子供を見る目を鍛える|いつ、どこで?~5つの場づくりと3つの視点~
小学校教師は「子供をよく見よう」とよく言われます。しかし、教師の日常は非常に忙しく、ちょっとした休憩時間をとることも難しい状況。一方、「子供を見取る」ことが不十分でトラブルが起きれば、時間はその何倍も必要・・・。
そんな悪循環に陥らないためには、5つの場と3つの視点を持つことが大切です。新任先生は、特に必読ですよ!
執筆/岡山県公立小学校教諭・南惠介
みなみけいすけ●1968年岡山県生まれ。人権教育、特別支援教育をベースとした学級経営に取り組む。著書に『「ほめる」ポイント「 叱る」ルール あるがままを「認める」心得』(明治図書)『国語科授業のトリセツ』(フォーラムA企画)等がある。
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目次
子供を見るために私がつくる5つの「場」
私の学級経営の「核」は、子供たちの「良さ」を見つけることです。だから、そういう視点を持ち、子供たちの良さをいろいろな角度から見る必要性があります。そこで、日常の中で意識的に子供を「見る」ために、私は次の5つの場を意識しつつ過ごしています。
① 休み時間
私は50歳になりましたが(2018年現在)、それでも若い頃と同じように休み時間には可能な限り子供と遊ぶようにしているし、少なくともよほど緊急の用事がない限り、朝から子供が帰るまで、教室で子供と一緒に過ごすようにしています。授業では見えてこない、子供たちの行動や表情を見ることができます。
遊ぶこと、一緒に過ごす時間が長くなることで担任を信頼し、安心した子供たちが見せる表情は、そうではない大人に対して見せる表情のそれとは、また違うものです。
② 日記
高学年の子供たちは、低学年の子供たちのように自分をさらけ出すことは少ないでしょう。しかし、開示したくないとは限らないし、行動と真逆のことを感じたり考えたりしていることもしばしばあります。特に男性教師である私は、高学年の女子とはいろいろな場を設定し、丁寧に関わっていく必要があります。そこで「日記」です。
「日記」の特徴は、生身での関わりに比べ、よい意味で「体温」を感じさせないことだと思います。高学年の子供たちはドライな関係を保ちつつ、個人的なつながりを築くことを志向することが多いです。特に関係のつくり始めの頃は顕著です。
毎日「日記」を読み、コメントを書くことは簡単ではないですが、それでもそのコストに比べて、返ってくるものは非常に大きいと感じています(とは言え、私の書くコメントは「なるほど」とか「面白いね」という簡単なものが多い。その代わりに日記の内容を学級全体に向けて紹介したり、その内容について差し障りのない範囲で軽く言葉を交わすことは多い)。
私にとっては「日記」は、セーフティネットの働きも併せ持っています。学校生活の短い時間の中で、二人だけの「対話」の時間を確保することはそれほど簡単なことではありません。しかし、「日記」ならそれが可能になります。
何の脈絡もなく、その子に対して肯定的な内容のコメントをひたすら書くこともあります。そうやって気持ちを伝えることも、日記であればできるのです。日記を通しての「対話」で、高学年の子供たちとつながっていくことは少なくないです。
③ 振り返りノート
日記とは別に、振り返りノートも書きます。「5分間で書けるだけ」という約束で、B5判のノートを半分に切ったものを使い、帰りの会などの時間の中で書かせます。ほとんどの場合「日記」にはテーマがないのに対して、こちらは「学級目標について」「今日よかった人」「今日の行事について」など、共通したテーマを設けます。そうやってテーマを限定することで、日記とは違う世界の子供たちが見えてきます。
また、その振り返りノートを学級全体に紹介することで、他の子供たちの反応を知ることもできます。「日記」が「閉じた世界」で繰り広げられる「対話」であるならば、「振り返りノート」は、「開かれた世界」で自分の考えを問う「話し合い」のようなものです。同じ「書く」という活動ではありますが、その「場」と目的が違えば、異なった姿を子供たちは見せてくれます。
④ 授業での観察
授業での観察は欠かせません。しかし、その授業が常に講義型の一斉指導だけならば、子供たちの姿も画一的で「いつも同じ」になりがちでしょう。だからワークショップ型の学習や、「班学習」などの集団での学習、あるいは『学び合い』のような、ほぼ子供たちに任せてしまう学習など、いろいろな形の学習形態を取り入れるようにしています。
一斉指導では輝かない子が、『学び合い』の授業の中で輝くことはとても多いし、もちろんその逆もあります。そうやって授業においても、子供を見取るために多様な「場」を意図的に設定することが大切だと考えています。
⑤ 保護者との雑談
保護者と積極的に「雑談」をするようにしています。自分の学級だけでなく、他の学級の保護者とも雑談をします。「ずいぶん寒くなってきましたね」という他愛もない時候の挨拶から、「この間○○くん、こんなよいことをしていましたよ」という話題まで、とりあえず「話しかけてみる」ようにしています。
私自身は実はそれほどオープンな性格ではないのですが、いつの間にか癖のようになってしまい、保護者を見るとつい話しかけてしまうようになりました。
