【昭和100年記念リレー連載】昭和世代の教師として、20~30代の教師に伝えたいこと ♯6 大野睦仁 ~教師を続けていくために大切にしたい三つのこと


今年は昭和100年。 昭和100年を記念して、今夏、昭和世代の、昭和世代による、令和時代に向けてのセミナーを開催することになりました。ついては、登壇者たちから現在教職に就く皆さんへのメッセージとして、リレー連載をお届けします。 昭和世代の熱い想いをお読みいただければと思います。第6回は北海道札幌市の謙虚すぎる凄腕職人、大野睦仁先生によるご寄稿です。
執筆/北海道札幌市立平岡中央小学校 大野睦仁
編集委員/堀 裕嗣(北海道公立中学校教諭)
目次
1 はじめに〜〈ここ〉で働く〜
北海道の公立小学校で教員をしている大野睦仁です。
「公立小学校」とあえて書きました。私は、〈ここ(公立学校)〉で働くことにこだわってきました。
なぜなら、〈ここ〉にしか来られない子どもたちの中には、「地域的に選択肢がない」「選択肢があっても家庭の状況によって選べない」という事情を抱えている子もいます。子どもたちだけでなく、先生たちにも〈ここ〉でしか働けない人がいます。〈ここ〉には、さまざまな制限も多いです。
公立私立問わず、多様な学びの環境があるとよいと考えていますが、私は、〈ここ〉にいて、〈ここ〉で感じたことを大事にしてきました。今回の連載も〈ここ〉から見えてきたことです。
2 経験にとらわれず、「知る」ということ〜36年目の学級びらきから〜
教員になって36年目のこの春、36回目の学級びらきをしました。
縁があって、36年間ずっと学級担任をさせてもらってきました。縁があって…と書きましたが、学校全体をマネジメントする力もなかったから、担任外の声がそれほどかからなかったのかもしれません…。いずれにしても、担任をここまで続けてこられたのは、自分としてはとてもありがたいことです。
なぜここまで続けられてきたのかと振り返る時があります。
子どもたちや保護者、地域の方々、同僚の先生たちに支えてきてもらったことは言うまでもありませんが、校外での学び場に出会ったことも大きかったです。初任からの3年間は、重度の障害がある子どもたちの特別支援学校に勤務したこと、そんな特別支援学校から一般の学校へ異動し、3年も教員をしてきたのに、一般の学校では何をしたらよいのか全くわからなかったこと、新卒からの数年間、校内の学びだけでは思うようにいかず、書籍も含めて校外の場から学ばざるを得ない環境にいたことが大きかったのです。
そして、もう一つ大きな理由があったと考えています。
「まだまだ出会ったことがない子どもたち、保護者、地域があるのだ」という意識でいたこと。
当たり前と言えば、当たり前です。
でも、私たち教員は、子どもたちや保護者に対して、これまでの経験をいかして「こんな感じだろう」という見通しをもつことがあります。それには良い面もありますが、「こんな感じだろう」という見通しのために見えなくなってしまうこともあるのです。これまでの教師生活の中で、そんな場面が本当にたくさんありました。その度、「まだまだ出会ったことがない子どもたちがいるのだ」と思ってきました。
だから、次のことを大事にするようになります。
子どもたち(保護者、地域)を知る。
これも当たり前と言えば当たり前です。
でも、まだまだ出会ったことがない子どもたち、保護者、地域があるのだという意識があれば、「また」5年生の担任になったとしても、出会った子どもたち、保護者一人一人を知ろうとします。もちろん全てを知ることはできませんが、知ることを大切にしてきたからこそ、ここまで教員を続けてこられたのではないかと思っています。そして、36年経った今、私たちの仕事って「知ること」じゃないかなと思うほどです。
SNSで発信されている方のプロフィール欄などに「どの学年も一通り経験しました/10年間教員を経験しました。なので、どんなアドバイスもできると思います」なんてことが書かれているのを見ると、「すごいなぁ」と思います。もちろんその経験だからこそ、その年代だからこそできるアドバイスもありますが、私には、そんなことは言えません。機会をいただき、自分の実践などを発表したり、提案させてもらったりすることがありますが、その際も、必ず最初に「今回話をさせてもらうことは、これまでのクラスの子どもたちとボクの中で起きたこと。紡いできたことです。どのクラスでも通用できるというよりは、何か実践のきっかけ、参考になればよいと思っています」と伝えるようにしています。
