管理されにくい先生になろう!武器としての教育法規(1)

元北海道公立中学校校長

森万喜子

新年度こそは、もっと自由に自分らしく働きたい。そう願う先生に必要なのものは、何でしょう? よい職場環境? 勉強する時間? でもそれが手に入らないから困っているのではないでしょうか? ズバリ、それを手に入れるための武器が「教育法規」の知識なのです。毎年、『教育小六法』を新調し、若手教員にそのエッセンスを教えているという森万喜子先生に、一生モノの武器になる教育法規の使い方をレクチャーしてもらいました。

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<プロフィール>
森万喜子(もり・まきこ) 北海道生まれ。北海道教育大学特別教科教員養成課程卒業後、千葉県千葉市、北海道小樽市で美術教員として中学校で勤務。教頭職を7年勤めた後、2校で校長を勤め、2023年3月に定年退職。前例踏襲や同調圧力が大嫌いで、校長時代は「こっちのやり方のほうがいいんじゃない?」と思いついたら、後先かまわず突き進み、学校改革を進めた。「ブルドーザーまきこ」との異名を持つ。校長就任後、兵庫教育大学教職大学院教育政策リーダーコース修了。

「教育の目的ってなんですか?」に即答できますか?

何年か前のことです。意識が高く、学ぶ意欲も高いであろう現職の大学院生の方々、つまり、学校の先生をしながら大学院で学んでいる人たちと教育法規に関するグループワークをしたことがあるのですが、そのときに驚いたことがあります。

現職の大学院生の中のお一人が「教育の目的ってなんですか。どこかに書いてあるんですか」と言ったからです。それを聴いて私は心の中で「えーっ!? それを知らないで今まで先生をやっていたのですか!?」とツッコミを入れてしまいました。目の前にいるのが初任者であれば別に驚きませんが、それを言い出したのは40代ぐらいの、中堅で、学校でバリバリ頑張っています的な人だったからなおさらです。

教育の目的は、教育基本法の中に書いてあります。たぶんその現職の大学院生さんも教員採用試験を受けるときに勉強したはずです。当然、教員は全員知っているはずのものですが、よくよく考えてみますと、教育の目的を知らないのは、もしかしたらこの人だけではないかもしれません。教員採用試験によく出る法規問題として、文言だけ暗記するような勉強の仕方をしていた人の中には、なぜこの法律ができたのかというストーリーを知らないまま、法律が腹落ちしないまま、教員として過ごしてきた人もいるのではないかと思うのです。

法律に関して無知な教員は管理されやすい

このように教育基本法を知らなくても、先生という仕事ができないわけではありませんが、法律に関して無知な教員は不利益を被る可能性があることを、若い先生方には知っておいてほしいです。

例えば、先生方の勤務時間には労働基準法が適用されます。

労働基準法第三十二条において、

  1. 使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。
  2. 使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。

ことが規定されています。これを知っている人は、毎日夜遅くまで働くのは法律に反していると気づけますから、「この職場環境をなんとかしよう」と思えるはずです。しかし、知らない人はどうでしょう。「先生の仕事とはそういうものだ」と思って、特に疑問を持たず、「子供のために」と際限なく働いてしまうのではないでしょうか。

あえて意地悪な言い方をしますが、管理する側から見ると、先生たちが無知でいてくれることが一番なのです。何の法律の知識もなく、「これって本当にいいのかな」と現状に対して疑問を感じることなどなく、ただ黙って働いてくれる人がいたら、こんなに都合のいいことはありません。その結果どうなるでしょう。「管理しやすい人」は疲弊してボロボロになってしまうかもしれません。そうなる前に、法律を根拠に自分の働き方を自分で考えていけるような、管理されにくい人になりませんか。

また、普段から残業も休日出勤も厭わないA先生が年休を取りたいと校長先生に申し出たとします。そのときに、校長先生は笑顔で「A先生はいつも一生懸命やってくれるから、どうぞ、どうぞ。休んでいいよ」と言いました。それに対し、いつも定時で帰っているB先生が校長先生に年休を取りたいと申し出たところ、「また休むの?」と嫌な顔をされました。

これはおかしな話です。なぜなら権利とは、従順に働いた人へのご褒美ではないからです。年休はどんな教員にも取る権利があります。校長先生が、B先生に対して「普段、たいして働いていないから、嫌味の一つも言ってやろう」などと考えること自体が間違っています。

B先生は堂々と「年休を取りたい」と申し出ていいのです。法律を知っていれば、余計なことで悩んだり、傷ついたりせずに済みます。

「学校を変える」時の一番の相棒は法的根拠

講演で、「校長時代に学校の無駄な業務や行事を減らした」という話をすると、現役の校長先生から質問を受けることがあります。

校長先生:「そういうことをして、怒られないのですか?」

森先生:「誰に怒られるの?」

校長先生:「教育委員会に」

森先生:「怒られませんよ。校長には、教育課程編成権があるからね。カリキュラムや行事などは、全部校長の裁量で変えられるの」

校長先生:「知りませんでした……」

実は教育委員会の人も、校長の権利をわかっていないことがあります。だから、「教育委員会が言った通りに、どの学校も全部一律にやれ」と言ってくるのです。そういう教育委員会の人にとっては、法律を知らなくて、なんでも「はい」と答えて言うことを聞いてくれる校長ばかりだとやりやすいのです。

私はよく「武家社会」という言葉を使いますが、武家社会になっている教育委員会は全国に結構たくさんあるのではないかと思います。そこでは何よりも大事なのは殿様です。その殿が教育長だったりしますが、殿が議会やメディアに叩かれたりしないようにすることが何よりも優先され、そのために各学校はやらかさないように、言われた通りにしろと、そういうことをよく言ってきます。そして、殿や教育委員会の機嫌を損ねないように、校長は言われた通りに学校運営を行うのです。

しかし、そもそも学校は子どもたちのためにあります。校長のため、教育長のために運営されている学校があるなら、そのような古い体質を若い先生たちにはぜひ変えていってもらいたいと思います。

それにはまず、理論武装をしましょう。学校を変えたいと思い、やりたいことがあるのなら、ベテランの先生たちからつべこべ言われて提案を潰されないようにしなければなりません。変えたいことが、どんな教育法規を根拠にしているのかなどについて、仲間同士で議論しておくといいのではないかと思います。つまり、法律は戦うための武器になります。この武器を使うことで、説得力が生まれ、提案が通りやすくなるはずです。

このように法律を知ることで、もっと自由に、自分らしく働けるようになります。

取材・文/林孝美

さて、次回からは、具体的な法律を引用しながら、自分の武器にしていくための解説をしていきます。ぜひ併せてお読みください。↓↓
生徒指導に法的根拠を!武器としての教育法規(2)
仕事の領域を明らかにしよう!武器としての教育法規(3)

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