自らの体験を語る!インクルーシブ教育の実践と課題【6年3組学級経営物語3】
通称「トライだ先生」こと、3年目教師・渡来勉先生の学級経営ストーリー。今回は、「インクルーシブ教育」にトライします。多様性を基盤とした共生社会の形成は、全ての子どもたちの課題。インクルーシブ教育で、合理的配慮を基盤とした助け合い、支え合う学級づくりをすすめましょう。さあ、「インクルーシブ教育」の推進にレッツトライだ!
文/大和大学教育学部准教授・濱川昌人
絵/伊原シゲカツ
5月①「 インクルーシブ教育 」にレッツトライだ!
目次
<登場人物>
トライだ先生(渡来勉/わたらいつとむ)
教職3年目の6年3組担任。 真面目で子ども好きの一直線なタイプ。どんなことでも「トライだ!」のかけ声で乗り越えようとするところから、「トライだ先生」とあだ名が付く。今年度は、新採のメンターも務める。特技は「トライだ弁当」づくり。
しずか先生(高杉静/たかすぎしずか)
6年1組担任で、学年主任2年目、教職11年目の中堅女性教諭。ベテラン教諭に引けを取らないリーダーシップぶりは、剣道五段の腕前に依るところも。一児の母、子育てと仕事の両立に日々奮戦中。
オニセン(鬼塚学/おにづかまなぶ)
教職生活5年目の6年2組担任。祖父と父が有名校長で母も教師という教育一家出身。イケメンでなおかつ優秀な成績で教育大学を卒業したという、典型的な〝オレ様〞タイプの教師。学級内のトラブルに十分対応できず、再び5年担任を任じられた昨年度、しずか先生率いるチームに育てられ、渡来先生とぶつかりながらも今や切磋琢磨しあう良き仲間に。
神崎先生(神崎のぞみ/かんざきのぞみ)
高学年の音楽・家庭科の専科講師。インクルーシブ教育にも携わる。大学4年生のときに交通事故で片足をなくし、入退院で休学、留年(渡来先生と同じ年齢)。一度諦めかけた教師の夢へと一歩を踏み出し、西華小の常勤講師に就く。大学時代は陸上選手として活躍し、体力には自信あり。
ゆめ先生(葵ゆめ/あおいゆめ)
教職5年目。2年担任。2年後輩のトライ先生を励ましつつも一歩リード。きまじめな性格で、ドライな印象を与えてしまうことも。音楽好きでピアノが得意。
チャラセン(最上英雄/もがみひでお)
新採教員で、2年を担任。教育実習のときに付いたあだ名は「チャラセン」。”チャラい”言葉を使うイマドキな新任教師。クラスでは、ふだんは子どもたちから「ヒーロー」と呼ばれることも。
障がいがあっても…
「電車の中では、座らせても大丈夫ですか?」
放課後の職員室。今月実施の遠足について、メンターの渡来勉先生を質問攻めにする新任教師の最上英雄先生。その傍らで表情を曇らせる神崎のぞみ先生。質問責めの最上先生を抑えて、神崎先生に声をかけます。
「神崎先生、大丈夫ですか。…何かあった?」
暫くして、小さな声で返事がありました。
「もっと仕事がしたいな、と考えていました。今度の遠足の付き添いに、選ばれなかったから」
そう呟き、寂しそうな視線をパソコンに移しました。申し訳なさそうな最上先生。その一部始終を、高杉静先生はじっと見つめていました。
熱意を生かす方法とは…
数時間後の職員室、顔をしかめる鬼塚学先生。
「チャラセンより、数十倍頼りになるのにな…」
腕を組んでいた高杉先生が、口を開きました。
「神崎先生の願いは分かる…。だが長時間の引率に耐えられるか、心配する管理職の配慮も理解できる。遠足では、子どもの安全が最優先だ」
小さく頷くと、渡来先生が冷静に答えます。
「確かに無理は禁物。…だけど神崎先生の熱意を、何処かで生かす方法はないのでしょうか?」
その問いに、高杉先生は提案で応えました。
「その熱意を生かす方法は…、インクルーシブ教育だ。障がいの有無に関わらない対等な共生社会、助け合い支え合うインクルーシブな人間関係の実現。その目的達成のため、神崎先生の実体験を、先生自身の言葉で伝えてもらうんだ」・・・ポイント1
「難しい提案だな。他人に語れるのかな、思い出したくないことやプライバシーの問題等を」
考え込む鬼塚先生に、渡来先生も頷きます。
「無論、神崎先生が決めることだ…。だがその前に、学年として取り組んでほしいことがある。それは、子どもたちが神崎先生に興味本位な言動をとらない指導。さらに自分事として真摯に向き合う授業をつくる支援。6年側の準備が整えば提案したいが…、協力してもらえるか?」
高杉先生の鋭い視線を受け止める渡来先生。
「神崎先生を生かし、6年にインクルーシブな関係を構築する。誰も傷つけない細心の準備と配慮を基盤にして…。当然、トライしますよ!」
「今まで一方的に世話を焼くだけだったけど…、神崎先生の熱意、オレもしっかり支えていく!」
鬼塚先生も頷き、チーム6年の思いは一つになりました。窓外は夜の帳に包まれていました。
ポイント1 【 インクルーシブ教育 】
改正障がい者基本法(2011年8月)には、「可能な限り障がい者である児童及び生徒が障がい者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮する」という一文があります。インクルーシブ教育では、それに基づく「多様性を基盤とした共生社会の推進」を目指します。つまり特別支援学級在籍の如何に関わりなく、全ての児童を対象として「共に学び、育つ」ことの実現を目指した教育活動です。
立ち上がれ、神崎先生!