さて、36回目の学級びらきですが、前日は緊張し、当日は全く余裕がなく、慌ただしく、汗だらけになって1日を終えました。「まだまだ出会ったことがない子どもたち、保護者、地域があるのだ」という意識があって緊張していたのもありましたが、36年経ってもまだまだ力不足ゆえのスタートでした。
3 職場づくりという意識〜子どもたちのそばにいる大人として〜
36回目の学年は5年生。4学級でスタートしました。学年主任として、他のクラスの様子を見たり聞いたりしながらアドバイスできることをしています。その中でも、「スタンドリフレクション」という取組をしています。子どもたちが下校した後、担任団が集まって立ち話をします。立ち話と言っても、子どもたちとの関わりを各担任が振り返って、互いにアドバイスし合えることをするという場です。
立ち話にすることで、日々の忙しい業務の中でも短時間で情報共有ができます。また、気になる子どもの変化を見逃さず、学年全体で連携して対応できるよさもあります。例えば、「あの子はこういう背景があるから、こんな関わり方も試してみてはどうか」というアドバイスをしています。学級だけではなく、学年としても高まっていくための一つの場づくりです。
私は、学年主任という立場として、このような場をつくっていますが、こうした場づくりを含めた職場づくりには、役割や年代を問わず関わっていくべきだと考えています。
なぜそう考えているのか。まずは、この場づくりに関して前提にしていることです。
子どもたちの成長は自分の教室だけで完結しない。
私たちは、子どもたちの未来を見通して仕事をすると言われることが多いです。学習指導要領にも漠然とした「遠い未来」のために、様々な力をつけるべきだとあります。そうした未来の見通しも必要ですが、「近い未来」も見通す必要があるのではないでしょうか。
「近い未来」と言われたら、「3月には、子どもたちがこんな姿になればいいと考えながら取り組んでいる」と答えるかもしれません。もちろんそうした見通しも必要です。
「3月」ではなく、「4月」の姿も見通す。
今、目の前にいる子どもたちが4月の新しいクラスになっても、楽しく過ごせたり、力を身に付けたりできるのか。そう考えることが本当に子どもたちの未来を見通して仕事をしていると言えるのではないでしょうか。
自分のクラスにいるときだけ楽しく過ごせたり、力を身に付けたりしていればよいと考えている教師はいないと思いますが、それでも、今自分のやっている実践が4月からの子どもたちの力になっていくのか。困らせることにはならないのかという点で振り返ることが必要です。
「どんなクラスになっても通用する力が付いています」とか、「様々な先生や、やり方に出会うことには意味があります」という見方もあるかもしれませんが、一方で、そうした見方のために苦しんでいる子どもたち、教師もたくさん見てきました。
自分の教室でやりたいことは、子どもたちの実態に合わせているでしょうし、目の前の子どもたちにとって必要なことだと判断してやっていると思います。でも、「4月」という「近い未来」を見据えていく視点も大切ではないでしょうか。子どもたちの成長は自分の教室で完結しないのです。
そう考えると、職場づくりにも可能な限り、関わっていけるとよいのではないでしょうか。どんな職場になっていけば、今目の前にいる子どもたちが4月からも楽しく過ごせたり、力が付いたりするのか。ただ、年齢も経験も、そして、価値観も様々な中で、職場づくりすることの難しさも理解しているつもりです。それでも「なお」、やっぱり職場づくりに関わった方がよいと考えています。
子どものそばにいる大人として、どんな大人でありたいか。
子どもたちに学ぼうと伝えるからには、自分も学ぼう。そう思ってここまで仕事を続けてきました。
そして、子どもたちに、対話をしよう、相手を理解しよう、仲良くなれなくても協力し合える関係性でいよう、と伝えてきました。教室と職員室はつながっているという同型性については、最近聞かれるようになりましたが、果たして自分は、職員室で、対話をしよう、相手を理解しよう、仲良くなれなくても協力し合える関係性でいようとしているのか。子どもたちが自分たちで学級づくりをしていくように、私自身も職場づくりをしようとしているのか。「子ども相手と、大人相手では違う」なんて逃げ道をつくらず、子どものそばにいる大人として、職場づくりの難しさがありつつも、それでも「なお」、関わっていこうとする大人でいたいと思っています。
役割や年代を問わずに、職場づくりに関わっていくべきだと考えるもう一つの理由があります。
職員室の中で変化が起きている。
