教師の無知が子どもを傷つける~気になる子どもと向かい合うとき、忘れてはいけないこと~
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- 大切なあなたへ花束を

春、卒業と新学期を迎える頃になると、必ず思い出す子どもがいます。その笑顔は学校の中にはなく、その子の家の中でしか見ることができませんでした。その子のためにできることを探しましたが、あっという間にどこかへ行ってしまいました。しかし、私に大きな学びを残してくれました。教師が子どもに向かい合うとき、大切にしたい考え方です。
【連載】大切なあなたへ花束を #27
執筆/みんなの学校マイスター・宮岡愛子
どこかおびえているような印象の転入生
私が教頭だった頃、2学期に1人の男の子が転入してきました。名前は達也(仮名)と言いました。当時小学6年生です。母と、中学生になる兄との3人暮らしでした。
初めて達也と会ったとき、落ち着きがなく、どこかおびえているような印象を受けました。
話を聞いていくと、父親が暴力で家庭を支配をしており、身体的な暴力のみならず暴言などの精神的暴力も浴びせていた、ということが分かりました。母親ばかりか兄にまでも、父親は激しい暴力をふるっていました。そこで母親は子どもたちを連れてDVシェルターに一時避難し、そこで今回の転居先を見つけて引っ越してきたのです。
ただ、達也の方は父親から何もされていない、まったく暴力も暴言も受けていないということでした。その話を聞いたとき、驚きました。そんなことがあるのかと。同じ男の兄弟なのに、兄は殴り、弟には何もしないということがあるのかと…。
しかし、そうであれば、達也は環境の変化ですぐに好転していくのではないかと、そのときの私は思っていました。
◇
母と兄と達也、3人にとっては、新しい家も見つかって転入の手続きも済み、ようやく落ち着いて新しい生活を築いていこう…というタイミングだったはずです。しかし達也は登校渋りを始めました。学校に来ることができなくなったのです。
初めは、放課後に担任が家庭訪問をして、プリントを届けていました。けれども達也には会えません。私は当時教頭だったこともあり、午前中に家庭訪問をすることにしました。達也の学びを保障し、つながりを深め安心できるようにする、そして担任の負担を減らすことも考えての訪問でした。
最初のうち、母親は周りの目を恐れたのか、それとも達也が私と会うことでプレッシャーを受けると思ったのか、私を家に入れてくれることはありませんでした。訪ねて行っても達也と会うこともままならない日が続きました。
そこでふと、兄はどうしているのかと思い、中学校の教頭先生に尋ねてみました。すると、
「彼は休まずに学校に来ているよ」
と返事。詳しく話を聞いてみると、友だち関係も順調で、それなりに楽しんで学校に来ており、とても良い成績をとっている、とのことでした。
ここでもまたびっくりしたのを今でも覚えています。
なんでなん?
暴力を受けていたのは、兄やろ?
弟の達也は何もされてなかったんやろ?
せやのに何で兄は学校に行けているのに、達也は学校に来られなくなったんや?
これが逆やったら分かるけど…?
と頭の中がぐるぐる、もやもやする日々でした。

