【インタビュー】落語家 柳家花緑 「ディスレクシアと向き合って」
ディスレクシア(識字障害)であることを、公にしている落語家の柳家花緑さん。それを知ったとき(当時40歳)は、たいへんショックを受けたといいます。「読み書き」に苦労された小学校時代の経験をはじめ、9歳から始めた落語との向き合い方についても伺いました。
柳家花緑(やなぎや・かろく)
1971年東京都出身。中学卒業後、 祖父・五代目柳家小さんに入門。戦後最年少の22歳で真打に昇進し、柳家花緑と改名。スピード感あふれる歯切れのよい語り口が人気で、古典落語はもとより、新作落語にも意欲的に取り組む。ナビゲーターや俳優としても幅広く活躍中。著書に『僕が手にいれた発達障害という止まり木』(幻冬舎)など多数。
インタビュアー/高山恵子(たかやまけいこ)
NPO法人えじそんくらぶ代表。臨床心理士。ADHDなど高機能発達障害のある人のカウンセリングと教育を中心に活動。著書に、木村泰子先生との共著『「みんなの学校」から社会を変える』(小学館新書)など多数。
目次
「小二で、いわゆる落ちこぼれという烙印を押された感じでした」
ーー花緑さんは、かの有名な五代目小さん師匠のお孫さんとお聞きしています。22歳で戦後最年少の真打になられたそうで、才能がおありだったんですね。
花緑さん 嬉しいんですけれど、学生時代、僕は勉強ができなくて、自分はダメなんだと思い込んでいました。子供の頃の僕の心を推察すると、落語でほめられたとしてもそれを信じることができなくて、ただものまねしているだけだと思っていたはずです。
ーーみんなができることが、自分にはできないというのが、いかにつらいことか。
花緑さん はい、自信喪失です。やってもダメだし、集中力もないので、宿題をやりたくても最後までできず、不甲斐なかったです。当時はADHDやLDなど、分かりませんでしたから。隔世遺伝もあると思うのですが、小さんはいわゆるサヴァン症候群※のようなもので、1回聞いた落語は丸暗記です。そして、自分の言葉として出せる人でした。その才能は悲しいかな、僕はもらってないです。祖父とは違う凸凹です。
※サヴァン症候群・・・知的障害や自閉症などの発達障害などをもちながら、驚異的な記憶力や突出した能力をもつ人たちのこと。
ーーどんな小学生でしたか?
花緑さん 一年生の一学期までは、宿題もついていけていました。一緒に宿題をやってた友達がいて、その子と宿題をやるのは楽しかったです。ただ、その子が二学期に転校してしまうんです。そこからやる気がなくなって、何もしなくなりました。
二年生からは先生に怒られることが多くなり、ほぼ毎日怒られていました。宿題をやってこないとか、髪が長いとか。小二で、いわゆる落ちこぼれという烙印を押された感じでした。僕は不登校にはならなかったのですが、それは好きな女の子に会いたかったからだと思います。授業では萎縮してました。三、四年生のときの先生はミーハーで、小さんの孫ということで、今度は逆に強烈なえこひいきをされました。ちょうど落語家デビューしてテレビにも出始めた頃でしたので、余計に。
五、六年生の先生には、往復ビンタです。「お前は、よほど甘やかされてきたんだな」の言葉の後、初めて平手打ちされました。親にも殴られたことないのに、ショックで言葉が出なかったです。打たれたとき、教室中が笑ってるんです。実は、みんな怒ってたんですよね。僕、静かにしろと言われても、常に喋ってましたから。いつかやられるよ、やられるよ、やられた! だったから、笑ったんです。でも、僕にとっては訳が分からなくて。打たれるわ、笑われるわで。
ーーよい先生はいらっしゃいましたか?
