映画『屋根の上に吹く風は』で見る子ども主体「サドベリースクール」の日常
鳥取県の山あいにある遊びで学ぶ学校「新田サドベリースクール」の日常を追ったドキュメンタリー映画『屋根の上に吹く風は』がまもなく公開されます。徹底した子ども主体のスクールで、学びは生まれ、育つのか? そこでの大人の役割は? 豊かな自然の中での子どもと大人の冒険の日々を記録した映画の紹介です。

目次
新田サドベリースクールとは

映画はある学校の日常を映したドキュメンタリー。小・中学校に通う年齢の子どもたちの1年数か月を追っています。
学校の日常と聞いて、思い浮かべるのは、朝、登校して教室に集まって、クラスメイトと一緒に決まった時間割で授業を受ける、そのような子どもたちの姿ではないでしょうか。
映画の冒頭、屋根に上って滑ったり、ゲームやスマホ、メイクに熱中する子どもたちの姿を見て、ここはそういう場所ではないのだとすぐにわかります。
この映画に登場するのは学年も、クラスも、授業も、テストも、評価もない学校。鳥取県智頭町の豊かな自然が残る新田地区の森をフィールドに、子どもたちの主体性を尊重した教育を目指すオルタナティブスクール「新田サドベリースクール」です。
ここでは、子どもたちが自由であること、また学校が民主的であることをとても大切にしています。子どもたちそれぞれがやりたいことを自分で決めるのはもちろん、学校のルールから、運営・予算・スタッフの雇用に関することまでも、すべてみんなで話し合いながら決めていくという徹底ぶりです。
子どもを指導する先生はいません。大人は、子どもたちのやりたいことを支える”スタッフ”がいるのみで、子どもがやりたいことを見つけて声をあげれば、スタッフはそれをサポートします。では、子どもが動かなければ?…そっと背中を後押しするだけで、子どもが動き出すまでじっと見守り待っています。
問題発生、その時サドベリーでは?

ある日のこと、ある子がみんなが大好きな遊び場である屋根から落ちて体を痛めてしまうというアクシデントが発生します。
もし自分の身近でそんなことが起きたら、まず大人によって、屋根に上ることが禁止されるだろうと想像しますが、サドベリーでは、こんな時でも起きたことに対して大人が大人の価値観で勝手に対処したり、判断を下したりしません。子どもと大人と、みんなで話し合いが行われます。
意見が出て、それに反対する意見が出てきたと思ったら、「それではこういうのはどう?」とアイデアが出てきたり、さらに「もっとこうしたらどうだろう?」とそれを発展させたり。
ある子がお米作りに挑戦したものの雑草を取るのが嫌になってしまった時も、学校の中で喫茶店を開こうとしたものの資金が足りないことがわかった時も、学校の資金の収支が合わない時も…いつもみんなで話し合いを重ねて、解決を目指していくのです。
様々な課題や問題に対して、子どもたちがどのような過程を経て、どのような方向に向かっていくのかは、この映画の大きな見所のひとつです。