コロナ下での深い学びの育て方② ”教師主導でない”主体的な学びを実現する、子供の発想を生かした活動
コロナ禍のために、学校現場では子供に対して一見十分な指導ができないように見えますが、一方で「今がチャンス!」という逆転の発想をもちつつ指導にあたる先生がいます。コロナ禍を逆手にとって、どのように子供を育んでいくのでしょうか。子供たちを信じ子供の発想をベースに新たな活動に取り組むことで、子供の底力を見たという、 副島江理子先生の学校の実践をレポートします。
指導/神奈川県公立小学校校長・副島江理子
目次
コロナ下、子供たちに考えさせることで成長した
今年度は新学習指導要領の全面実施の年でしたが、コロナ禍が重なり、計画通りにできなかったことが多かったです。
しかしその状況下でも、教師は子供たちの力を実感することができましたし、子供たちも学校に通うことが楽しいと実感できた、チャンスの年だったと思っています。
新年度当初から休校になってしまいましたが、その間、子供たちは「学校に行きたい」という思いを強く抱いていたのだと思います。そのため、学校再開とともに「不登校の子供が減った」という声が多くの学校から聞かれました。本校でも今年度、欠席の子が非常に減っています。
また実際に学校に通ってきている子供たちは二度と学校を休校にしたくないという思いからか、教師に指導や強制されたからというのではなく、マスク着用も手洗いも守るし、健康観察も忠実に守っています。これまで学校に決められたことは嫌々守っていた子もいたでしょう。
しかしこの状況下で、子供たちは「マスクをとったっていいのに」「手を洗わなくてもいいのに」とは思っていません。決まりを積極的に守らなければならないと、子供たち自身が思っているのです。
さらに守らない子がどうやって守れるようにするか、子供同士が話している。それをまざまざと見せつけられたのが、今年度の学校側の大きな発見だと思います。
あるいは日常のあいさつもとてもよくできるようになりました。それは「人権週間だから」とか「あいさつ運動をしているから」というのではありません。本校の子供たち自身が分析し、掲示もしていますが、「マスクをして表情が見えないからこそ、互いにあいさつをすることが大事だ」と感じているのです。
そうやって、主体的に行動する子供たちの姿を見て私自身、「主体的な学び」が大事だと言いながら、「これまでは行事なら行事を今まで通りにやることを大前提で考えていたな」と反省しました。もちろん運動会などの行事を実施するかしないかは学校長判断で、子供に任せることではありません。しかし「できないことが増えたかわりに何ができるか、どのようにすればできるか、子供たちと一緒に考えよう」と子供たちに投げかけていったのです。
そのように今年度はコロナ禍でできなかったことも多い反面、子供たちの底力を感じましたし、それを意図して子供たちに考えさせることで伸びた部分も大きいと感じます。
子供たちが自発的に考え、行動していく学校
実際に本校では、子供たちの発想を取り入れながら、新たな取り組みを多様に行いました。例えば総合的な学習の時間で地域に出ることは難しかったけれど、子供たちにどんな力を付けるか考え、新たに多様な外部企業や組織のコンテストにチャレンジしたりもしました。また高学年では「エコ活」、「新聞感想文コンクール」などに参加し、賞をいただいたりしています。
「異学年交流活動」の一つとして四年生が自分たちの宿泊体験学習を、今後体験することになる下学年に伝えていく取り組みも考えて行いました。
三年生は最近になって、「次の学習での言語活動を一年生に紹介したい」と言い出しました。中学年になり、上級生からやってもらったことややっていることを体験から学び、取り入れた結果だと思います。それを子供たちに強いず、ここまで待った三年生の担任の先生方も私は評価したいと思っています。
あるいは委員会活動でも多様な取り組みが行われており、例えば図書委員会は、図書館利用日が学年ごと曜日ごとに決められ、制限されているからこそ、そのときにより楽しんでもらう工夫を多様に行っています。これまでやってきたものをこの状況下でどうやっていくかを真剣に考えたわけです。
その他、運動会では各学年が競技を工夫して実施しており、高学年は綱引きをするのに、2メートル間隔で赤い印を付けることによって、密を避けながら綱引きをする方法を考えて行いました。あるいは先のあいさつ運動のようなものも、紹介した通り、子供たち自身がその意義を再評価し、実施しています。
子供は限られた状況の中で楽しみを見付ける天才
子供たちは不自由な生活に対して決して後ろ向きではありません。限られた状況の中で楽しみを見付ける天才です。その子供の特性が生かされた年であり、子供の柔軟性、しなやかさが発揮された年だったと思います。
その力を発揮させることが、実は社会が急速に変容していく中でも生きていく力を育むことをめざした新学習指導要領にリンクしているところなのです。
ですから制約のある中で、可能なことは子供たちに考えさせ、あとは学校や教師が整理していけばよいのだと思います。
これまでの学校教育では、ある意味、主体的であることを強要してきた部分もあったと思います。しかし、子供が内在する力を見せてくれた今だからこそ、子供の姿を通して検証をしていけばよいと思います。
今年度の学校教育は大変イレギュラーな事態となりました。学校経営計画ができあがっていた中で急遽変更が求められ、ビジョンはあったのだけれど、遂行できなかったわけで、対症療法的に取り組んできました。
しかし次年度は、元からコロナがあるという状況下での1年目。それを見越して学校教育全体をどうデザインするかを考えることが必要になります。
そのためには非常に多様な力をもっている子供の姿に、教職員の方が真摯に学んでいくことが大切だし、それが新たなチャンスにつながると考えています。
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取材・文/矢ノ浦勝之
『教育技術 小三小四』2021年2月号より