花緑さん 打った先生も僕のことを心配してくれているから、放課後、漢字のドリルをくれました。先生なりに考えてくれていたと思います。ただ、保護者参観のときに、あえて苦手な音読をさせるんです。恥をかかせて、やる気にさせようというやり方です。
勉強への拒否感はどんどん強くなり、中学になって一番無理だなと思ったのが数学です。算数の基礎がないから、急に外国語を見た感じでした。中学三年生くらいになるとテストも白紙です。でも、発達障害ということが分かっていなかったから、大人になってからもやればできるんじゃないかと思い込んでいました。ただやってないだけ、と。それがずっと続いていたんです。
ーーやればできると思っているのに、やろうと思ってできないときのショックが大きいんですよね。
花緑さん 漢字を覚えても、次のときには忘れているとか。それを努力不足だと言われるので、みんなはちゃんと覚えているのに、忘れてしまう僕は頭が悪いんだと思い込みますよね。
「発達障害の子には、寺子屋的な学校がいいと思う」
ーーこれを読まれる先生方には、ぜひ分かってもらいたいですね。頑張っているのに、できない子がいるということを。
花緑さん 頑張らせるのがナンセンスだということですよね。視力の弱い子は、眼鏡をかけるのが当然。だけど、眼鏡はダメと言っているのと同じで……。
ーー「努力すればできる、というのが苦手」なのが発達障害なので、なかなか分かってもらえないんですよ。
花緑さん だから情報が大事なんですよね。読み書きが苦手だと、全部に影響が出ると思いました。教科書も全部文字ですし。よかったのは音楽と図工だけでした。体育では、泳げなかったので、夏は萎縮していました。
ーー私もADHDとLDがあるのですが、花緑さんは8年ほど前、テレビ番組の出演時にディスレクシアだと知ったそうですね。
花緑さん ディスレクシアの子をもつ視聴者から、「学習障害だと思います」と言われました。障害という言葉にショックを受け、「音楽や図工は5だった」と返したら、「うちの子もそうです」と言われました(笑)。ただ、数日のうちにはディスレクシア、発達障害なんだということを受け入れたと思います。受け入れたことで、自分が悪かったんではなく、「これのせいにしていいんだ!」と思えて、精神的に楽になれました。特に、読み書きが苦手なのをずっと隠してきたので、隠さないでよくなったというのが大きかったですね。見られるのが恥ずかしくて、台本にルビを振るのも躊躇していたくらいです。こういう気苦労で疲れきっていたと思います。
-- 神経心理ピラミッド(図1)※というモデルを見ると、神経疲労があると能力を発揮できない理由が分かります。低次レベルが整っていないと、能力があっても、高次レベルの機能が発揮できないんですね。
花緑さん とても分かりやすいですね。
ーー苦手なことをやるときはストレスで疲労しやすく、バッテリー切れになっちゃうと能力が発揮できないんです。
※神経心理ピラミッド・・・認知機能の階層構造を表した図。下の階層にある機能は、その上にあるすべての機能に影響を及ぼしているとされる。
「落語でほめられた成功体験が、アイデンティティーの形成に影響した」
ーー花緑さんにとって、落語はどんな存在ですか?
花緑さん 「祖父の七光り」はあったと思います。「秘伝の書を読んで、覚えろ」と言われていたら無理、でも口伝なのでできたと思います。喋ることは得意で目立ちたがりでもあったので、落語に向いていたと思います。落語でほめられた成功体験は、確実に自分のアイデンティティーの形成に影響していると思います。
ーー発達障害のある子にとって、どんな学校が理想だと思われますか?
花緑さん 発達障害の子には、寺子屋的な学校がいいと思います。学年も関係なく、八百屋の子は八百屋に、大工の子は大工に必要な字を学ぶような。これをさらに昇華させると、算数が好きな子は算数だけをやり、音楽をやりたい子は音楽だけをやる。そのうえで、人にとって何が大事かという道徳を全員に教えるというふうにならないと、発達障害の子は救えないんじゃないかというのが僕の答えです。
ーーアメリカでは、LDの中の算数障害があると、授業を受けないで他の教科を受ける仕組みがあります。
花緑さん 日本は遅れていますね。
ーーディスレクシアに気付かなかったけれど、自分で工夫していたことはありますか?
花緑さん 小学生の頃は気付いていなかったから、工夫もしてなかったし、できてなかったと思います。ただ一度、国語で「この文章を覚えてきなさい」という宿題が出て、母に「こんなの無理」と言ったら、「落語はもっと長いのも覚えてるじゃない」と言われてやる気になり、次の授業で誰も覚えてきてなかった中披露して、みんなに拍手されたことがあります。
今は、読める漢字も増えてきました。自分が読みたいと思ったり、サイン色紙に書きたいと思ったりしているからです。字ではなく、絵だと思ってやっています。だから、だんだん字もきれいになっています。サイン色紙には好きな文言を書くので、手帳やiPadには、いいなと感じた言葉がいっぱい入っています。それが楽しいです。
2021年12月25日(土)19時より、柳家花緑さんと高山恵子さんのオンライン講演会が開催されます。
題して「発達障害の子供の力の引き出し方・伸ばし方」。
滋味溢れるおふたりの対話を、どうぞお楽しみください。
詳しくはこちら。
●高山恵子先生の著書
『子どものよさを引き出し、個性を伸ばす「教室支援』(小学館)
●木村泰子先生との共著
『「みんなの学校」から社会を変える』(小学館新書)
構成/平田信也 撮影/横田紋子 イラスト/畠山きょうこ