コロナ禍で見えてきた特別活動の可能性~予測困難な時代に生きる子どもたちに必要な力とは~第1回

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コロナ時代に、特別活動がどのように立ち向かっていくか。コロナ禍で見えてきた特別活動の可能性のヒントを、「第16回夏季学級づくりワークショップ 希望の会熊本ミーティング」のパネルディスカッションから、4回に分けてダイジェストでお届けします。

第16回 夏季学級づくりワークショップ 希望の会熊本ミーティング(2021年8月8日オンライン、リアル参加併用)より
主催 熊本県小学校教育研究会 特別活動部会 特別活動「希望の会」

パネリスト/
杉田 洋・國學院大學教授 
脇田哲郎・福岡教育大学教職大学院教授
平野 修・熊本市立帯山西小学校校長(ファシリテータ)

「第16回夏季学級づくりワークショップ 希望の会熊本ミーティング」

特別活動は、コロナ禍でプラスがマイナスを上回った!

コロナ禍は特別活動を進めていくうえで、プラスだったか、マイナスだったか。 
参加者にアンケート調査をし、まずはその結果について紹介します。

コロナ禍は特別活動を進めていくうえで、プラスだったか、マイナスだったか。
1 このコロナ禍は、特別活動を進めていく上でプラスとなりましたか、マイナスとなりましたか。(単位:人)
プラスとなった    17
マイナスとなった   12
●どちらともいえない  37

平野 私はコロナ禍では、特別活動を推進する上では「マイナスになった」という先生の回答が多いと思っていたのですが、「プラスになった」という先生のほうが多いのは意外でした。この結果をどういうふうに捉えられますか。

杉田 今の段階では、メリットもデメリットもあるんですよね。災害は地域限定ではありますが、災害時と同じような状況があり、10年経って振り返ってみて分かるようなことだと思います。今後のことなのでしょう。

プラスになったこと
2 プラスとなったことは、どのようなことですか。(単位:人)〈複数回答可〉
改めて特別活動の意義などを職員で話し合うことができた   38
行事等の精選ができた                   22
新しいやり方を生み出すことができた            45
その他                           2

平野 「プラスとなったことは、どのようなことですか」という回答の中で一番多かったのが「新しいやり方を生み出すことができた」という項目です。新しいやり方を生み出すことができたということは、果たしてプラスなのかマイナスなのかがちょっと疑問になります。なぜなら、例えば、ICTを使うといったことで本来の特別活動の教育的目的やあるべき姿といったものが見失われないかと思うのです。脇田先生、そのあたりはどうですか。

脇田 特別活動を実践している人は、いろいろな状況があるにせよ、「やらない」という選択肢ではなく、「やるよ」と言って取り組んだのではないかと思います。いろいろ理由を付けてやらないところは、コロナ禍ではなくてもやらないのではないかと思います。
子供のことを考えて、何か楽しい学級集会や係活動は、密にならないようにという配慮はされているし、授業のなかでもコロナ感染予防の配慮はされています。
私の教えている院生は係活動の研究をしているのですが、その小学校の子供たちが、タブレットでアンケートを始めました。「楽しいですか」「何をやりたいですか」など。係ではやっているのが、クロームノートを使った「アンケートごっこ」なのです。新聞に載せたり、今度はこんなのをやりますということを掲示板に書いたり、そんなことをやりだしています。子供ってすごいですよね。このような環境があるということを伝えれば、それを何とか乗り越えていきます。そういう子供たちを育てていくことが、大事なのではないでしょうか。

平野 「プラスとなったことは、どのようなことですか」という質問で、「行事等の精選ができた」と「新しいやり方を生み出すことができた」というのを合わせると、7割近くの人がそう答えています。本校においてもそうですが、確かに行事の精選ができましたし、ICTを活用することで、人と人が集まらなくても行事はできることが分かりました。
これから先、行事などを実施する際、その準備に先生が時間を取られず、保護者を学校に呼ばなくてもオンラインで生配信すればそれでいいという時代にならないかなと危惧するところがあります。
特別活動の特質を考えたときに、楽をして、あまり手間をかけずに形だけはできることが分かることによって、直接的な体験や集団活動が必要ないのではないかという発想にならないかという心配があるんですけど、杉田先生、そのへんをどうお考えですか。

