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信じあう心が不登校を乗り越える~不登校の子どもと、その保護者から学んだこと~

連載
大切なあなたへ花束を
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元大阪市公立小学校校長 みんなの学校マイスター

宮岡愛子
大切なあなたへ花束を
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不登校で引きこもっている子どもがいるとき、あなたはどんなふうに考え、行動しますか? その子によって事情はさまざまあり、置かれている環境もさまざまでしょう。しかし、あらゆる場合に共通してできることがあるのではないでしょうか。人が自律して行動するためには、個人の頑張りではなく、周りとの信頼関係こそ必要ではないでしょうか。今回は宮岡先生と、ある不登校の子どもとの思い出をご紹介します。

【連載】大切なあなたへ花束を #25

執筆/みんなの学校マイスター・宮岡愛子

卒業式の時期になると思い出すこと

こんな書き出しから始まる手紙を、私は卒業式のときに、ある保護者からいただきました。

“転校し、不登校の時期を親子で悩み、苦しい時期もたくさんありましたが、先生方に温かく見守っていただいたおかげで無事にこの日をむかえることができました

その子どもを、ここでは仮に「けんたさん」としましょう。
けんたさんは4年生のときに違う学校から転校してきた子どもで、転校の当初から全く学校に通えずにいました。
転校してきた理由は、前の学校で複雑な人間関係の問題があり、学校を交えて相談をしたものの、解決に至らなかったためでした。けんたさんも保護者も、「学校」というものに対して、恐怖心や不信感を抱いていたことは間違いありません。
さらに、転校した先の学校でも、けんたさんを迎え入れる際に、転校の理由や心情などを最初にきちんと受け止めきれなかったそうです。それで、新しい学校にもなじめず、通えない日々が続くことになったのではないかと考えられました。

林間学校での嬉しい変容

私は、けんたさんが転校してきてから1年後、5年生のときに、この小学校に校長として赴任してきました。

1学期の間、まずは少しずつ、けんたさんとのつながりをつくろうと考えました。私から電話をかけて、いろいろな話をしたり、たまに学校に登校してきたときには、さり気なさを装いながらけんたさんに声をかけに行ったりしました。
この緩やかなペースに安心し、徐々に心を開いてくれたけんたさんは、「(夏の)林間学習には、参加する」と言ったのです。
当日は来るかどうか心配していましたが、集合した子どもたちの中には、けんたさんのうれしそうな笑顔がありました。

それはちょうど飯ごう炊さんが終わった頃でした。
洗い場で一生懸命に働くけんたさんの姿が見えました。しっかり様子を見てみようと近くまで行ってみると、なんと誰かと一緒に大きなカレー鍋を一生懸命洗っているではないですか。
その誰かというのにもビックリしました。けんたさんが4年生で転入してきたときに出会った女の子で、その子とけんたさんの間には、お互いのことをよく思わなくなるような出来事があったからです。
今2人は、かつてそんなことがあったなんて全く分からないほど、気持ちを合わせてこびりついたカレーを落としています。
学校を離れ、普段と違う環境に身を置くことで、子どもたちは新しい関係性を作りやすくなったのでしょう。
けんたさんが林間学校の地で楽しそうに活動している姿は今も忘れもしません。
このときの空気感から、やはりけんたさんは学校に通いたい気持ちがあるのだと確信しました。

2学期になってからは、けんたさんは1日のうち少しの時間だけですが、学校に来て、教室とは違うところで学ぶことができるようになりました。来る時間も、帰る時間もけんたさんに任せていました。それによって少しずつ、学校で学ぶことができる自分に自信を持ち始めたように感じました。

信頼できる教員との出会いも大きいものでした。
けんたさんには、自分で学習したい教科を決めて、教室とは別の場所で、信頼を置く先生とマンツーマンで学ぶようにしました。ただ、一人の児童にいつも一人の先生をつけることはできません。そんなときは、けんたさんが自分で学び方を選ぶようにしました。

教室に行ってもいいし、ここで一人で学んでもいい。もちろん、校長室に来てもいいよ。

けんたさんは、校長室へおしゃべりしには来ましたが、一度として、学習をしには来ませんでした。
こうして、自分で選んだやり方が認められる、という事実の積み重ねによって、けんたさんは学校に対する安心感をもつことができるようになりました。

そして6年生。
私は、4年生のときに担任をしていた先生に、けんたさんをもう一度もってもらうことにしました。

その先生に6年生を担当してもらうと伝えたとき、
「4年生のけんたさんが転校してきたとき、初めの対応がうまくいかなかったために、保護者も私には不信感をもっているかもしれません」
と正直な気持ちを話してくれました。