「これは障がいの種類や支援方法を伝える『障がい者に関係するマーク』だ」と、車いすのマークを指し示す渡来先生。・・・ポイント2
ホワイトボードに投影した赤地に白い十字とハートのマークを示し、説明を続けます。
「そして、このヘルプマーク。例えば神崎先生の義足の様に外見では障がいが見え難い場合、必要な時に提示して支援を…」
「疲れていて優先席に座っていた時、使いました…」
放課後の1組教室。打ち合わせに参加した神崎先生が、遠慮気味に体験談を話し始めました。
「ですが…、『若いもんが優先席を独占するな!』と叱られて…。ヘルプマークを示しても通じなくて、結局義足を示しました。義足歩行の練習中のことです」
高杉先生の言葉が、熱を帯び始めました。
「そんな体験談が必要なんだ。リアルな現実、困り感や深刻な悩みに触れて、それを乗り越える努力等に共感する。その過程で、子どもたちの主体的で自分事の活動は実現していくんだ」・・・ポイント3
チーム6年を見回し、元気無く話す神崎先生。
「私の体験談が役立つなら嬉しいのですが…。でも授業となると、経験も自信も全然ないです」
「教師の最も大切な仕事は、よりよい共生社会を築く子どもたちの育成だ。それは簡単ではない。未だ山積するいじめ等の人権問題…。だから語ってほしいんだ。神崎先生の言葉が6年生を動かし、学校中に広がっていく。授業づくりはチーム6年が全面協力するから。…考えてくれ」
高杉先生の言葉を、じっと噛み締める神崎先生。長い沈黙の後で、決意を述べ始めました。
「私にしか語れないことを、しっかり伝えます。…全力で頑張ります。教師としての仕事を!」
ポイント2 【 障がい者に関係するマーク 】
●障害者のための国際シンボルマーク
よく見られる青地に車いすの白い絵が描かれているマーク。正式名称は「障がい者のための国際シンボルマーク」。各国で異なるデザインだったマークを統一し、国や言葉が違っても障がい者に分かり易く案内できるよう国際リハビリテーション協会が1969年に定めたもの。
●ヘルプマーク
赤字に白の十字とハートが描かれたマーク。義足などの障がいがあるものの見た目ではわかりにくい人、難病を患っている人などが携行し、提示することで周囲の援助を受けやすくするようにしたマークです。2012年、東京都が作成し、全国に広がりました。マークが有効に機能するためには、社会全体がその意味を知っておく必要があります。
参考:内閣府「障害者に関係するマークの一例」https://www8.cao.go.jp/shougai/mark/mark.html
ポイント3 【 体験を語る 】
災害の被災者や事件や事故の被害者等の話には、リアリティゆえに心を揺らす要素が多くあります。子どもたちに当事者の話を伝えることは非常に有益な教育活動です。しかし、語る側には難しさがあります。ゲストティーチャーとしてお招きする場合は、事前に教育意図を伝え発表概要を把握する等の準備は不可欠です。また発表者が不慣れな場合は、共に内容を作り上げていく活動が成果につながります。
結成、チーム神崎!
「センターの新任研修、大好評だったそうですね。何をどう伝えればいいか、教えてください」
翌日、放課後の6年3組教室。神崎先生に椅子を勧め、照れながら昨年度の体験を語る渡来先生。
「難しかったです、…自分を語るのは。思いや考え、伝えたい事は溢れるほどあったけど、まず自分の生き方や本当に大切にしてきた事を見つめ直しました。すると考えがまとまり始めて…」
渡来先生の教育センター研修のエピソードはこちらの回をチェック!⇒子どもたちとともにキャリア教育にレッツトライだ!【5年3組学級経営物語20】
遠くに視線をやり、過去を語り出す神崎先生。
「早朝の自主トレで国道沿いを走っていた時、急にトラックが突っ込んできて…。5日後に重症病棟で目がさめました。左脚を失って…。一瞬で変わった人生を受け入れられずに、私は…」
「でも再び教職の道を歩み出した。その間の葛藤、先生の信念、将来の夢等を語ってほしいな」
噴き出した辛い記憶を、優しく包み込みます。
「これからも…、一緒に考えてくださいね」
遠慮がちな神崎先生に、力強く答える渡来先生。
「もちろん、チーム神崎の一員ですから!」
春めく教室に、笑い声が明るく響きました。
教材は”自分”
「事故の前は、これほど歩きにくい場所が街の中にあるとは気付かなかったです。例えば…」
職員室、パソコンに入力しながら語る神崎先生。休憩時間に戻ってきた渡来先生が頷きます。
「バリアフリーの必要性か。説得力ありますね」
「案外多いですよ、困った時に助けてくれる人。でも私を可哀そうな存在として、一方的に…」
「それはインクルーシブ教育で、大事な部分だ」
続いて戻ってきた高杉先生が、加わりました。
「当事者の思いや辛さが、子どもたちの心に響かせる。それが本当に必要なことや大切にすべきことを、自分事として考えるきっかけとなる。かなり準備が進んできた様子だな。どれどれ…」
神崎先生のパソコン画面を覗き込む高杉先生。ウンウンと頷きながら、スクロールを続けます。
暫くして、やや昂った顔を上げて問いました。
「かなり自分の思いや悩みに踏み込んでいるな。これは、子どもたちの心に響きそうだ。…よし、プレ発表に進めてみるか、次の打ち合わせで」
「はい、厳しいダメ出しをお願いします!」
「オレは、資料を作る視点でダメを出す。だから手厳しいことを指摘されても、…泣くなよ」
鬼塚先生も、いつの間にか戻っていました。
(次回へ続く)