絵は名詞で表せるとは限らない|常識を疑い自分だけの答えを〈前編〉
この連載では、『13歳からのアート思考』著者の末永幸歩先生の取組から、みん教読者の先生に知ってほしいアート思考のエッセンスをお届けしています。今回は、「令和6年度愛知県造形教育研究会総会及び第59回愛知県造形教育研究協議会」で造形教育に携わる教師に向けて行われた講演の内容を、<前編><後編>に渡ってお届けします。
目次
講義の概要
今回の末永幸歩先生の講演は、「常識を疑い自分だけの答えをーアート思考の実践」と題し、令和6年度愛知県造形教育研究会総会及び第59回愛知県造形教育研究協議会にて、造形教育に携わる教師230名以上の参加者という規模で開催されました(2024年8月21日)。
紙の上に見えている絵=アートではない
講演は、参加者の先生が絵を描くことからスタートしました。
15秒でする2種類のお絵かき
末永先生は、参加者にA4判用紙(白紙)に筆記用具で絵を描くことをうながします。時間は15秒、題材は自由。参加者は思い思いに絵を描きます。
さらに、もう1枚の白紙の用紙に絵を描いてもらいます。今度は「15秒間、全力で速く腕を振る」ことを伝えます。その後、参加者同士ペアになり、前半の絵と後半の絵を比べてその違いを考えます。
「前半は名詞で言い表せるものを描かれたのではないでしょうか。後半にしたのは腕を速く振るという行為です。名詞に対して動詞で絵を描きました。私たちが画面に向かうとき名詞で言い表せるもの、形ある物を描かなくてはいけないという思いにとらわれているのではないかと思います。
一方、体を通して何かを動かし、結果として何かが表れる。これも表現の1つの形だということになります。私たちは、絵を描くことをとってもまだまだ思い込みやこだわりがあるのではないかと思います」と末永先生は解説します。
4歳の娘に教えられたこと
ここで末永先生は、4歳になるお嬢さんと公園に出かけ、絵を描いていたときのエピソードを紹介します。お嬢さんは、赤の絵の具一色で、ただただ画面を塗りつぶしていました。普段は、いろいろな色を使って、人の顔を描いたり、公園の絵を描いたりするのに、「今日はどうしたのだろう」と、末永先生は不思議に思ったそうです。お嬢さんの様子を見ていると「お掃除、お掃除」と、ブツブツつぶやいている。そこで、末永先生は、お嬢さんは絵を描いていたわけではなく、洗剤(赤い絵の具)をモップ(筆)に付けて、真っ白な床(画用紙)を掃除していたと理解しました。赤い絵の具で塗りつぶすことができれば、掃除が完了ということで終わりです。このとき、末永先生は、「彼女の可能性を狭めていたのではないか」とハッとされたそうです。お嬢さんが残した形も1つの表現だということです。
アートを植物にたとえる
「タンポポを思い浮かべてください」と末永先生は参加者に呼びかけます。「みなさんは、黄色い小さい花を思い浮かべられたのではないでしょうか。もしそうだという方は、それはタンポポのほんの一部に過ぎません。地面の下をのぞくと、長い根が生えています。その長さは1mにも及ぶのです」と末永先生は、アートを植物にたとえて説明します。
「地面の上に花が咲いていて、これがアートにおける作品です。私たちがアートについて考えるとき、つい地面の上ばかりを見てしまいがちです。作品が丁寧に作られているか、完成度が高くできあがっているか、他の人とは違うユニークなものが表現されているかなどを考えることは、すべて地面の上の花を見ていることになります。地面の下にはその人がもつ興味や疑問のタネがあり、そのタネから無数の根が探究によって伸びています。アートという植物は、作品と根とタネという3つの部分からできています。そして、作品以上に大部分を占めているのは、探究の根を張り巡らされていく部分だと思います」(末永先生)。
「アートにとって大事なのは、自分の興味から探究の根を張り巡らせること。そして、それは美術だけではなく、すべての学びの基礎になるもので、自分の人生を自分の足で歩むことにつながる」と、末永先生は訴えかけます。
自分の中にある常識に気づいて、それを疑おう
参加の先生方に、さらに絵を描く課題が出されます。
リアルにサイコロを描く
その課題のテーマは「”リアルに”サイコロを描く」です。時間は3分間。先生方はできるかぎりリアルにサイコロを描きます。隣の人と比べ合って、どちらがリアルか、それはなぜかということを考え合います。