そして、そういう「雑談」ができる関係だからこそ教えてくれたり、垣間見ることができる子供の「背景」があることに気が付くようになってきました。特に「よかったこと」を伝えることで、「実は・・・」と真逆の話を聞くことがあります。頑張っていて喜んでいると思っていた子供が、実はそのプレッシャーに悩んでいたということもあるのです。
そんな本音を聞くことはそれほど多くはないかもしれないですが、それでも「本音を受け入れる扉が開いている」ことを明らかにしておくことは、私にとっては大切なことの一つです。
本当に見ることができているのか ~「位置」の意識
いつも意識していることがあります。それは、子供たちを「本当に」見ることができているのか、ということです。
前項のテーマは「子供の表面を見た上で、さらに背景を見る」ことでしたが、そもそも「物理的に」見えていなければ話になりません。いろいろな教室に行ったり、授業ビデオを見せてもらったりすると、「気になる子がいる」と言いつつ、「え、その位置からは見えないんじゃないの?」という位置に立ち続けている先生がいらっしゃいます。
もちろん、私自身の過去を思い出しても、若い頃は授業を流すだけで精一杯でしたし、授業が流れるよう子供をコントロールするだけで精一杯でした。しかし、だからこそ意識して子供を見る「位置」にこだわることを提案したいのです。結果的にその方が楽に授業を進めることにつながることも多いのです。では、その位置とはどのようなものでしょうか。
① 場所を意識する
1時間の授業中、教卓と黒板の前から離れていないなら、まず「物理的に」見えていない可能性があります。
少なくともそれを「ずらす」ことで、やっと子供の姿を見ることができるのです。
教室のどの場所に立っているか。そして、その場所から子供たちを本当に見ることができているか。授業中に場所を変えて見ようとしているか。今一度、意識し、確認してみるとよいでしょう。
② 高さを意識する
場所を意識するだけでは不十分でしょう。皆さんは、何をもって子供を見取ろうとしていますか。きっと、その多くは「表情」でしょう。しかし、いつも「立った」ままで、本当に子供の表情を見ることができるでしょうか。もちろん、説明している間には、子供たちは教師を見ていますから、表情も見ることができます。
では、活動している時は? おそらく、子供たちの「表情」は、教師が説明している時ほど見えないでしょう。そうした場合は、場所だけでなく「高さ」も意識するべきです。
私はしゃがんで全体を見渡すようにしています。そうすることで、子供たちの「表情」を見ることができるからです。机に向かって真剣に何かを書いている表情。うつむいて一生懸命考えている表情。友達と嬉しそうに話している表情。しゃがんで全体を見渡すからこそ、見えてくる表情があります。そして、それは「教師」を意識していない子供らしい「素」の表情なのです。
③ 手と足の動き
ただ漠然と見ていても、子供の姿は見えません。逆にあれもこれもと思いすぎても、見えなくなることはあります。そこで、私の場合は表情の他に、「手と足の動き」を意識的に見るようにしています。表情はいろいろなことを物語りますが、無意識に本音が出やすい「手の動き」や「足の動き」には、その子の「本音」が隠されていることがあります。
一見授業に集中しているように見えて、足がぶらぶらしている子。「授業、めんどくさい」と言いつつ、楽しそうに足を動かしながら作業をしている子。手の動きにも意味がある。腕組みをする、あるいは体の前で指を組む。それは、相手の話を遮断しているサインであるかもしれない(ただし、全く聞かない場合と、一度聞いたことを、自分の中で咀嚼する時間を確保するために、聞かないようにしている場合がある)。また、口元に手がよくいく子は、緊張状態や不安感を表していることが多い。
ここで示したのは一例ですが、このように私自身は日常的にいろいろな視点から子供を見ようとしています。
ある先生に、授業中私の目が「ずっと動き続けている」と言われたことがあります。ビデオを確認すると、確かにそうでした。顔の位置は変わらないけれど、気持ち悪いくらい目が動いていたのです。常にそうやって、子供たちを分析し、そこに自分の指導を最適化させていくことが私の生命線なのだと思っています。
子供を見る目を磨くヒント
子供との濃密な時間を過ごし、保護者とつながることで、その子を見る、知る機会をできるだけたくさんつくることが、「磨く」ための第一歩だと考えています。そうした営みの中で、自分の価値観が変わり、子供の見方そのものが変わるということを、私自身何度も経験してきました。ぜひ、泥臭く子供や保護者と関わっていただきたい。そういう経験は後に必ず活きてくるからです。
また、「背景を探る」ということについてここまで書いてきましたが、自分が見たことを「分析」する視点が必要でしょう。私の場合は、「行動分析」や「応用行動分析」の視点が核となっています。
その行動の裏にはどのような「背景」があるのか、心理面から分析した書物を読むことが大きなベースとなっています(「○○心理学」など、心と体の関係を説明した軽めの書物でも十分参考になる)。
行動には文脈があるので、「その時だけ」の判断は必ずしも正しいとは限らないですが、少なくとも表に現れた行動の奥に、「その行動の背景」や「本音」が隠されているのではないかと考えるだけでも、子供の見方は変わると思います。蛇足ですが、私がいつもそういう見方を人に対してしているわけではない(そんなことをしたら疲れ果てます)ので、もし私と会う機会があったとしても、ご安心ください(笑)。
イラスト/大橋明子
『小六教育技術』2019年1月号より