【シリーズ】高田保則 先生presents 通級指導教室の凸凹な日々。♯18 境界線を見定めるということ――通級指導における「伝える責任」と「背負わない覚悟」

通級指導教室担当・高田保則先生が、多様な個性をもつ子どもたちの凸凹と自らの凸凹が織りなす山あり谷ありの日常をレポート。情熱とアイデアに満ちた実践例の数々は、特別支援教育に関わる全ての方々に勇気と元気を与えるはずです。今回のテーマは、「学級担任をどうバックアップするか」です。
執筆/北海道公立小学校通級指導教室担当・高田保則
目次
はじめに
北海道オホーツク地方の小学校で、通級指導教室を担当している高田保則(たかだやすのり)です。日々、子どもたちと向き合う中で感じたことや考えたことを綴っています。ここに記す事例は、これまでに出会った子どもたちのエピソードを組み合わせて作った架空のお話ですが、実際に過ごした時間の空気感を込めています。
私は、学級担任の悩み事の相談を受けることが度々あります。学級担任は、困りを抱える子どもへの指導や関わり方について悩み、迷いながら日々の実践を続けています。そんな学級担任に敬意を表しながら、私は思ったことや感じたことを伝えています。
通級指導の担当者には、学級担任を陰で支える支援者としての役割も期待されます。
今回は、そうしたエピソードをおりまぜながら、「境界線を見定める」というテーマで、通級指導における責任と覚悟を記してみたいと思います。
1.「困りました」と嘆くB先生
〈欠席しがちなAさん〉
生活リズムが不規則になり、朝起きられずに出席と欠席を繰り返す高学年児童のAさんがいました。毎日夜更かしが続き、朝になると体が動かなくなってしまいます。学校に来られる日もあれば、布団から出られず欠席する日もあります。Aさんなりに頑張っている様子は伝わってきますが、状況はなかなか改善しませんでした。
学級担任のB先生は、そんなAさんと丁寧に対話を続けました。Aさんの学習面の負担を軽減するサポートをしたり、時間を割いてAさんの悩みを聞き続けました。そうやって手を尽くしても変化が見えない中で、B先生は「困りました」と嘆きました。その言葉には、子どもを思う気持ちと同時に、どうにもならない無力感がにじんでいました。
2.Aさんを観察・分析する
そんなAさんの通級指導を担当することになった私は、まずはAさんと会話をして、家庭での様子を観察、分析しました。パソコンに興味があるAさんは、おうちのパソコンで長時間プログラミングに没頭していることが明らかになりました。そして夜更かしをして朝起きるのが辛くなり、登校を渋って暴れてしまう様子が浮き彫りになってきました。
また、授業や通級指導での様子を観察すると、Aさんには、過集中の傾向がありました。没頭すると時間になっても活動がやめられない特徴があると分析しました。
カウンセラーであり、精神分析の研究者でもある東畑開人さんは、「カウンセリングは謎解き」だと主張されています。それは通級指導の担当者の立ち位置にも通じるところがあると感じます。
Aさんの状態は、「依存症」と言われるものなのかもしれません。田舎町では、専門機関は近くになく、治療を受けるなら、泊りがけで大都市の医療機関を受診しなければなりません。それは、現実的な支援の選択肢にはなり得ませんでした。

3.日課表をつける
私はAさんに、Googleのスプレッドシートで、日課表を付けることを提案しました。
食事や睡眠やパソコンをやっている時間を定型の表に記入するのは、5分で済みました。その結果、Aさんが10時前に就寝している翌日は、登校できていることが明らかになりました。
「パソコンを何時間やってもいいから、10時前に寝てみない?」
私はAさんにそう提案しました。欠席の原因がパソコンのやり過ぎにあることは、Aさんも重々承知しています。でも、パソコンを断つのは、その時のAさんには、困難だと考えたのです。だから、就寝時間に焦点を当てた指導をしました。
5分で日課表を入力したAさんに、残りの時間の学習課題を提案しました。プログラミングアプリを使って、みんなが楽しめる学習ゲームを制作するという課題です。プログラミングに詳しいAさんは、アイデア豊かな作品を没頭して制作していました。Aさんにとって、通級指導は、とても充実した学びの時間になりました。

4.誤解されがちな通級指導
通級指導で担当するケースの中には、学校生活への適応に困りを抱える子が少なくありません。
一方、通級で行っている活動は、外からは意図が見えにくいことがあります。
「遊んでいるだけではないか」
「息抜きをしているだけではないか」
保護者や学級担任が、そのような思いを抱くことも珍しくありません。通級指導の活動は、学習の補充や訓練のように、成果が一目で分かるものばかりではないからです。通級指導には、理解と誤解の境界線が存在します。
Aさんのお母さんは、登校を渋るAさんと毎朝格闘していました。学校に行く行かないの押し問答がヒートアップし、取っ組み合いに発展することがしばしばありました。そんな日々に、お母さんは疲弊していました。
「そんなことして、意味あるんですか?」
Aさんへの通級指導を開始した当初、お母さんに険しい表情でそう言われました。せっかくAさんが登校したのに、クラスの授業を抜けて遊んでいるだけに見える通級指導の活動に、お母さんは懐疑的な思いを抱いていました。欠席が重なり、学習についていけなくなるのではという焦りもあったのだと思います。

