提言|山田洋一 今、学級担任に求められる知識やスキルは? 【教師という仕事の価値を高め、失われた自信と信頼を取り戻すために 今、求められる教師像とは? #07】
世間からは「学校はブラック」だと思われ、保護者対応の難しさから自信を失い、教師という仕事に対する価値が以前よりも下がったのではないかと、感じている方もいるのではないでしょうか。そこで、どうすればその価値を上げられるのかを考えてみることにしました。教師たちの失われた自信と信頼を取り戻すために、今、求められている教師像を明らかにする8回シリーズの第7回目です。今回は、現役の小学校教諭の山田洋一さんに、学級担任の立場から語ってもらいました。
山田洋一(やまだ・よういち)
1969年北海道札幌市生まれ。北海道教育大学旭川校卒業。北海道教育大学教職大学院修了(教職修士)。2年間私立幼稚園に勤務した後、公立小学校の教員になる。教育研修サークル「北の教育文化フェスティバル」代表。日本学級経営学会理事。公認心理師。『子どもの笑顔を取り戻す!「 むずかしい学級」リカバリーガイド』(明治図書出版、2021)など著書多数。
■ 本企画の記事一覧です(週1回更新、全8回予定)
●提言|合田哲雄 教師という仕事の価値は下がるどころか、むしろ高まっている
●提言|前田康裕 ICTを活用したクリエイティブな学びと情報発信
●提言|神内聡(弁護士) 分かり合えない保護者にどう対応するか
●提言|成田奈緒子(小児科医) 発達障害かもしれないと思ったら、教師がすべきこと
●提言|赤坂真二 令和版、尊敬される教師とは?
●提言|岡田治美 理想と現実の狭間で、今、学校で何が起きているのか
●提言|山田洋一 今、学級担任に求められる知識やスキルは?(本記事)
目次
教師という仕事の価値について
本来、どの仕事にも価値があってしかるべきだと思うのです。ですから、教師という仕事に価値があるとかないとか、そんなふうに考える必要はないと思います。私は他の職業と比べて、教師という仕事の価値が低いと思ったこともなければ、 高いと思ったこともありません。教師という仕事の価値が下がっていると考えている人は、何と比較してそのように言っているのでしょうか。私にはよくわかりません。少なくとも私は、教師という仕事の価値を、人に決められたくはないです。子どもが今日はたくさん笑顔を見せてくれたから幸せだ、 今日は私が準備した教材を使って子どもたちが最後にできるようになったから幸せだ、これらのことに価値があるかどうかを決めるのは自分自身です。仕事の価値は自分で決めたいです。
もしも、教師という仕事の価値を、社会的にもっと認められたいと考えている教員がいるとしたら、自分の仕事を良くするしかないのではないかと思います。良い仕事をすれば、自分自身でこの仕事には価値があると思えますし、他の業界の人から見ても、教師という仕事は良い仕事だな、と認めてもらえるのではないでしょうか。
教員採用試験の倍率が下がったことを、現場の教員が嘆いても、仕方がないことです。今後、どんな人が教員になったとしても、現場では、その人たちをどのように育てるかが大事なのではないかと思っています。
昔の教師と今の教師の違い
ただ、今の教師に求められるものは、昔から教師が行ってきたこととは違ってきているのは事実です。では、今の教師に求められるものは何かというと、子どものことを知るための知識やスキルだと思います。
例えば、1980年代の教師の関心事は、子どもにいかに上手に教えるかでした。そのために、教育の技術が必要だったのですが、当時の教え方も教育技術も、「教師の側から見て」良いものでした。一般的な子どもという概念があって、こう教えれば子どもはこのようにわかるはずだ、こう教えればこのように熱中するはずだと考えられていたからです。そして、教員が「この教え方は間違いない」と言われている教え方をして、それでもわからない子どもたちがいたら、その子どもたちのせいにできたのです。「こんなに素晴らしい教え方をしているのに、どうして君はわからないんだ。ちゃんと勉強しなきゃダメじゃないか」と言えたのです。
しかし、今の教育現場を見ると、いろいろな子どもたちが教室の中にいますから、一般的に良いと言われている教え方が、 全ての子どもたちに通用するとは言い難いのです。ですから、今は子どもから見た良い教え方、良い教育技術を私たちは採用する必要があります。
もちろん、一般的に知られている教育技術があって、その中に多くの子どもたちが学びやすい学び方がある程度はあると思うのですが、それをやった上で、学べない子どもがいたとしたら、その子どもにとって学びやすい学び方を選択できる、そういう技術が必要なのだと思います。
だからこそ、今の教師は子どもについて知る必要があります。しかも、子ども一般ではなく、「その子」を知るためのスキルや知識が重要になってくるのです。つまり、「子どもに学べる教師」が、 おそらく一番優れた教師なのだと思います。それも子ども全般ではなくて、 この子からも、その子からも、一人一人の子どもから学んで、学びやすい方法は何なのかを対話しながら決めていける教師です。