危惧するのは、集団活動より自治的活動がなくなること

杉田 集団活動がいらなくなれば、恐らく学校がいらなくなるので、ネット配信でよいということになるので、それはないと思います。人の中で人が人になっていくというのは、世界共通のことだと思います。そういう点ではあまり心配していません。学校行事がなくなるという心配はしていないのです。なぜならば入学式、卒業式はやめるはずがないと思うからです。
心配しているのは、むしろ特別活動のコアである自治的活動ですね。これは学校という社会を子供たちがつくるという前提がないとなくなってしまうので。
例えば、働き方改革やGIGAスクール構想によって、学校の教育活動をスリムにしようという流れが出てきています。あるいは、役割分割しようとしています。なぜ、海外に学級経営と言う考え方がなじまないかというと、担任という仕事がないからです。生徒指導はこの先生、教育相談はあの先生と、分業しているから。日本にしか学級経営という考え方はありません。協働的に子供たちを育てる、チームで子供たちを育てるという考え方もそうです。合理的に労働時間、勤務内容の厳選などを海外では行って、非常にスリムになっています。サラリーマンふうの塾を交替でやっているイメージです。こうなると、根底から変わってしまいます。そうなっていくことを一番危惧しているのです。

杉田洋
杉田 洋先生

平野 文部科学省が言っている小学校での教科担任制、熊本の中学校では担任制をやめるという動きもあります。そうなったときに、特別活動はどうなっていくんでしょうか。脇田先生、いかがでしょうか。

脇田 学校行事が始まったのは明治時代の頃で、その当時の先生方は、目の前の子供たちが歌を歌ったり、劇をしたりして楽しむ活動、運動することを競う活動、そういう行事をつくって、子供が楽しみ、心豊かに育ってほしいという思いがあったのです。杉田先生の話ではないけど、子供がいる限り、特別活動はなくならないのではないかと思います。少なくとも学校の先生になった人は、子供たちが学校生活を楽しく送ってほしいとか、豊かな学校生活を送ってほしいと思っておられるでしょうし、学校は塾ではありませんから、勉強だけをしておけばいいというふうにはなりません。
福岡のあるラーメン店では、「おいしいよね」といって横を向いても誰も返事をしてくれないお店があります。それは衝立で仕切られているからです。学級はそれではだめで、「おいしいよね」と言えば、「そうだよね」と言ってくれるような学級をつくっていきたいわけです。目の前の子供たちをどうつないでいくかというのが学校の先生の仕事だと思います。
特別活動の重要性を理解してどう活性化していくか、子供をどうしたいのか。その先生の思いで違うと思います。そこに友達がいるから協働的な学びができるわけです。一人でいくらやっても「この学びはどう思う?」と確かめるために友達が必要だし、確かめ合うためには人間関係がよくないと始まりません。そのあたりが、特別活動を活性化するかどうかの境目になるのではないでしょうか。

自発的自治的集団を育てる特別活動

平野 今回の学習指導要領には、「学級経営」という文言が、はっきり打ち出されていますが、現場にいると、学級経営をうまく進める担任の力がだんだん弱くなっている感じがします。杉田先生、どう思われますか。

平野修
平野 修先生

杉田 誰もが思っているように、学級経営の考え方は授業を成立させるためには「よい集団をつくらないと効果があがらない」というところにあります。よい集団をつくるという点では、居場所をつくったり、居心地のよい風土をつくったり、規律をつくったりするのは先生でできるわけです。特別活動を使わなくても、学級づくりはできてしまいます。
私が文部科学省の視学官のときのことです。日本人学校の校長、教頭に面接の機会があるのですが、学級や学校の課題を問うと見事に答えます。日本には学級経営や学校経営という考え方がずっと続いているし、課題も分かっているんです。しかし、そこに生活している児童、生徒自身がその問題をどう捉え、どう解決していこうとしているのかと聞くと答えられないんです。つまり、児童や生徒の参画によって、よりよい学級、学校社会を創ろうとする活動によって、人も育て、集団も育てようとしているのです。このように、学級経営が教師の一方的な理念だけで語られるうちは、特別活動は大事にされないのだと思います。
子供に任せることもしない、期待もしないのに、責任感だけ養おうとするのは無理なわけです。単に集団をつくるだけなら、特別活動につながらないという危機感があります。

平野 脇田先生、学級経営のなかの特別活動の役割というのはどのように捉えられていますか。

脇田 学級経営のある研修会で、国語に長けた先生が「私は国語で学級をつくっています」と言っていらっしゃいました。そのときは「ああ、そうですか」と返したのですが、ずっとそのことが引っかかっていました。国語で学級をつくるということは、国語の私の授業ができるように子供をしつけているということです。そうやって子供たちがびしっと学習できるようにしているんです。ところが、特別活動では子供の自発に任せてきました。やり方を教え、環境だけをつくりました。「こうやろう、ああしよう」とは決して言いませんでした。なぜならば、子供がやりたいという思いにかられるように、そして自分たちでできるように環境をつくってきたからです。
「国語で学級をつくってきました」ということの裏を返せば、「私の国語の授業の色に染まるように、子供をしつけてきました」ということだと自分なりに納得しました。
私たちは、特別活動で「こうしなさい、ああしなさい」と言わなくても動ける子供たちを育ててきました。
そこには何があったかというと、子供の内からわいてくる自発です。自発的自治的ということを大切にしてきたのです。学級経営においてもそういう部分を考えていかないと、管理された子供たちを育てていく。受け身の子供たちを育てていくことになるのではないでしょうか。そこのところを履き違えないようにしたいと思っています。