「職場に若手が多くなった」という声をよく聞きます。「教員になって3年目で4クラスの学年主任をしています」「初めての学年主任が前年度で学年全体が崩れてしまった学年」というような話も聞きます。そして、職場づくりを考えるにあたって大きな要素が教員不足です。
教員不足が続けば、職員室にいる教員の多様性が広がります。若手が多くなり、多様な職員がいる中では、子どもたちの成長を自分の教室だけで完結させないために、職場づくりがかなり重要になってきます。
職場づくりはこれまで、中堅以降、ベテランが担う役割でしたが、こうした状況の中では、若手であっても職場づくりを意識していかなければならないのです。
例えば、学年の打ち合わせや、研修日などを活かせば、若手でも職場づくりができる余地があります。こうするとよい、という正解はありません。その職場に合った「何か」を見出せるとよいなと思います。
4 「間」を手にする教師であること〜見たいようにしか見ないからこそ〜
経験を重ねてきて楽になったこともあれば、苦しくなってきたこともあります。
見えなかったことが見えるようになる。
例えば、これまで良かれと思って声をかけていた子どもへの励ましが、あるとき、逆にプレッシャーになっていたことを知る経験をしたとします。こうした経験を通して、これからは「慎重に様子を見る」とか、「別の励ましに変える」といったように、子どもたちへの関わり方を変えることができます。
しかし、一方でこうした経験は、これまで気付かなかったところで子どもたちを傷つけてきたのではないか。そして、これからやろうとしていることも、気付かないところで、傷つけてしまうかもしれないという不安にもつながります。見えなかったことが見えるようになることは、けっして楽になるということではないのです。
ただ、私自身は、たとえ苦しくなっても、不安になっても、こうした経験を積み重ねてきてよかったと思っています。教師は「見たいようにしか見ない」ので、実践の一部を切り取って、「上手くいっている」「どの子にも機能している」と思い込みがちです。でも、そうではない、自分の実践には合わない子がいるかもしれない、という想像につながるからです。
今、私たちの現場には、様々な実践が存在しています。書籍やネット上では、「このやり方が子どもたちの力を伸ばす」といったような「振り切った」実践提案が溢れています。もちろん実践を広めるために、「振り切った」形で提案する方がよいことはわかっています。でも、「振り切った」実践に合わない子もきっといるはずなのです。一斉授業の中でしんどい子もいますが、「子どもがすべて自分で決める」授業を徹底しすぎて、不安定になっている子もいます。
どの子にも合う実践なんてないと思っています。そうであるならば、合わない子がいるかもしれないということを自覚しながら実践を進めるということが大事です。
でも、私は、次のような実践がもっとあってもよいのではないかと考えています。
「間」の教育実践
実践は、振り切れば振り切るほどしんどくなる子どもたちが出やすくなると思うのです。本当は、どの子にも合う実践を教室でやれるとよいのですが、現在の学校体制ではできません。それならば「間(あいだ)」の実践をしたいと考えています。「間」の実践には、二つの視点があります。
一つは、例えば、一斉授業と自由進度の間であれば、1時間の中に一斉授業的な時間と自由進度的な時間を入れるという「間」。
もう一つは、この単元は一斉授業的な授業が中心で、次の単元は、自由進度的な学習が中心という「間」。もちろんこれで全ての子に合うわけではありませんが、せめてこのような「間」の実践をすることで、合わない子が少しでも学習に向き合うことができればと思っています。
そして、これは授業実践についてだけ言えることではありません。学級づくりについても同じ視点で見直していくと、もっと安心して子どもたちが過ごせるのではないかと考えています。
5 おわりに〜これからも一教師として〜
昭和に生まれ、昭和から平成に変わるときに教師になり、平成から令和と教師を続けてきました。
時代を見つめる。時代から学ぶ。…ことは、全くできない私ですが、最後まで〈ここ〉で子どもたちと向き合いながら、〈ここ〉で感じたこと、〈ここ〉から見えてきたことを大事にしていこうと思っています。

<今回の執筆者のプロフィール>
おおの・むつひと。北海道公立小学校教諭。学習者主体の教室づくりと職場づくりを意識した校内研修のあり方を模索中。「教師力BRUSH-UPセミナー事務局。2007年文部科学大臣優秀教員表彰受賞。単著に『6ステップでつくる!本気で考える道徳授業』(明治図書出版)、『「結びつき」の強いクラスをつくる50のアイデア』(ナツメ社)等。共編著も多数。大野睦仁の記事一覧