だからこそです。私は、
「今度は違うと思うよ。今年度からは新しくチーム担当制にするから、6年生は2人で見ていくことになる。自分とはうまくいっていないな、と感じたら、子どもと距離を置いて、別の先生がけんたさんとつながったらいい。全部の子どもを1人で見なあかんというのではないのだから。子どもや保護者にとって、安心できる人が対応したらいいよ」
と話しました。

自律するとは、信頼すること

“子どもが安心して、先生方を信じて学校に通えるようになった励ましの言葉の数々、配慮していただいた教室の場所、トラブルがあったときの対処、自由な登校時間などたくさん気遣っていただきました。本当にありがとうございました。

けんたさんは、6年生になってから本当に休まず学校に来るようになりました。
欠席は0。ただ、遅刻や早退はめちゃくちゃ多かったです。

それをどう見るか。私たちの考え方ひとつです。
絶対に「朝からおいでや」とか「給食まで食べて行きや」「あと1時間やねんから最後までおりや」ということは言わないようにしました。子どもを信じ、子どもが決めたことは絶対に守ろうと決めて、それを学校全体の方針としました。
ある日のことです。
けんたさんが学校に来ていたのに、いつの間にか帰っていたということがありました。それにはびっくりしました。そのときはけんたさんを呼んで、
「帰るときは、職員室か、校長室に来て『今から帰ります』と伝えるようにしてね、そうでないと心配するから」
と話しました。
「あなたの行動を信じているけど、それは心配しないということじゃない。
自分で決めたことを何でも伝えてくれたら、安心できる」
その思いは通じ、けんたさんは行動を起こすとき、きちんと誰か大人に伝えるようになりました。
そして、いつでも自由な行動のけんたさんに対し、私たち教員が示していた態度の真意は、周りで見ていた他の子どもたちにも伝わったのだと思います。
「あいつだけいいな」「ずるいやん」と言うようなことはありませんでした。

こうして、けんたさんが教室で少しずつ友だちとつながりをもつことができるようになってきました。特によしきさん(仮名)の存在が大きかったです。よしきさんは、けんたさんとよく似た特性を持っており、お互いに理解しやすいのか、波長が合うのか、2人で仲良く声を掛け合いながら遊んでいる場面を見るようになりました。そして、よしきさんに引っ張られるようにして、けんたさんは教室へも少しずつ行けるようになってきました。

よしきさんにとって見れば当たり前のことですが、けんたさんが教室に入ることができない、なんて考えられなかったのでしょう。
よしきさんは友だちの立場から、
「なんで帰るん?」「もう1時間おりいや」「給食食べていったらええやん」
と素直な言葉をかけてきます。それには、けんたさんもうれしそうに苦笑いをしていました。
子ども同士のつながりのありがたさを感じました。

こうして、けんたさんは運動会も修学旅行も自分なりに参加することができました。

運動会なんか応援団のメンバーになりました。
「朝からの練習に来れるんかいな?」「まあやると言うてんねんからいけるかな?」
と思っていたら、案の定、朝の練習には来ませんでした。

でも、そこは子ども同士です。いない間に練習したことを教えてあげたり、「明日はおいでや」と誘ってあげたり。少しずつ学校に慣れてきたものの、やっぱり波のあるけんたさんと温かくつながってくれました。

けんたさんは、卒業式に出席するかどうか、ぎりぎりまで悩んでいました。
重々しく厳粛な、卒業式のもつ空気感がしんどかったのかもしれません。

私も来なかったら来なかったで、けんたさんの心に残る小学校の卒業式を創ったらええやんと思っていました。
しかし、そんな心配は杞憂に終わり、けんたさんも壇上で私から卒業証書を受け取ることができ、立派に卒業していきました。

“卒業式ギリギリまで行く、行かないで先生方の気持ちを不安にさせてしまったこと、本当に申し訳なく思います。これからは、先生方から頂いた温かさ、励ましをバネに中学校生活を乗り越えて行ってくれることと思います。本当にありがとうございました。

私がけんたさんから学んだこと。それは2つあります。
1つは、「子どもは、自分で決めたことはやり遂げる」ということ。
そして、もう1つは、「大人はその子どものもつ力を信じて待つべきだ」ということです。
けんたさんは、自分でものごとを決める、という自律から、自立への道をたどろうとしました。
そして自律とは、他者との信頼関係なくしては作れないものだということ。すべての起点は人と人とが信頼し合うということだったのです。

イラスト/フジコ


宮岡愛子(みやおか・あいこ)
みんなの学校マイスター
令和7年度あかし教育研修センタースーパーバイザー。社会教育士。私立の小学校教員として教職をスタートするが、後に大阪市の教員となり、38年間務める。教員時代に木村泰子氏と出会い、その後、木村氏の「みんなの学校」に学ぶ。大阪市小学校の校長としての9年間は「すべての子どもの学習権を保障する」学校づくりに取り組んだ。現在は、「みんなの学校マイスター」として活動している。


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