マイナス面で多いのは、「集団で集まれない」こと

平野 私自身もお二人の先生と同様に自発的自治的な集団を育てていくところに、特別活動を学級経営の中心に据える価値があると思います。では、コロナ禍のアンケートに戻って、次はマイナス面について見てみましょう。一番多いのは、「集団で集まることができなくなった」という項目です。特別活動において集団で集まれないというデメリットはとても大きいと思いますが、脇田先生、どう思われますか。

マイナスになったことは
3 マイナスとなったことはどのようなことですか。(単位:人)〈複数回答可〉
行事が短縮、厳選された             36
集団で集まることができなくなった        65
クラブ、委員会の時間が制限された        16
何かしようとするときに、別の教員から反対された 25

脇田 集団で集まるには、窓を開ける、間隔を開けるなど3密にならないというようなコロナ感染予防対策の配慮が必要です。しかし、活動をやろうと思えばいくらでも工夫してできるのではないかと思います。できないと決めつけるのではなくて、工夫することが大切だと思います。

脇田哲郎
脇田哲郎先生

杉田 集団で集まれなくなれば、学校を個別にしないといけなくなるので、それは別に特別活動だけのことではなく、教科も同じだと思います。教科も協働的な学びをしているので、集まれなくなれば、本来の学習効果は期待できなくなるのです。
行事を楽にしようと思えばできるんです。例えば、運動会を体育発表会にして、徒競走にすればいいでしょう。練習もあまり必要ありません。結果もすぐに分かります。事実、学校行事をそのようにして展開している学校があるわけです。コロナ禍だから、徒競走をすることでこれを運動会に変える、音楽の授業を公開することで音楽会に変えるという学校が見られます。教育委員会がそれを認めているところもあります。授業の一部を発表することで学校行事に変えられる程度にしか認識されていないことに問題があるのではないでしょうか。

行事の意義を改めて議論する

平野 今回のコロナ禍において、行事の短縮削減がどういうことなのか。改めて特別活動の意義を職員で話し合うことができたというのがプラスになった理由の一つだとういうことがあるんです。コロナ禍だからこそ、当たり前にやってきた行事を考えました。「なぜ運動会をするのか」「なぜ音楽会をするのか」「なぜ学芸会をするのか」という議論になったと思うんです。そういう意味では、短縮削減がいいほうに動いたのか、悪いほうに動いたのか、これから見ていかないといけないと感じています。
反面、ショックだったのが、「何かしようとすると他の職員や管理職から反対、ストップがかかってしまう」という話を多く聞いたことです。何かしようとすると、「コロナ禍のこの時期、無理だろう」と。私の学校では、学校経営は特別活動を中心に進めているので、「学校行事は全部やるよ。授業参観も懇談会も全部するよ」ということをあらかじめ全職員が共有しているので、最初から反対する職員も保護者もいませんでした。しかし、学校によってはコロナ感染のレベルが上がるたびに「懇談会をやめた」「オンラインで行った」という話を聞きました。コロナ感染のリスクは回避しないといけませんが、安易にストップがかかっていないかと思います。脇田先生、そのあたりどう思われますか。

脇田 先ほど伝えた「教科で学級をつくってきた」という先生が校長になると、簡単に運動会をやめるだろうと思います。コロナ禍によって院生が行っている在籍校の運動会がなくなりました。担任といっしょに「このままでいいのか」と子供たちに働きかけたところ、運動会はできないかもしれないけれど、「学年でやろうよ」と言って、子供たちが動き出したそうです。
また、ある町の教育委員会が「運動会をしてはいけません」と通達したところ、ある小学校の6年生が運動会ではなく、その学校の名前を付けるという案を出して、〇〇小大会という名前で実施したそうです。要はその子供たちが自分たちで、行事をどのようにしていくのか、先生たちがどのように働きかけているのかによって、大きく変わってくると思います。

平野 そう考えると、「できない」と安易に決めつけるのではなく、どう工夫していくかということが大事なのではないかと思います。2学期が始まり子供たちのコロナ感染が気になるところで、なかなか思うように活動ができないというのが先生方の悩みではないかと思います。でもそこは知恵を出し合って、実践していく力にしてほしいと思います。

特別活動 希望の会とは

特別活動は、極めて重要な活動だと考えています。しかし、それが必ずしも全国での研究熱や実践に結びついていないことに危機感を感じています。特別活動 希望の会は、特別活動に取り組むすべての人々をつなぐネットワークです。
ホームページ:https://kibounokai.web.wox.cc/

〈次回につづく〉

取材・文・構成/浅原孝子

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