校長自ら、積極的に授業に取り組む ~教育リーダー対談④山香昭 【菊池省三流「コミュニケーション科」の授業 #29】
教師と子供、子供同士のコミュニケーション不足こそ今の学校の大問題! 菊池省三先生が、1年間の見通しを持って個の確立した集団、考え続ける人間を育てる「コミュニケーション科」の授業の具体案と学校管理職の役割を提示します。
第29回「コミュニケーション科」の授業は、<山香昭さんとの教育リーダー対談④>です。
やまが・あきら。大分県玖珠町立くす星翔中学校校長。1963年北九州市生まれ。大分県教育委員会、宇佐市教育委員会、中津市教育委員会、中津市立豊陽中学校長、県教育事務所長を経て2023年より現職。
目次
「自分が授業をしなかったら、いい人材は育てられない」
山香 中学校の教師から大分県教育委員会の義務教育課指導主事を経て県教委の教育人事課に属したとき、「いい人材をどう育てるか」が最も重要な職務でした。
そんなとき、たまたま「プロフェッショナル仕事の流儀」(NHK、2012年放送)で菊池先生を知り、「これからは、こういう教師を育てていかなければならないぞ」と強く思ったんですね。
菊池 番組中の、教育委員会とのぶつかりのくだりの部分ですか?(笑)
山香 いやいや、決して……若干それもあったかもしれませんが(笑)。
その後、たまたま大分で開催された菊池先生の勉強会に参加したとき、直接菊池先生の話を聞いて、「ああ、この人だ!!」と思いました。
菊池先生は公立小学校を退職してからも、全国で授業をし続け、ずっと子供たちに向き合っています。“教育評論家” ではなく “教育実践家” であるという姿勢に重みを感じています。
だからこそ、私も校長だからといって、授業=教育実践を切るわけにはいかない。自分が教師だった頃の昔話だけでは、先生方も耳を傾ける気にならないですから。何より、自分が学ぶ場になっています。
菊池 県教委、市教委を経て、中津市の中学校の校長、その後教育研究所の所長になられてからも、ずっと出前授業を続けていますよね。
「自分が授業をしなかったら、子供と接していなかったら、いい人材は育てられない」とはっきり言われる管理職はなかなかいません。多くの管理職が「授業は大事」と言いながら、授業を参観して感想を言うレベルで止まっています。
山香 学校現場を離れた“教育専門家”から話を聞くと、実践といっても、ほとんどがその人の過去の栄光の話になります。
それに比べて、菊池先生が話す内容は、同じものはまずない。バージョンアップしていつも新しいんです。それは、今も “目の前にいる子供の事実” と向き合っているからこそです。菊池先生の根幹にある公立小の教師時代の話は、あくまでも “今の教育現場” との照らし合わせに過ぎないんですね。
校長が授業をすることで、教師の気持ちが理解できる
菊池 授業にこだわるのは?
山香 自分が信頼を得るためでもあります。
いくら私が「菊池実践はすごい」「うちでも価値語をしよう」と言っても、私自身が何もしてなかったら、先生方は見向きもしません。どんなに偉そうに話しても、先生方は聞くふりだけで、右から左に流してしまいます。
「この校長の話を聞きたい」と思ってもらえるかどうかは、その校長が何をしているか、どんな理念を持っているかで決まると思います。
菊池 その通りですね。
山香 自分が授業をすると、先生方の気持ちを理解できるようになります。
先生方の授業を参観しているとき、騒がしい生徒に、「うるさい!」とついマイナスの言葉が出てしまう場面があると、授業後に、「もっと他にいい言葉があったのではないか」とアドバイスしますよね。ところが、実際に授業をしてみると、私もつい言ってしまう。その時、ようやくその先生のしんどさに気づくんです。「この子と向き合うのは大変だろうな」と。そんな背景を知らずに、「叱るのではなく、ほめよう」「この本を読むと参考になるかも」とアドバイスしても意味がない。
けれども、私自身もその子たちに授業をしていれば、より具体的なアドバイスができる。
「でもあの2分は頑張っていたよね。あそこがポイントかな」
「あの子にとっては10分が限界かな。でも、それは今は許してもいいよね」
「クラスのみんなも彼のことがわかってきたから、もうあまり影響力はないんじゃないかな」
同じ授業者として授業を語れるから、先生方にも響くのではないかと感じています。
菊池 過去の蓄積としてアドバイスしても、陳腐なものになってしまいます。
「トップダウンはだめだ」「委員会や管理職が言うと、現場は嫌がる」という言葉をよく聞きますが、それは、委員会や管理職が主語を自分にしないまま、他人事で実行しようとするからではないでしょうか。むしろ、「現場のことを何もわかっていないくせに」と反感を買っていることに気づかないんですね。