その後、末永先生は、遠近法を用いて描いたサイコロの絵を先生方に見せます。
そして、「みなさんはこんな絵を描かれたのではないかと推測します。もしそうだとしたら、遠近法を用いた絵がリアルに表現するための方法だと考えられたということでしょう。この絵に描かれているサイコロの絵の裏側はどうなっているのでしょう。表に1と6と2の目があるので、裏側は、3と4と5の目のあるというのは、サイコロのことを知っているから言えることです。もし、サイコロを何も知らない人がこの絵を見て、裏側は分かるでしょうか。裏側にはなんの目もないかもしれないし、たくさんの目があるかもしれないし、表側と同じような目があるかもしれません。全く分かりません。つまり、遠近法は、視点を固定している1点から見えた姿を描き出す方法なのです。裏を返せば、遠近法で描けるものは常に半分のリアルです。後の半分は分かりません」(末永先生)。
遠近法は非常によくできた手法であるとともに、不確かな手法とも言えると末永先生は結びます。
3人の人物比べ
もう1つ実験が進められます。末永先生は、遠近法で描かれた3人の人物の絵を見せて、「この中で、最も大きく見える人物はどれですか?」と問いかけました。
多くの参加者は奥の人物が一番大きいと手を挙げました。
「実はこの3人の人物は全く同じ大きさで描かれています」と末永先生の解説が続きます。
「どうして奥の人物が背が高く見えてしまったのか。奥行きのある道の上にいる一番奥の人は、実際はもっと背が高いに違いないというように脳が勝手に判断を下して大きく見せているということだそうです。私たちの脳は知識や経験を含めて意図せずともそのように見ているわけです」(末永先生)。
リアルさの表現を別の視点から考えた人物
リアリティを別の角度から捉えた人物がスペインの画家パブロ・ピカソです。
「一点透視法、遠近法で1点から見たものを描くのではなくて、知識や経験を取り除くことができないのであれば、それをすべてまとめて絵を描いてしまおうと思ったのがピカソです。みなさんよくご存じの『アヴィニョンの娘たち』がリアリティについてのピカソの答えです」と末永先生は解説を続けます。
『アヴィニョンの娘たち』は、花に当たる部分になります。ピカソの根に目を向ければどうでしょうか。私たちが疑ってもみなかったリアルな表現である遠近法。その当たり前に今までとは違った角度から捉え直して、疑問の目を向けました。それこそが、ピカソの興味・疑問なのです。そして、そこから探究の根を伸ばしました。
「みなさんが先ほどサイコロを描いたときはどうだったでしょうか? リアルな表現はこれだと考えて表現したのか、それとも特に考えないでリアルと言えばこの方法だろうと無自覚に採用したのか、そこには大きな違いがあります。もちろん、遠近法や写実はいけませんということではありません。もし、無自覚だとしたら、リアリティってなんだろうと一旦疑ってみる必要があると思います」と末永先生は結びます。
常識だと思っていることを一旦疑って、自分だけの答えをつくる探究をしてみてはいかがでしょう。
〈後編に続く〉
いかがでしたか? 私たち大人も、人生をかけて探究を続けていきたいですね。『先生のためのアート思考』シリーズで、これまでの末永先生の取組もたくさん紹介しています。アート思考の世界をぜひ探訪してみてください。
文・構成/浅原孝子
末永幸歩(すえながゆきほ)
武蔵野美術大学 造形学部卒。東京学芸大学 大学院 教育学研究科(美術教育)修了。
現在、東京学芸大学 個人研究員。
東京都の中学校の美術教諭を経て、2020年にアート教育者として独立。「制作の技術指導」「美術史の知識伝達」などに偏重した美術教育の実態に問題意識を持ち、アートを通して「ものの見方の可能性を広げ、自分だけの答えを探究する」ことに力点を置いた授業を行ってきた。
現在は、各地の教育機関や企業で講演やワークショップを実施する他、メディアでの提言、執筆活動などを通して、生きることや学ぶことの基盤となるアートの考え方を伝えている。
著書に、22万部超のベストセラー『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)がある。
■末永幸歩 公式ウェブサイト https://yukiho-suenaga.com/