インタビュー/葛原祥太さん|教育のプロとしてあるべき姿を追い求め、公教育の質向上に貢献したい【注目の若手&中堅教師に聞く「わたしの教育ビジョン」Vol.02】
子ども自身が自分の学習を作り上げる「けテぶれ」学習法を提唱し、教育関係者はもとより保護者からも大きな注目を集めた葛原祥太先生。理想とする教育を追究し、SNS等で積極的に発信を続ける葛原先生に、教師という仕事の在り方と魅力、そして目指すべき教育の姿について語ってもらいました。
葛原祥太(くずはら・しょうた)
1987年、大阪府生まれ。同志社大学、兵庫教育大学大学院を卒業後、兵庫県公立小学校教諭に。著書に『「けテぶれ」宿題革命!』『「けテぶれ」授業革命!』(いずれも学陽書房)、「マンガでわかる けテぶれ学習法』(KADOKAWA)など。現在は「けテぶれ」学習法に関する講演活動なども積極的に行う。
目次
プロとしての教師の在り方を問い直す
教師とはいったい何のプロなのか――。葛原先生は教師として、常にそのことを自問自答してきたといいます。
「たとえば医師免許というのは、医療行為という名のもとに人の体にメスを入れることを許された免許ですよね。では、教員免許とはいったい何を許された免許なんだろうと。教師は子どもたちに『あれをしなさい』『これをしなさい』と命令しますが、本来なら自由意志をもつ他者に対してしてはいけない人権侵害を、教育の名のもとに許されているということなんですよね。
そうした視点で教室を見てみると、命じるのが教師であり、それをすべて飲み込んで受け入れるのが子どもという人権侵害的な関係性に、これまで教師の側があまりにも無自覚だったのではないかと感じるんです。一人一人の人格を尊重するという意識で子どもの学び方を捉え直していく発想が、これからの教育には必要なのではないでしょうか」
時間になったら教室の椅子に座り、先生が発言を求めたら手を挙げて答えるという、長らく日本の学校現場で疑いなく行われてきた一斉授業のパッケージ。そうした強制性が本当に必要なのか。そうしなければ子どもたちは学ぶことはできないのか。教師と子どもの関係性、そして授業の在り方そのものに対する違和感を、葛原先生は教育実習の段階から抱いていました。
「教育実習そのものは楽しかったのですが、一斉授業的な授業のやり方にはすぐに限界を感じて、その頃から授業のはじめの5分間だけ自分で喋って、あとは子どもたちの活動にあててるようなことをしていましたね。また、算数の文章題の研究をして、そこで立てた仮説を教室で実践して、子どもたちの意見をもとにブラッシュアップして……という仮説検証のサイクルをくり返すことがとても楽しかった」
また、教育実習では授業における発言のねらいや意図について質問をしても明快な答えが返ってこないなど、“プロ感”のない先輩教員の姿にも疑問を感じたといいます。そうした違和感を抱えながらも小学校教員の道に進むことを決意した葛原先生ですが、現実は厳しいものでした。2年生に配属された1年目、30人の小さな子どもたちに囲まれ、しかも全方向から「先生、先生!」と呼びかけられる状況に戸惑い、苦しんだといいます。
「とにかく子どもたちのコントロールの仕方がわからなくて、自分がおかしくなってしまいそうでした。まわりの先生に相談しても、『大丈夫、大丈夫』というような反応しかもらえず、『これは人に聞いてもしょうがない。自分で考えて何とかするしかないな』と。そういう態度でしたから、職員室のなかでもどんどん孤立していきました」
湧き上がる既存の教育への疑問
当たり前に行われてきた授業の構造への疑問や、教師という職業の在り方に対する批判的な目。そうした視点を持ち得たのは、自身がもともと教員志望ではなく、教職への憧れや子どもという存在への幻想を一切持っていなかったからだと、葛原先生は分析します。
「大学卒業時はメディア志望で、某テレビ局の入社試験に最終段階まで進んでいました。もうほとんど受かった気でいたんですが、最後で落とされてしまい、あわてて次の道を考え始めることに……。勉強は好きだったしエンタメっぽい要素もありそうだということで予備校の先生も考えたのですが、昼夜逆転の生活だとか、寝る暇もないという話を聞かされて、それは嫌やなと(笑)。そこでようやく学校の先生という選択肢が浮上してきたわけです」