言葉の背景まで見つめて心の動きを慮る
山香 菊池実践の中で、私が力を入れているのが「あふれさせたい言葉」「なくしたい言葉」、修了式・卒業式に「言われたい言葉」「言われたくない言葉」の取組です。
教育研究所に勤務していた頃から、様々な学校でこの授業をしてきましたが、小学2年生から高校生まで、心に残る授業になりました。さらには、家庭に「あふれさせたい言葉」「なくしたい言葉」という内容で、保護者向けにも話したことがありますが、とても反響がありました。
再び校長となった今年度は、職員室で「あふれさせたい言葉」「なくしたい言葉」に取り組んでいます。
大人なら誰でも、傷つく言葉や悪口を言ってはならないことを頭ではわかっています。それでもつい言ってしまう。だからこそあえて取り上げ、頭の隅に残るようにしたい。
この授業で特に奥深いと思うのは、「なくしたい言葉」。あの言葉は全て、言われた経験から出る言葉なんですね。子供の背景が見えるんです。「ああ、この子はこんな言葉を言われているんだな、辛いだろうなあ」と。
菊池 教師は年度初めに「言葉を大事にしましょう」と言うけれど、忙しい毎日に流されて、つい忘れてしまいがちです。
1回の授業として終わるのではなく、1年間を通して、子供たちと考え続けていかなければならないと思います。
「あふれさせたい言葉」「なくしたい言葉」は、「ふわふわ言葉」「チクチク言葉」などの名称で、様々な教室で取り組まれています。しかし、多くはアンケートを採って「チクチク言葉はなくしていきましょう」と説明するだけ。よくても、「チクチク言葉はいい関係にならないからやめよう」と学級活動で指導するだけにとどまっています。
山香先生のように、その言葉の背景まで見つめて心の動きを慮ることはなかなかできない。授業をしているからこその視点だと思います。
授業観を職員室に導くのは管理職
菊池 飛び込み授業だからこそ、自分が一番伝えたいメッセージを授業で伝えているんですね。
山香 自習の教室が出ると、真っ先に「俺に行かせてくれ」とチャンスをもらっています(笑)。
授業の翌朝、校門に立って挨拶していると、子供たちとの距離感が全然違うんですね。
「お、今日もすてきだな」と声をかけると、「先生もすてきです」と笑顔で返してくれたり。
子供たちにとって、校長や養護教諭、図書館司書は “評価” をしない人間です。そこに強みがあると思っています。
「何を言っても点数をつけられない」という安心感を持たせ、子供たちの辛さやきつさをそっと引き出したり、頑張ったところを見つけたいと考えています。
飛び込み授業の際、私は自分の失敗談をよく話します。「俺は高校受験で落ちたことがあるけれど、校長になれたぞ」って(笑)。失敗や経験は時が経てば笑い話になる。「今は笑えなくても大丈夫だよ」と伝えたいんです。
菊池 教師自身の経験を出しながら、「子供たちと一緒に考えていきたい」という姿勢で、言葉の大切さについて意見を出し合ったり、人はなぜ学ぶのかを考えたり。先生も子供もフラットな関係で一緒に成長していこうとする授業が、成長の授業なんですね。
山香 理想と現実で葛藤し、話合いの中から、“今時点” での着地点を見つける。授業が終わっても、子供たちが心の中でずっと問い続けていく授業を目指しています。
菊池 子供自身が考え続けることですよね。
成長の授業は、教師の教育に対するスタンスが顕著に出ます。学校目標がただのスローガンにならないよう、管理職が授業という形で示すことは、教職員に強い印象を与えるのではないでしょうか。
山香 菊池先生や外部の人を招いたとき、丸投げするのではなく、校長として何ができるかを常にリンクしていく。その力を鍛えるのが、授業をすることなのです。
魅力のない人に、教職員も子供も集まりません。権限を振り回す口だけ達者のトップにならないよう、常に成長していきたいと考えています。
菊池 授業観を職員室に導くのは管理職です。管理職が授業観に基づいた授業をして見せることで、学校の授業観が作られていくんですね。
構成/関原美和子
菊池省三(きくち・しょうぞう)
教育実践研究家。
1959年、愛媛県生まれ。山口大学卒業後、北九州市の小学校教諭として崩壊した学級をこの20数年で次々と立て直し、その実践が注目を集める。2012年にはNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演、大反響を呼ぶ。教育実践サークル「菊池道場」主宰。『菊池先生の「ことばシャワー」の奇跡 生きる力がつく授業』(講談社)、『菊池省三流奇跡の学級づくり』(小学館)他著書多数。