石井英真准教授⑷|次の学習指導要領は先生向けの文章・形式でつくっていくことが大事 【教育キーパーソンにインタビュー! 令和の教育課程「その課題と未来」#10】

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教育キーパーソンにインタビュー! 令和の教育課程「その課題と未来」
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石井京都大学准教授
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京都大学・石井英真准教授に、現在の学校教育が抱える課題と改善点などについて聞いてきた、このインタビュー。最終回となる今回は、先生方の現状などを踏まえながら、次の学習指導要領の在り方や先生方へのメッセージについて伺います。

学習指導要領は単元づくり、カリキュラムづくりの手引きに

ここまで、カリキュラムに関わる多様な話をしてきましたが、カリキュラムは最終的に教師がつくっていくものであり、特に柔軟性をもって子供中心の学びをつくっていくために最も投資すべきは「教師」です。総合的な学習の時間や探究的な学びを実践するためには、「教師教育」がセットであることが必須で、海外において子供中心の学びを行う先進的な学校は、たいてい教師の専門性を開発する学校でもあるのですが、日本においてはその意識が弱いという問題があります。カリキュラムをつくることと、それを通して教師自身も学ぶことを、両輪で行うことが重要なのですが、「子供中心の学びが大事」と言いながら、教師の育ちはほぼ考えられていないのです。

では、どのように先生方の「教師教育」を進めていけばよいかですが、まずは先生が子供と学べばよいのです。例えば小学校の先生なら、(全教科を教えるので)「小学校時代には、算数が嫌いだった」という先生もいるでしょう。しかし、子供のときに分からなかった、嫌いだったものが、大人になって教科書を読んでみたら、案外「分かる」「おもしろい」と思うこともあるでしょう。そのように、子供と一緒にもう一度学び直していくのが教材研究であり、それによって教材理解も深まるのです。子供に学んでほしいものがあれば、それをあらかじめ先生が見ておいて、授業でも共に学んでいくことが重要で、それがなければ子供たちに寄り添えませんし、学びを深めるための問いも出てきません。

もちろん先生の余裕や力量にも限界があるので、「そこをシステムで何とかしよう」という考え方もあります。しかし、自分で学ぶ力が相当にある子供でなければ、システムを使って独力で学ぶのはむずかしいものです。しかも、その学ぶ力がどのように育ってきたかと言えば、家庭などにおいて保護者が子供に寄り添い、「これはおもしろいね」「どうなっているのかな?」といった、情緒的な関係も含めて学び合っていった結果、身に付けられたものです。人間は共同的な生き物ですから、共同性のないところに学びは起こりません。だからこそ、先生が子供と学ぶことが大事で、そのためには子供たちと一緒に内容を学ぶし、その内容を学んでいる子供の姿から学ぶということがとても大事なのです。

そうしたことができるよう、次の学習指導要領は先生方が読んだときに、「この教科、この単元の一番大事なところはここ」ということが分かるように整理することが必要です。そのとき、1時間単位の授業は現場の創意工夫に任せやすくして、その分、単元をどうつくるのかの手引きとして使いやすいようにしていくことが求められます。

これまでの改革は(その趣旨自体は良いとしても)あまり教師目線で考えてこられなかったのではないかと思います。ですから、単元単位でポイントが分かりやすいシンプルなものにして、先生方の単元づくり、カリキュラムづくりの手引きにすることにある程度振り切って考えられれば、もう少し示し方が変わってくるように思います(資料参照)。

【資料】石井准教授が考える学習指導要領のイメージ

資料
「今後の教育課程、学習指導及び学習評価の在り方に関する有識者検討会」における石井准教授発表資料より抜粋。

学習指導要領のコンセプトが保護者に伝わるようにしていくことが必要

さらに言えば、教育について社会全体で考えられるようにすることが非常に重要で、それこそが今後の教育を考える上での本丸と言えるでしょう。

現代は学校教育をサービスと捉え、保護者なども「やってくれるのは当たり前」と考えがちです。しかも世の中全体がせっかちで、タイパ(time performance)、コスパ(cost performance)もよく耳にしますが、何でも即時対応、効率的対応を求めます。そのように社会全体に大らかさがなくなってきていることが、教育にもあまり良くない影響を与えているのです。加えて、少子化による影響もあり、保護者としても失敗できないという正答主義に絡め取られ、焦り、苦しくなり、学校に対する見方も厳しくなるわけです。

それは子育てが個人化されることによって起こりました。かつては、例えば江戸時代であれば、名付け親とか、お食い初め親とか、地域にたくさんの親がおり、その親たちが子供の育ちを見守っていたのです。戦後でも村社会においては3世代同居は当たり前だったし、自分の親でなくても見守ってくれている存在がありました。そのように、直接の生みの親だけが子育てを担う子育ての個人化は、歴史的に見れば、割と最近のことなのです。