思いが通じたかと見えたが…
達也が学校に来られない日は続きましたが、何日も訪問を重ねた結果、母親の態度に雪解けが訪れ、ようやく家の中まで入れてもらえるようになりました。
家の中で会う達也はとても元気で、笑顔で迎えてくれました。その笑顔には、ほっとしました。
それから、時々は母親と一緒に学校に来るようになったのですが、母親から離れることはありませんでしたし、教室まで上がることはできませんでした。
まだ若かった達也の担任が、達也と母親がいる場所の隣の教室にクラスの友だち全員を移動させて、授業をしてくれたこともありました。そのときは、友だちの声を身近に感じ、うれしそうにしていました。けれども、その別室から達也が出ていこうとすることは、一切ありませんでした。
私の家庭訪問は続きました。
国語のプリントを持って行ったり、算数のドリルを一緒にしたりしました。私の隣で一生懸命に学んでいましたし、決して分かっていないということはありませんでした。理科のてんびんの道具を持って行ったときは、とても喜んで、重りをいろいろなところにつるしては、釣り合うような工夫をして遊びながらも学んでいました。時には音楽でリコーダーを吹いたり、体育やといって筋トレをしたりと、私も結構楽しんでいました。
◇
こうして、私とのつながりができてきた安心感からでしょうか。達也は「修学旅行には行く」と言ったのです。そのことばを聞いたとき、とてもうれしかった。
しかし修学旅行の当日、いくら待っても達也は来ません。
前日までに母親と一緒に準備したリュックを背負い、服も着替えて、さあ、家を出ようとした達也でしたが、その足は玄関でピタリと止まってしまったそうです。いくら頑張っても、足が前に出なかったそうです。
一体なぜ…。そのときの私には理由はわかりませんでしたが、しかし、達也がとてもしんどかったのだろうということは容易に想像がつきました。
結局、達也は修学旅行の出発時刻に間に合うことはなく、子どもたちを乗せたバスは出てしまいました。
それから、達也が学校に来ることはありませんでした。
3月、卒業式の日。達也は式典には出られませんでしたが、校長室で母親と共に卒業証書を受け取ることができました。一方兄の方は高校の進学も決まり、友だちと共に中学校を卒業していきました。
そして達也は兄と同じ中学校へ行くことはなく、また引っ越しをすることになりました。
私の心には、
「私は達也に何ができたのだろう、これでよかったのかな?」
というとげが残りました。
心理士との対話で分かった心の中
その後少し経ったある日のこと、心理士の先生と会う機会があった私は、達也の件を相談してみました。
「なぜ、暴力を振るわれていた兄が元気で学校に通うことができて、何もされていなかった弟が学校に通うことができなくなったのでしょうか?」
心理士の先生は、こう教えてくれました。
「きっと兄は直接父親から暴力を受けていたので、父親に対して憎しみや怒りがあり、いつも心のなかでファイティングポーズをとって、戦っていたのでしょう。
それが『いつか、父親を見返してやろう』という強い意思となり、毎日学校に通うことや、勉強を頑張ることにつながっていったのでしょう。
達也の方は、直接的な被害を受けることはなかったものの、間近で母親や兄が激しい暴力にさらされているのを見ています。それが達也の心に『自分は何もされない。でも、いつかされるかもしれない』という、強い恐怖心を植え付けたと考えられます。
そして、
『自分が学校に通うことで母親が一人になる。そこへ父親が来たら?』
『修学旅行に行って自分がいないときに父親が来て、母親や兄を連れ去るかも』
といった不安となり、学校にも修学旅行にも行けなくなってしまったのかもしれません」
と話してくださいました。
また、兄は殴っても弟は殴らないことについては、
「私は父親ではないから分かりませんが、そういうことは往々にしてあるのです」
とのことでした。
教師の無知は子どもを傷つける
その話を聞いたとき、私はハッとしました。
自分の言動が達也を傷つけていたかもしれない、と気づいたのです。
達也に対して、そんな言葉を決して口にはしていませんでしたが、
「なんでお兄ちゃんは学校に行ってるのに、あんたは来られへんの?」
「あんたは、殴られてないやん、しんどいのはお兄ちゃんやろ?」
というような思いが、私の言動の端々に見え隠れしていたのかもしれません。
そうであったから、達也の不安感が余計にあおられ、修学旅行にも学校にも来られなかったのではないか。私はそう思いました。
今でこそ、面前DVは心理的虐待になると分かっています。
実際に暴力を受けていなくても、誰かが虐待されている場面を見ることも立派な虐待です。
でも私は、そのときはそんな認識は全くありませんでした。
「教員の無知は子どもを傷つける」ことがあるのです。
でも、一人の教員が学んだり、得たりできる知識なんて、たかが知れています。だからこそ、いろいろな人に聞いたり、相談したり、分からないことを教えてもらったりすることが必要です。
「人の力を活用する力」。
これからの先生は、その力を身につけていってほしいと切に願っています。それが子どもの安全・安心につながっていきます。
3月の終わりに、達也は私たちの誰にも転居先を告げず、どこか分からない中学校へと進学していきました。
イラスト/フジコ

宮岡愛子(みやおか・あいこ)
みんなの学校マイスター
令和7年度あかし教育研修センタースーパーバイザー。社会教育士。私立の小学校教員として教職をスタートするが、後に大阪市の教員となり、38年間務める。教員時代に木村泰子氏と出会い、その後、木村氏の「みんなの学校」に学ぶ。大阪市小学校の校長としての9年間は「すべての子どもの学習権を保障する」学校づくりに取り組んだ。現在は、「みんなの学校マイスター」として活動している。