あくまでも職業選択のひとつとして小学校の教員をめざすことになり、教員免許取得のため兵庫教育大学大学院に進学。相変わらず教職への憧れは芽生えなかったものの、教育学の学び自体は楽しく、論文を読んだり書いたり、課題を深く分析したりすることには適性を感じたとのこと。そうした資質が、教員になってからも葛原先生の独自の学びと実践につながっていきます。
「1年目、一人で苦悩する中で上越教育大学の西川純先生が提唱する『学び合い』の実践に出合い、拙いながらもやってみたところ、自分の中で納得できる部分がすごくありました。周りの先生からは学級崩壊していると思われていたかもしれませんが、自分としては子どもとの関係がうまく築けるようになったという手ごたえがあったんですね。
先輩から『名札をつけていない子がいるから規律がなっていない』『机の上に水筒を置いている子がいるのは指導がなっていない』なんて指摘をされても本当に理解ができなくて、『その子がそれで勉強できているならそれでいいじゃん』、と、あくまでも心の中ではありますが反発しながら、目の前の子どもの姿だけを信じて学級づくりにあたっていました」
本人いわく、“すごく尖っていた”という新採時代。「子どもを制御することが教育なのか」「大声で叱って言うことを聞かせるだけでいいのか」という既存の教育の在り方に対する疑問は、やがて「宿題」の在り方という課題へと向かっていくことになります。
「宿題」を問い直す――「けテぶれ」という革命
教師にやらされて学ぶのではなく、子どもが自ら学ぶ力を身につけるにはどうすればいいのか――。試行錯誤をくり返しながら迎えた教員4年目の夏、葛原先生がたどり着いたのが「宿題」の革命でした。
「学力が上位の子にも中位の子にも下位の子にも一律に出される宿題に学力向上の効果があるのか、与えられた課題を無意識的にこなす作業的な宿題で本当に学習習慣がつくのか、という疑問がずっとありました。思考停止ともいえる宿題のシステムを変えるにはどうしたらいいかと思考した末に、子どもたち自身が学び方を考え、学習を積み上げられるサイクルを思いついたのです」
そのサイクルとは、一般的なPDCAサイクルを、子どもたちの学校での学びに最適化すべく「計画」「テスト」「分析」「練習」の4過程に整理したもの。それぞれの頭文字をとって「けテぶれ」と名付けられました。夏休み明けの2学期、さっそく当時担任していた5年生のクラスで実践を開始すると、みるみる子どもたちは変わってきました。「自分の力で勉強を積み重ねられる」という自信を多くの子が持つようになったのです。
「5年生から6年生に上がるときには『来年も担任は葛原先生がいい』という子もいました。それまで、そんなふうに言われたことなかったのに(笑)。6年生の卒業文集でも『“けテぶれ”で人生変わりました』と書いてくれる子がいて、自分としてはこの実践にかなりの手ごたえを感じていました」
とはいえ、5、6年生と持ち上がりで、子どもたちと共にチューニングしながら積み重ねた実践だったため、その関係性や文脈に依存した成果である可能性もありました。ちょうどこの翌年、新しい学校へと異動になったことから、葛原先生は異動先の4年生でさらに1年間、「けテぶれ」を実践。そこでも成功を収めたことで確信を得て、SNSを通じて学外へその取組を発信していったのです。
SNSを通じて拡散。「けテぶれ」の輪が広がる
今や誰もがSNSを通じて世界に自らの考えや主張を発表できる時代。それは教員も例外ではありません。従来からあるクローズドな研修会や教育研究サークルの中ではなく、葛原先生自らが発信するSNSを通じて「けテぶれ」の取組が拡散し、実践の輪が拡大していったことは、この時代の象徴的な現象といえるかもしれません。
「当時はまだSNSで発信されている先生も少なく、そこにいきなり顔出し、実名で飛び込んでいったので、周りの人には呆れられましたね(笑)。でも自分としてはとにかく自信がありましたし、とにかくみんなに知ってほしい見てほしいという気持ち。さる先生(坂本良晶先生)とつながりを持てたのもSNSを通じてですし、そのご縁から本を書かせてもらうことにもなったので、本当に得るものは多かったですね」
