもピカソ風でもなく、別のリアリティの表現があるはずだというふうに生徒一人一人が考えて表現していく授業です。考えたうえで、写実的に描いてももちろんOKです。
モチーフは「卵」です。教室に生卵を準備して、いくら使ってもよいことにしました。モチーフを固定して、表現方法は自由としました。
絵を描こうとしたり、粘土で何かを作ろうとしたり、木材を使ったりして、生徒たちは様々な方法で表現し、数時間かけて探究していきました。
ある女子生徒の表現
そんな中、ある女子生徒が、生卵を割って黄色い絵の具に卵黄をミックスして、卵の絵を描いていたそうです。末永先生が、「なぜ、黄色い絵の具に卵黄を混ぜているの?」と聞くと、その生徒は「実物の一部を使うと、卵の色がより再現できるのではないかと考えました」と言い、先生はなるほど、と思っていたのだそうです。
ところが、展示する最終日の朝、彼女は全く違う作品を提出します。焼いた目玉焼きを弁当箱に入れて持ってきて、その目玉焼きを画用紙に描いたフライパンの上に載せて作品として展示したそうです。末永先生にとって、この目玉焼きの作品がいまでも非常に心に残っているとのこと。

「それは目玉焼きを作ったという珍しさからではありません。目玉焼きの作品という最終的なアウトプットの下にある根に目を向けたとき、探究し続けたものがこの成果になったことが印象的だったのです。普通であれば、当初作っていた作品をもう少し仕上げて、最終日に持ってくると思います。しかし、その生徒は考えをさらに変化させています。実物の一部を描けば、リアルになるということから、実物そのままを使えばもっとリアルになるのではないかという考えに転換させているわけです。きっと最終日近くになって思い付いたのでしょう。そして、当日の朝まで自宅で目玉焼きを作っていた。つまり、試行錯誤し続けていたわけです。根を伸ばす時間の長さで言えば、誰よりも長いのです。それは、学校での『リアリティについて考える』という課題が、自分自身の興味になったからではないかと思います」(末永先生)。
自分事になっているからこそ、ちょっと危険を冒しても最後まで考え続け、作品の形を変え続けられたのです。
「中学1年生のことですから、他の生徒たちから、『こんなの駄目じゃん』とか、『学校にこんなもの持ってきちゃいけないじゃん』とか、批判を浴びてしまうのではないかとも思ったのですが、それは心配無用なことでした。生徒たちが作品を並べていったとき、この目玉焼きの作品と、もっともっと時間をかけて手が込んだ作品とが並んでいても、生徒たちは全く同じ興味で目を向けていました」(末永先生)

末永先生が、この授業のなかで大事にしてきたことは「自分だけの答えをつくること」でした。そうすると何が起こるのでしょう。一人一人何時間もかけて、自分の答えを探究して表現するという体験をすると、他の人は他の人なりに自分と違う考えや探究の過程があるはずだと思って、他の人の意見に興味を注ぐことができるようになるのです。
「自分の答えを見付けることと他の人の意見に興味をもつことが表裏一体だと、生徒たちの姿を見ながら実感しました」と末永先生は語ります。