消え入りそうな声で発言する子の教室【全国小学校授業実践レポート 取材こぼれ話㉘】
目次
資質・能力や言語能力などの他にもある教育の役割
現行学習指導要領は、三つの資質・能力の育成を目標としていますが、それ以外にも学校が地域・学校の特性や子供たちの実態に応じ、教科等横断的に育むべき資質・能力を独自に設定して育成に取り組むように示しています。例示には、言語能力や情報活用能力、問題発見・解決能力などがあることは、私が今さら言うまでもないことでしょう。しかし、そうしたいわゆる資質・能力を育む以外にも学校教育には重要な役割があると思うのです。今回は、そんな思いをもったある先生のお話をしてみたいと思います。
ある先生の命の授業と女の子の発言
これはもう今から20年以上も前のこと(それだけに細かい表現の再現には少々不安がありますが…)。知る人ぞ知る先生の「命の授業」を取材に行ったときのことです。その先生は、その日、過去に起こった大災害の中で高齢者の女性を背負って逃げようとして、一緒に亡くなってしまった若い女性を題材に授業を進められていました。その災害の状況をていねいに紹介していくなかで、子供たちのほぼ全員が「その女性は、お母さんか親類の高齢者を背負って逃げたのだな」と想像していきます。そこで先生は、調査の結果、実は血縁関係のない高齢者を背負って逃げようとして災害に巻き込まれ、二人とも亡くなってしまったことを明かしていきます。当然、子供たちは驚きます。
そこでその先生は、子供たちにとても静かな優しい声で、「この女の人はどんな気持ちでおばあさんを背負って逃げようと思ったのでしょうか?」と問いを投げられます。その先生は、常に温かく、柔らかく落ち着いた声でお話になるのですが、その声のせいもあるのでしょう。教室内の子供たちも静かに、しかし頭の中では想像を巡らせながら、その女性の気持ちを考えているようです。
十分に時間をとった後、考えたことについて発言を求めると、子供たちはしっかりとその災害の場面を踏まえて想像したこと、感じたこと、考えたことを発表していきます。ただ、この後の出来事の印象が強すぎて、子供たちが何をどのように発言したかの記憶がほとんどありません。おそらく、先生のトーンに近い、落ち着いた声で発言していたという程度なのです。
ひとしきり子供たちの発言が出た授業終了間際、他に発言したい人はいないかなと先生が投げかけると、教室の後ろの席に座っていた女の子が、おずおずと手を上げました。指名され、ゆっくりと立ったその子は静かで、消え入りそうな声で、途切れ途切れに次のように話したのです(繰り返しになりますが、音声データが残っておらず正確な再現ではないのですが、ニュアンスを汲み取っていただければと思います)。
「お母さんじゃ…なくて…親戚でもなくて…それでも…何とか…助かってほしいと…思ったんだと思います」
周囲の子供たちも、シーンと静まり、その子の小さな声をしっかり聴き取ろうとしています。誰もが黙ってその子の声に耳を傾ける教室には、とても優しい雰囲気が漂っていたのです。
この日は十分な時間が取れないため、取材は後日というお約束でしたから、少しだけ先生とお話をして失礼したのですが、そのなかでその女の子は、決して恵まれた家庭の子ではないこと、そして、日頃はほとんど発言することがないことなどを知ります。日頃、あまり発言しない子であろうことは、その子の様子から想像できましたが、私は家庭環境にまでは思いが至っていませんでした。そうした子が思いきって自分の思いを発しようとした教材の力、そしてその子が安心して発言することができるようになる先生の懐の深さに改めて感服しながら帰途についたのでした。
極めて根本的な教育の目的の実現
後日、取材のお時間をとっていただいたときに、この教材を開発された過程やその意図についてお話を伺いました。その後で、取材までの数日間に考えていた、あの女の子の発言についてあえて次のような質問をさせていただいたのです。
「先生が作り上げてこられたこの学校、この学級のなかで、あの子も安心して、しかし勇気を振り絞って発言でき、その小さな声に静かに耳を傾けてくれる子供たちがいることはとてもすばらしいことだと思います。私自身もとても心が動かされました。
しかし一方で、この先進むであろう中学校や高校、大学、その先の社会の環境は決してそうではない可能性が高いと思います。そこでは、『元気よく、ハキハキと、大きな声で』伝わるように発言しなければ、誰も聞いてはくれないかもしれません。そうすると、もしかしたら昔ながらのイメージで、小学校の子供たちには、『元気よく…』発言することを求めていったほうがよいのかもしれません。それでも、先生がこのような環境を育み、このような授業をされる意味は何なのでしょうか?」
すると、少しの間、黙って考えられた後、先生はこう話してくださったのです。
「私は、今の矢ノ浦さんの質問に完全に応え得るだけの答えはもっていません。しかし、人は人生の中のある時期だけでも、周りの人たちに受け止められていたという経験が必要なのではないでしょうか」
静かに柔らかな声で、しかも控えめな発言ながら、力強い確かさをもった先生の言葉に私はただ黙ってうなずくだけでした。
それから20年以上が経ち、情報機器やAIなどの急速な進歩によって、社会は大きく変わり、求められる力も変わってきています。当然、それを育むための教育のアプローチの仕方も変わってきているのは言うまでもありません。しかし学校教育の目的が、「…心身ともに健康な国民の育成…」(教育基本法第一条)であることには変わりません。この先生が実践されていた教育とは、まさにそういう根本的なものであり、今も変わらないものだったのだと思います。さらに言えば、(これは私の勝手な解釈ですが)その先生は学級や学校という子供たちの小さな社会を育むことを通し、将来の温かで優しい社会までも育もうとされていたのかもしれないと思うのです。
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執筆/矢ノ浦勝之