例えば、「私の教え方が絶対にどの子にも合うとは限らないよ」と、子どもたちにメッセージしておいて、「今日はこの教え方をしたけれど、この教え方で君はうまく学べなかったようだね。どういう環境で、どういう教材で、どんな教え方だったら、学べそうかな」と子どもと対話しながら決めていくのです。
ただし、この対応を一人の担任が、クラスの複数の子どもたちに対して行うとなると、状況によっては難しい場合もあります。それを助けてくれるツールの一つが、1人1台の端末なのだと思うのです。以前から、 一人一人に対応した教育をやりたいと願う教員はいたわけで、その人たちは、プリントを何種類も用意するなどして、子どもたちに提供していたのです。その指導観は、教員の労力によって、成立していたわけです。
それが今は、1人1台の端末を使えば、データベースにレベル別の練習問題が入っていたり、AIがその子どもに必要な問題を提供してくれたりします。
例えば、算数の問題を1題出します。その問題が簡単だと感じる子がいます。今までだったら、「待っていなさい」と言われて、他の子どもたちができるまで待たされていましたが、これからは待っていなくても、1人1台の端末を使ってその子に合った教材へと進んでいけるのです。その一方で、難しいと感じる子も当然いるわけです。そうした子には、もっと前の段階から学び直しができるような教材を提供することが可能な時代になってきています。
理想とする授業はどう変わるか
時代の変化に伴い、理想とする授業も変わっていきます。これからは、一人一人の子どもたちの課題により添う、学びやすい授業になるでしょう。その時に、子どもは本来、環境さえ整っていれば、きちんと学べるものだと教員が信じているかどうかが重要な気がします。うまく学べない子どもが目の前にいたときに、子どものせいにするのではなく、「この子が学べないのは教室の環境やカリキュラム、私の教え方に何か問題があるのだ」と考えて、その部分を修正することが教員の中心的な仕事になるのです。
例えば、 作文の時間に与えられたテーマと、全然関係ないことを書く子どもがいました。「君が作文に書いているのは、何のことかな」と聞いてみると、「すみません。隣の教室で先生が話していたことを書いてしまいました」と答えたのです。つまり、その子は聴覚がとても敏感なので、いろいろな音、特に人の話を拾ってしまうため、作文を書いているとき、隣の先生の話が入ってきて、ついつい書いてしまった、というのです。
それがわかれば、周囲の音を遮断すればいいわけですから、イヤーマフの使用を提案する、静かな音楽を聴きながら作文を書く、などの対処法が考えられます。これらのことを試してみた結果、その子どもは、実際にちゃんとした作文が書けるようになりました。
しかし、最初から「この子は作文が苦手だから書けない」と決めつけたり、イヤーマフを与えてはダメ、授業中に音楽を聴かせてはダメなどと、勉強をさせるときは「こうあるべきだ」と考えたりする先生は少なくありません。様々な制限を外し、その子がどうすれば学べるだろうかと考え続けること、そういうマインドを持つことが今の教師には必要なのだろうと思います。
そのうえで大事なのは、子どもを勇気づけることです。その子がやりたいという方法があったとして、それでうまく学べなかったときに、教員は「一つ、学べない方法がわかったのだから、これで成功なんだよ。次にどんなことを試してみたい?」と話を聞いてあげることが重要です。そして再度その子が学べるように環境を調整して、トライ&エラーを認めてあげるのです。つまり、教師は「学びの案内人」の役割を担うことになります。
ただし、教えることはなくなりません。子どもたちが、「先生、ここが分からないので教えてください」と言ってきたら、教える技術が必要とされます。 今まで教師が大事にしてきた教育の知識や技能が不要なのではなくて、それらを子どもの必要に応じて提供するのです。
「働き方改革」は教師の幸せにつながっているのか
今は教員のなり手不足が問題視されています。教員の数を将来的に増やしていくための方策は、いろいろあるとは思いますが、私が現場の教員としてできることは、現場の教員が幸せそうに仕事をする姿を、子どもたちに見せることだと思います。特に小学校の教員は、「自分が教わった先生が好きだったので、学校の先生になりました」という人が多いのです。教員が幸せそうな顔で教室にいて、子どもと関わることが楽しそうで、おもしろそうに授業をしていると、将来的に、その教員から教わった子どもたちが、教員を目指すことにつながるのではないかと思うのです。
そのために今、学校に必要なのは、教員のやりがいにつながるような営みを増やすことです。それは何かというと、教育の本質的な仕事を追究することに尽きます。例えば、教員が子どもにきちんと向き合って関わり、その子どもが良くなった姿を見て、「これが私の仕事の意義で、私は子どもの笑顔を見るために仕事をしている」と感じられるような、そんな仕事ができるようにすることです。
今、全国の学校で「働き方改革」が行われていますが、早く帰ること、定時退勤をすることが目的になってはいないでしょうか。教員は子どもを幸せにしたいから、この仕事に就いたはずです。それが、いつの間にか、あまりにも仕事が多くて苦しくなったために、少しは楽をしたいと思うようになり、気づけば時短だけ、業務削減だけの「働き方改革」に向かってしまっているように見えます。