これからもSNSや講演、著書などを通じて「けテぶれ」をはじめとする自らの取組や考えをより多くの人に発信していきたいと語る葛原先生。その根底には、「日本の公教育をより良いものにしたい」という思いがあります。
「不登校の児童生徒数が約30万人に上ったというデータがありましたが、その中には単に公教育になじめずに不登校になったという子だけでなく、公教育よりもベターな選択肢としてフリースクールやオルタナティブスクールを選んだ子も一定の割合でいるはずで、しかもその割合は今後さらに増えていくのだろうと思っています。
もちろん、そうしたフリースクールやオルタナティブスクールで素晴らしい教育がなされるのはいいことですが、そこに行ける子どもたちだけが享受できる教育だけでなく、どの子も享受できる公教育の質を高めていくことが、やっぱり大事なんじゃないかと思うんです。
その意味で、僕がやってきたことというのは、公立小学校の教室と教科書という現行のリソースを使って、ただその見方や意味づけを変えるだけでこんなことも実現できますよというアイデアの提唱なんですね。公教育という枠組みは日本のどの地域でもほぼ同じ構造ですから、僕が自分の教室で実践できたアイデアは、日本のどこの小学校のどの教室でもインストール可能なはず。新採時の僕と同じような悩みの中にいる先生たちにも、ぜひ届いてほしいと願っています」
決してブラックではない公教育の未来
最近は初任者研修などで話をする機会もあるという葛原先生。そこで若き教師たちに伝えるのは、このような教師の在り方です。
「今は価値観が多様化して何が正解かわからなくなるような時代。だからこそ教師は、人間という生き物が何を良しとして何をダメなものとしてこの社会を作り上げてきたのかということをもう一度問い直し、子どもたちに伝えていく使命があると思っています。
教室では、言語によって子どもたちに伝わるものはごく一部で、ノンバーバルなコミュニケーションで伝わるものが大半。だから教師として何を喋るかではなく、自分が何を信じ、何を求めているかということを突き詰めて考えて子どもたちに向き合ってほしい。それがないままにやるべきことだけが積み重なっていくと、あなた自身が潰れてしまいますよということは伝えたいですね」
長時間勤務や業務の多様化・複雑化などから“ブラック”と評されるほど、教員の職場環境は過酷なものというイメージが定着しつつあります。教職という仕事に夢も憧れももたずに教師となった葛原先生ですが、それでもやはり教師という仕事には普遍的な魅力が間違いなくある、と力を込めます。
「やっぱり触れ合う子どもたちが人間としてすごくピュアなんですよね。大人になるとお金が絡んだり権力が絡んだりして人間関係がすごくドロドロするじゃないですか(笑)。僕はそういうのが本当に嫌いなんですが、学校は子どもたちもピュアだし、先生たちも本質的にはとてもいい人が多い。そういう人間同士の無垢な関わりに癒やされることがよくあります。
それに、本当に学校がブラックな職場で全員が疲弊しながら働いているかといえば必ずしもそうではなくて、日々それなりに楽しく働いている先生は自分を含めたくさんいます。若い人たちには、ぜひ学校の中に入ってそういう実態を見てもらいたいですね。
実はいま、学校がブラックだと言われていることはむしろラッキーで、これから職場としてどんどん改善されて、待遇も上がっていく可能性が大いにある。この苦しい時期をうまく抜けることができたらまた公教育の人気が出てくるんじゃないか。そんな未来もちょっと思い描いています」
「あなたがあなたであるとき、いちばん輝く」。これは、葛原先生が黒板の横にずっと掲示している言葉です。子どもたち一人一人が自分らしく輝いて生きていくことを願うと同時に、葛原先生自身もまた、自分らしく輝ける教師としての生き方をこれからも追い求めていくことでしょう。
2023年度をもって、いったん学校現場を離れることとなった葛原先生。今後は「けテぶれ」学習法などに関する情報発信や研究活動に力を注いでいくとのことです。
取材・文/葛原武史(カラビナ)