石井英真准教授⑵|学習指導要領の趣旨を熟成させてつかみ直すことが大切 【教育キーパーソンにインタビュー! 令和の教育課程「その課題と未来」#08】

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教育キーパーソンにインタビュー! 令和の教育課程「その課題と未来」
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石井京都大学准教授
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前回から、「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」で、今後の日本の学校教育の在り方について議論をしてこられた、京都大学の石井英真准教授に話を伺っています。前回は主に学習指導要領の趣旨の捉え直しについて伺いましたが、今回はカリキュラム・マネジメントを中心に話を伺っていきます。

カリマネもキーワードをなぞる表づくりに

日本の学校教育は全人教育であり、一人前の自立した一人の市民を育てていくことが究極の目的ですが、この全人教育を実現するためにあるのが、カリキュラム・マネジメント(以下、カリマネ)です。

カリマネは教科課程経営ではなく、教育課程経営ということから展開してきました。日本のカリキュラムは各教科、総合的な学習の時間(以下、総合学習)、特別活動(以下、特活)で構成され、これらを通して全人教育を目指してきたのです。ですから、今さら非認知能力とか社会情動的スキルなどと言わなくても、情意や社会性を育む部分も、もとからカリキュラムの中に存在します。それが諸外国から評価されたところであり、現行学習指導要領の資質・能力ベースの改革にもつながっているのです。

そのような各教科、総合学習、特活という教育課程全体を通して、学校が目指す子供像をどう実現していくのかを考えることがカリマネで、学びの保障もそうですが、その先に成長の保障も実現していくわけです。その意味でコンピテンシー・ベースとは、前回お話をしたような世の中ベースであると同時に、一人前の市民をどう育てるかということでもあります。つまり、社会で活躍できる自立した市民を長い目で見ながら育てていくというのが、コンピテンシー・ベースの核心でもあります。

カリキュラム全体を通して、成長目標を実現するような形で子供たちをどう育てていくのかということは、日本の先生にとってごく当たり前の話ですが、今、改めてそういう大本に立ち返って、カリマネを考えていくことが必要です。コンピテンシー・ベースの話と同様、カリマネも形式的になってしまい、「教科等横断」「PDCA」といったキーワードをなぞる表づくりになっていないでしょうか。そうではなく、教育課程経営を通して、大本である全人教育や「深い学び」、「全人的な育ち」を保障していくという、ごく当たり前のことに立ち戻って考えることが必要なのです。

「学習指導要領や解説にある文言を行わなければならない」

それがなされてこなかった状況の裏側には、やはり先生方のオーナーシップの低下問題があり、その一因には主体的な研究の組織や場の減少があります。かつては先生方が自ら研究サークルや民間研究団体をつくり、学習指導要領に限らず自分たちで捉え直す場や機会が多数ありました。しかし、多忙化の中でそうしたものがどんどんしぼんできたため、政策的に出てきたものを、自分たちで批判的に検討したり、自分たちなりに捉え直したりする土台が弱くなってしまったのです。

特に1990年代の「新学力観」の頃、「観点別評価」が入ってから、全国どこへ行っても授業の指導案が同じようなものになってきました。その頃から、学習指導要領の方法面の言葉が現場にすごく入ってくるようになったのです。「学習指導要領が現場の実践として実装されていない」と言われることもありますが、学習指導要領の言葉自体は驚くほど現場に入っているのです。ただし、言葉は入っているけれども自分たちなりにつかみ直すことができていないため、腹落ちしないまま形だけやることになってしまっています。

そのため、かつては個々の先生がオーナーシップをもって取り組んできたことが、同学年で足並みを揃えて行われるようになりました。そこには良い面もありますが、揃えることによって学習のプロセスについて細かくチェックされることが増えてきたと思います。良い意味でも悪い意味でもきっちりするようになってきたわけです。加えて、自分なりに教材研究する余裕も減ってきているし、いざ自分なりの研究を行おうとしても学び合える研究仲間や参考になる知見も近くにないという現実があります。

そのように、先生方の学びの環境が学習指導要領の言葉とその伝達講習的なものに閉じてしまっていて、それを自分たちなりに相対化して何かをつくり上げていこうという土台がなくなっています。自分たちで方法面を工夫するという余地が、知らず知らずに狭まってきているわけです。