この子育ての個人化によって、保護者に圧がかかるため、学校教育に対しても「きちんとやれ」という具合に見方が厳しくなります。そして、個のニーズに応えることを求めつつも、他と同じ内容が提供されていなければ、「不公平だ」と言う。そのため、保護者の声で教育内容も個別化、個性化されずに揃ってしまうのです。

さらに学校の外側では、学習観を割り切ってしまうことも保護者の考え方に影響を与え、それが学校教育にも影響を与えています。日本は知育をすぐに外注しがちなのですが、それを担っているのが学習塾です。現在は学習塾も多様ではありますが、受験対応ということでは旧来型の学習観による割り切りで、短期的な成果を上げているように見えがちです。

学習指導要領は構成主義のような進歩的な考え方に基づいてつくられており、そのほうが子供の成長を長い目で見たときに効果的なことも多々あります。それに対して、学校の外側は旧来型の行動主義的な学習観、素朴な鍛錬主義的な学習観のような、割り切り学習観で短期的な結果を求めます。もちろん鍛錬も必要ではありますが、それだけでは長い目で見て、子供の伸び代を潰してしまいますし、全人格的な発達という点で見るとマイナスの部分もあります。

しかし、その割り切り学習観、素朴学習観は、保護者から見れば、「そのほうがスポーツで賞を取れる」とか「入試がうまくいく」といった自分の即時的なニーズ(より正確にはウォンツ)を満たしてくれ、分かりやすいのです。その結果、保護者、さらには子供も学校に対して、「塾みたいな授業をしてください」「何でそんなにモタモタやるんですか」と言うわけですが、手間をかけてやらないと意味理解、概念形成はできないのです。

子育てや学びには手間がかかるわけですが、その手間を無駄と考えるようになっている。そこをどう変えていくのかということは、今後の学校教育を考える上で重要で、根本にある保護者の孤立化による子育て圧を何とかすることも含めて考えなければならないでしょう。

その意味でも、次の学習指導要領はまず先生向けの文章・形式でつくっていくことが大事なのですが、同時にコンセプトやめざす学びに関しては、保護者も含めて世の中全体に伝わるようにしていくことも必要です。「こども学習指導要領」ではありませんが、保護者が子供と共に学べるようなものや場づくりも考えるとよいかもしれません。

現行学習指導要領は、「社会に開かれた教育課程」ということで、産業界には割とウケは良いし、政治家や他省庁に対しても一定のアピール力はあります。また教育政策に興味がある人たちが読んで、「これだったら成長にもつながるだろう」と思わせる文章に一応なっています。しかし、大多数の保護者が我が子を預ける学校で、どんな学びをつくっていくのかが分かる文章になっているかは疑問です。だからこそ、そのコンセプトが多くの保護者や社会一般の人々に伝わるように考えていくことが必要でしょう。

ただし、それによって学びのコンセプトが理解できても、最終的には「理屈は分かりますが、目の前の受験はどうするの?」という話になる可能性があります。ですから、子供たちのキャリアイメージのようなものを含め、例えば、ビジネス系の雑誌のようなものを通じてアピールするようなことも考えていくとよいのかもしれません。いずれにしても、保護者も含めて将来の社会がどうなっていくのかが見え、さらに将来での多様な成功イメージまでもてると、状況は変わってくるのではないでしょうか。

子供と一緒に世の中を見ていくと、先生の生き方も豊かに

ここまで、学校教育や社会の抱える課題などについてお話をしてきましたが、そこには閉塞感もあります。その一方で、背景となる社会は急速に変化する社会であり、変化する社会とはワクワク社会でもあるのです。「急速に変化する社会で見通しがもてない」と言われることもありますが、目を凝らしてみると、ある程度変容のベクトルは見えてきます。

最初にお話をしたように、コンピテンシー・ベースは世の中ベースですから、「DXと言うけれど、それは今の社会の変化のどこに表れているかな」と見てみると、男子バレーボールのような例をいたるところに見付けることができます。それらを見付けたら「じゃあ、私はこうしてみよう」と、一人の大人として新たなアイデアが浮かぶかもしれませんし、そう考えていると教材にも事欠きません。そのように、子供と一緒に世の中を見て考えていくと、自分の生き方も豊かになるし、多様な教材の提案もできる可能性が高まるのです。

今、変化する社会の中で、「どうしたらよいのかな」と思うこともあるかもしれませんが、まったく見通しがもてないわけでもありませんから、「今の社会の変化を子供と一緒に楽しもう」と思っていただけるとよいのではと思います。「こんなことがあるんだって! 知ってた?」と、子供たちとワクワクを共有していくのです。先生という職業は、そのように子供と一緒に学び続けられる職業なのです。

学ぶという行為は、自分を更新するプロセスですから、人は学んでいる間は楽しいのですが、残念ながら今の日本社会は大人が学び続けないため、変化に弱くなってしまっています。その日本社会の中で、先生という職業は、子供と一緒にいるからこそ、楽しく学び続けられる職業です。そういう視点で「教師」という仕事を見直してみると、一職業人としても、一人の社会人としても楽しい人生を過ごすことができるはずだと思います。

執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之

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