本来の「働き方改革」の目的は、業務の削減で生み出した時間を、子どものために還元することであるはずです。例えば、余計な業務を削減し、時間に余裕ができたとしたら、その時間が、教材研究を深くするための時間になりました、あるいは、子どもと関わるための時間になりました、と喜べなければ「働き方改革」をする意味がないと思います。今、行っている「働き方改革」が、果たして教員の幸せにつながっているのかどうかを、改めて考えてみる必要があると思います。
持ち帰らなければいけないほど仕事が多いなら、確かにその部分を改善しなければいけないと思いますし、人がどんどんやめていくような職場環境は是正する必要がありますが、その一方で、私たちがなぜ教師になりたかったのか、教師の仕事とは一体何なのかを本質的に考え、仕事のしかたや仕事の内容を改善していく必要があるのではないかと思います。
「本当は熱心な保護者」との関係を悪化させないコツ
保護者対応に頭を悩ませる先生方も多いと思いますが、「大変な保護者」とひとくくりにするのは危険だと思います。その中には、「誰が担任でも大変な保護者」と、本当は熱心な保護者がいるからです。
「誰が担任でも大変な保護者」の対応を、担任である自分の責任だと思い、一人で解決しようとすると、クラスには他の保護者も子どももいるわけですから、結果的に全体のパフォーマンスを下げることになります。ですから、本当に大変で自分の手に余ると感じたら、すぐに「助け」を求め、職員室の中でいろいろな人の力を借りることが重要です。
忘れてはいけないのは、対応が難しいとされている保護者の中には、本当は熱心な保護者もいることです。この人たちは教育や子育てのことを一生懸命考えているのですが、その方の要望に対して教員や学校が、きちんと応えられていないが故に、教員や学校に強く要望してくるのです。その場合は、担任が変わると、その保護者の性質が変わったかのように見えることもあります。「A先生が担任になってから、 〇〇さん、電話をかけてこなくなったよね」といったことも起こりうるわけです。この場合、担任との関係の中で、問題が起きている可能性があります。
きっと保護者は不安なのです。そのために、自分の子どもが悪くなっているのではないか、自分はこういうふうに育てたいのに学校はその正反対をやろうとしているのではないか、などと考えてしまうのです。こういう場合、担任はまず、保護者の話を否定しないで最後まで聞くことが大切です。
ところが、とかく教員は話の途中で、「でも、それは違うんです」、「それは事実ではありません」などと言ってしまいがちなのです。そんなことを言われたら、相手は「なぜわかってくれないんだ」と逆上するでしょう。多少聞きにくい話であったとしても、最初の1回や2回は、最後まで話を聞き、「お母さんのおっしゃりたいことはよくわかりました。こういうふうに子育てしようとしているんですね」と、相手の言い分をまずは受け止めることが重要なのです。その上で、「申し訳ありませんが、学校ができることはここまでなのですよ」と説明すれば、保護者だって社会の中で生きていますから、教員の立場を理解してくれるものです。
また、「この人は、クレーマーだ」と、最初からそういうスタンスで話を聞いたりすれば、保護者が怒るのは当たり前です。「もう、この先生には話をしたくない」と思って、次は管理職との面会を求めたり、教育委員会に電話したりするのは当然のことではないでしょうか。結局、学校との関係がうまくいっていない保護者は、怒っているのではなく、不安になっているのだと理解できるかどうかが重要なのではないかと思います。
管理職に求められるのは「育てる視点」
最後に、学校で教員がやりがいを感じながら働けるようにするために、管理職の先生方にお願いしたいことがあります。
学校で問題が起こらないようにすること、 危機管理を徹底することは、管理職として大事なことだと思うのですが、その意識が強くなりすぎると、問題が起きたときに「なんで問題を起こしたんだよ」、危機的な状況になると「なんでここまで放っておいたんだよ、もっと早く言えよ」などと教員を責めることになりがちです。このような、問題を起こして欲しくないと常に思っている管理職には、教員は何も相談できなくなります。相談したときに「また?」と言われたり、大きなため息をつかれたりするからです。そして、問題を一人で抱え込み、状況を悪化させてしまうのです。
うまくいかないこと、失敗することは、誰にでもあると思うのです。それを責めるのではなく、管理職には「教員を育てるという視点」を持って関わってもらいたいのです。例えば、問題が起きたとしても、そのことを通してどうやってその教員を育てるのか、その苦労から何をその教員に学ばせたいのか、などを意識して助言をしてもらえるといいと思います。どんな失敗をしたとしても、「管理職の先生がいつも最後は自分を成長させようとしてくれている」と思えれば、教員は何でも相談できるものです。
さらに、管理職だけではなく、同じ学年の教員、養護教諭なども、問題を抱えている教員の立場を理解し、この人が成長するにはどういうアドバイスが必要だろうか、この人を問題にどういうふうに向き合わせてあげれば一番成長できるだろうかと、成長を意識して関わっていけば、教員はもっと幸せな気持ちで働けると思うのです。
取材・文/林 孝美