本来、総合的な学習の時間や特色ある教育課程やカリマネは、現場の自律性を励起しようというメッセージも含んでいたはずなのです(資料参照)。例えばカリマネなどと言わなくても、「この学校はこんなこと(地域や風土に合わせた特別活動や総合学習など)をやっています」ということは以前からありました。そういうものを励ますためにカリマネがあるわけですが、「カリマネを新しく行わなければならない」と考え、「教科横断をしなければならない」というように、「学習指導要領や解説にある文言を行わなければならない」となってしまっているように思います。

【資料】学習指導要領総則 第1より抜粋

4 各学校においては,児童や学校,地域の実態を適切に把握し,教育の目的や目標の実現に必要な教育の内容等を教科等横断的な視点で組み立てていくこと,教育課程の実施状況を評価してその改善を図っていくこと,教育課程の実施に必要な人的又は物的な体制を確保するとともにその改善を図っていくことなどを通して,教育課程に基づき組織的かつ計画的に各学校の教育活動の質の向上を図っていくこと(以下「カリキュラム・マネジメント」という。)に努めるものとする。

文部科学省 小学校 学習指導要領(平成29 年告示)より

【資料】学習指導要領総則 第5より抜粋

1 教育課程の改善と学校評価等
ア 各学校においては,校長の方針の下に,校務分掌に基づき教職員が適切に役割を分担しつつ,相互に連携しながら,各学校の特色を生かしたカリキュラム・マネジメントを行うよう努めるものとする。また,各学校が行う学校評価については,教育課程の編成,実施,改善が教育活動や学校運営の中核となることを踏まえ,カリキュラム・マネジメントと関連付けながら実施するよう留意するものとする。

文部科学省 小学校 学習指導要領(平成29 年告示)より

改めて、総則に示されたカリキュラム・マネジメントに関する部分を読んでみると、各学校は目標実現に向けて、それぞれの特色を生かしながら教育課程の工夫、改善を図っていってほしいという願いが読み取れる。

そこには、現場がリスクを取れなくなったことがあります。例えば、授業参観で授業公開を行うときに、同じ教科の授業を見せると、「1組から3組まで進度が揃っていない」と言われたり、時には自治体もスタンダードなどに照らして授業スタイルが揃っているかどうか点検したりすることもあります。そのため、他クラス、他校、他地域と異なることをやって問題が生じると、保護者からも地域からも行政からも責められかねないわけです。

そのときに、「どんどん自由にやってください。責任は自分が取ります」と言えるだけの学校管理職や行政のリーダーシップがあればよいのですが、多くの場合はそうではありません。そのため、無難にこなそうとしてしまい、「これさえやっておけば問題ないでしょ」ということだけを行うようになり、窮屈になってきたのです。

文部科学省から示されたキーワードで語られる学校経営

また、現場の実践のオーナーシップは、それを語る言葉にかなり規定されます。ですから、民間研究がまだ盛んだった1990年代以前は、学習指導要領を相対化する視点をもっていたため、学習指導要領の言葉もある一方、現場サイドの言葉も使われており、一定のオーナーシップは担保されていたと言えるでしょう。

しかし特に2010年代以降、現場の言葉がしぼんでしまい、学びの在り方も学校教育目標も、ほとんどが学習指導要領由来の言葉、つまりカオナシの言葉で語られるようになっていったように思います。そうではなく、学習指導要領の趣旨を踏まえた上で、目の前の子供に即して、「これはこういうことだよね」と自分たちが腹落ちする言葉で語らなければ、自分たちの実践になっていかないのです。

学校経営をとっても、文部科学省や各自治体が示す学校教育の重点等に示されたキーワードをちりばめて語るだけだと、それは自らの学校経営ではなく、文部科学省や自治体の下請けのような意識に陥りかねません。言葉によって下請け化が起こるのです。

ですから、新たな言葉を継ぎ足していくのではなく、現行学習指導要領の趣旨自体はよく考えられているわけですから、そこを熟成させてつかみ直すことが大切です。そのつかみ直す過程で現場の先生方が議論をし、自分たちでカリキュラムをつくったり、自分の授業と思えるような授業づくりをしたりしていくことが必要なのです。

執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之

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