リスクに備えていますか【赤坂真二「チーム学校」への挑戦 #15】
多様化、複雑化する学校の諸問題を解決するためには、教師一人の個別の対応ではなく、チームとしての対応が必須である。「チーム学校」を構築するために必要な学校管理職のリーダーシップとは何か? 赤坂真二先生が様々な視点から論じます。
第15回は、<リスクに備えていますか>です。
執筆/上越教育大学教職大学院教授・赤坂真二
目次
絵本に思う
『ぼくがラーメンたべてるとき』(長谷川義史、教育画劇、2007)という絵本をご存知でしょうか。読者の皆さんも授業や全校朝会の講話などで子どもたちに読み聞かせをした経験があるかもしれません。最初の頁で、一人の男の子がラーメンを食べています。頁をめくると、同日、同時刻に起こっていることが次々と紹介されていきます。場面は、隣の家からそのまた隣の家へと移り、やがて外国へ。そして戦場が描かれます。ほのぼのとしたタッチで描かれたお話の最後の衝撃は、強い印象を読む者に与えます。この絵本を手にする時、いつも全国の学校、クラスのことを思うのです。平和な日常と隣り合わせの過酷な現実は、世界情勢のことばかりではないなと。
今これを書いているのは、4月の半ばです。先週は、学級開きを終えて1週間の先生方、約100名の前で学級経営の年間戦略のお話をさせていただきました。よくこの時期にこれだけの方が集まったなと感心している一方で、いつも顔を出される先生がいませんでした。参加者名簿には名前がありましたので、後日連絡をとってみました。すると、「心が折れてしまって行ける状況じゃありませんでした。申し訳ありません」とのこと。彼女は、近年は毎年のように荒れたクラスを担任してきた中堅の実力者です。新しい学校に行って担任した6年生が、所謂、昨年度崩壊したクラスだったようです。それ以上は、詳しいことは聞けませんでしたが、私も小学校の教師の頃、全く同様の経験があるので彼女のおかれた状況はとてもよくわかります。
学級崩壊した高学年のクラスは独特の空気を持っています。クラス全体を諦めに満ちたどんよりした雰囲気が包み、うなだれて下を向いたままの子、机に寝そべる子、そして強烈な不信感でこちらを睨む子たちがいます。呼びかけても返事はなく、彼らの行動はまるで全身に鉛の塊を纏ったかのように緩慢です。こうしたクラスに支援に来て、後ろからその様子を見て「まだまだ、大丈夫」「先生の方から元気に挨拶したらいいんだよ」と無責任な発言をする方がいますが、そうした方にはぜひ、一日中子どもたちの前に立っていていただきたいと思います。人には親和欲求といって、人とつながりたいという基本的な欲求があります。それが悉く断ち切られます。憎悪と不信感は、相手が一人であってもかなりのダメージですが、集団だと物理的な力を感じるほどです。実際に、荒れた6年生を何とかしようと、心が折れてしまった担任の代わりに教室に入って指導した校長先生が「返り討ち」に遭い、退職まであと数か月だというのに休職に追い込まれた例を知っています。学級崩壊の苦しさはその担任になってみないと理解できないと思います。
壁一枚の向こうで
学校はすばらしい場所であるという信念は少しも揺らぎませんが、現実はそれだけではすまないことを読者の皆さんはよくご存知だと思います。子どもたちの笑顔に迎えられ、希望に満ちた時間を過ごしているクラスも少なくないことでしょう。しかし、その壁一枚向こうで、戦場のような現実を味わっている教師もいるのです。
本誌が皆さんの手に渡るゴールデンウィーク後から、学校の中にいくつか心配なクラスも出てくることでしょう。いや、そのようなクラスは、そこに来るまでに兆候が見られていたと思います。今時1年間、荒れるクラスもなく落ち着いた学校の方が少数派なのではないかと思います。学級崩壊のクラスが校内に一つでも出てしまったら、現在のマンパワー不足の学校では、組織全体が疲弊してしまいます。かつて荒れた学校の教頭先生と教務主任に「今、学校の状態はどうですか?」と尋ねると、「いいですよ。だって、今は自分たちの仕事ができますからね」と笑っていました。裏を返すとこの学校が荒れていた頃には、教頭先生も教務主任も荒れるクラスにへばりついていたということです。すると、ただでさえ「過労死ライン」を越えがちなこうした職の人がバタバタと倒れるという例もお聞きします。一般的に「ヒト、モノ、カネ」が、経営の三要素と言われますが、肝心なヒトがいなくなってしまったら、学校経営などは成り立たなくなります。モノやカネは、学校が独自に管理できるわけではありません。そう考えると学校にとっては、ヒトは最も大切な資源だと言えます。
しかし、そのための備えをしているかというと決して十分とは言えない現実があります。学力向上や授業改善には組織ぐるみ、地域ぐるみで取り組んでいながら、クラスづくり、つまり、学級経営は個人任せにしている現場を数多く見ます。学級経営が教育活動の根幹、学力向上の基盤だと学校経営方針に掲げているにもかかわらずです。
学級経営は若手の課題であり、個人的に学ぶことであると考えていませんか。学級経営を教師個人の学びにしておいてよかった時代はとっくに終わっているのではないでしょうか。また、学級経営に悩む若手は確かに多いです。しかし、学校経営を揺るがすような深刻な事態になるのは、若手だけですか。むしろベテラン層がそのような状況になっているのではありませんか。特別な支援の必要な子どもたち、複雑な家庭背景をもつ子どもたちはかつてより増え、学級経営のコストは以前より遥かに高くなっているはずです。一部の力のある教師に壊れたクラスを担任させ、なんとかしてもらおうという戦略は決して有効ではありません。教師は戦力ではありますが道具ではありません。少し言葉が過ぎたとしたら、お詫び申し上げます。しかし、職員が心を病む前に然るべき手を打つべきです。
『総合教育技術』2018年6月号より
赤坂真二(あかさか・しんじ)
上越教育大学教職大学院教授
新潟県生まれ。19年間の小学校での学級担任を経て2008年4月より現職。現職教員や大学院生の指導を行う一方で、学校や自治体の教育改善のアドバイザーとして活動中。『スペシャリスト直伝! 学級を最高のチームにする極意』(明治図書出版)など著書多数。