5.意図を伝え続けるという責任
意図が伝わらなければ、誤解は自然に生まれます。一方で、意図が分かれば、遊んでいるように見える活動にも意味があると受け止めてもらえます。自己調整を学ぶための活動であったり、人との関係を築く練習であったりすることが伝われば、見え方は大きく変わります。
私は、毎回の指導記録に、その指導の意図を必ず記すようにしています。誰に向けた支援なのか、何を育てようとしているのかを、できる限りわかりやすい言葉にします。保護者や教職員と情報共有をする時、指導の意図が伝わらなければ、通級指導そのものが誤解されてしまうからです。
Aさんのケースでも、指導の意図を記した指導記録を毎回お母さんにお届けしました。
日課表を付けることには、Aさん自身が自分の生活習慣を可視化することによって、自発的な気付きを促す意図がありました。プログラミングアプリでの学習ゲームの制作には、学校内で好きなことに没頭する時間を作ることで、登校意欲を底上げする意図と、自分の得意分野が役に立つという実感を持ってほしいという意図がありました。
また、お母さんに、Aさんの学び方の特徴と長所に気付いてほしいという意図もありました。
6.誤解と理解の境界は、伝え続けるか否かにある
ただし、意図は一度伝えれば終わりではありません。年度初めに説明したからといって、それが一年間理解され続けるわけではありません。子どもは成長し、周りの状況も変わります。そのたびに指導のねらいも更新されなければなりません。だからこそ、意図は何度も繰り返し、丁寧に伝え続ける必要があります。誤解と理解の境界は、伝え続けるか否かにあります。
「いろいろあるけど、何とかやっています。」
Aさんへの通級指導を開始してしばらく経ったころ、参観日に来られたお母さんがそう語る表情には、余裕のようなものがありました。通級指導への誤解が理解に変わってきたのを感じました。
7.困りを背負いすぎない
〈B先生に話す〉
Aさんの学級担任のB先生の話に戻ります。B先生の「困りました」という言葉を聞いたとき、私は次のように伝えました。
「困っているのはAさんです。B先生が困る必要はありません。」
少し冷たく聞こえたかもしれません。しかし、子どもの困りを教員がすべて背負いこむ必要はないと考えています。抱えきれない困りを背負いこもうとすることで、教員自身が疲弊してしまいます。子どもを思う気持ちが強いほど、その傾向は強くなりがちです。
8.「所詮は他人事」という言葉の意味
乱暴な言い方になりますが、所詮は他人事です。教員は、子どもの人生を代わりに生きることはできません。生活リズムの立て直しも、最終的には家庭や本人の領域に属する問題です。学校ができることには、限りがあります。自分ができることの限界を見定めて、目の前の子どもに向き合うことが、教員の専門性だと思うのです。
教員の仕事には、できることとできないことの境界線があるのです。ここで言う「境界線」とは、子どもの困りを自分の責任として引き受け続けることと、専門職として距離を保ちながら関わり続けることの間に引く線のことです。
9.僅かな時間に、こだわり続ける仕事
教員が一人の生徒と関わる時間は、その子の人生全体から見れば、ほんの僅かな時間に過ぎません。その僅かな関わりが、子どもの人生に多大な影響を及ぼすと考えるのは、自意識過剰な幻想とも言えるでしょう。
それでも教員は、その僅かな時間に真剣に向き合います。どうすればその子が少しでも生きやすくなるのか、何を支え、何を手放すのかを考え続けます。すべてを背負うことはできないと分かっていながら、その時間にこだわり続けます。その矛盾を引き受けることが、教員という仕事なのだと思います。
10.「背負う」と「伝える」の間に引く境界線
私は、通級指導の意図は伝え続けます。一方で、子どもの困りを自分のものとして背負い込まないよう、意識的に距離を取っています。その距離こそが、私にとっての「境界線」です。
その「境界線」を見定めること。責任を持って伝える覚悟こそが、通級指導の専門性であり、教員という仕事の尊さなのではないでしょうか。
11.おわりに
架空の事例とはいえ、Aさんのケースは、上手くいき過ぎた感があります。学校現場の現実は、もっと誤解に満ちていて、もっと痛みを伴うものです。境界線を引いた結果、誰かを傷つけてしまった経験も引き受けつつ、私はこの仕事を続けています。
〇参考文献 『カウンセリングとは何か 変化するということ』 東畑開人 著 講談社現代新書 刊

高田保則先生プロフィール
たかだ・やすのり。1964年北海道紋別市生まれ。オホーツク地域の公立小学校教諭。公認心理師。特別支援教育士。開設された通級指導教室の運営を任され、新たな指導スタイルを模索している。趣味はバンド演奏。
