「徹底した個への関心と子どもの生活エピソードー幼稚園の世界から学ぶー」インクルーシブ教育を実現するために、今私たちができること #12
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
「インクルーシブ教育」を通常学級で実現するためには、どうすればよいのでしょうか? インクルーシブ教育の研究に取り組む青山新吾先生が、現場の先生方の悩みや喜びに寄り添いながら、インクルーシブ教育を実現するために学級担任ができること、すべきことについて解説します。
本連載では、インクルーシブ教育とは、貧困状況にある子どもや性的マイノリティの子ども、外国にルーツのある子ども、不登校の子ども、障害や病気のある子どもなどのマイノリティ属性を含むすべての子どもが対象だとしています。そして、すべての子どもたちが包摂される教育を目指すプロセスがインクルーシブ教育であり、そのためには通常学級の教育をもっと豊かにしていくことが求められているという前提に立っています。
今回は、幼稚園での何気ない子どもたちの生活場面のエピソードをもとに、子どもたちの生活の中で、徹底した個への関心をもつことの意味について考えます。
執筆/ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科准教授・インクルーシブ教育研究センター長・青山新吾
目次
ある幼稚園にて
ある幼稚園に学生たちを連れて勉強に行きました。
広い園庭、木々の数々、多くの草木、子どもたちが思わず寄って行きたくなりそうなモノがさりげなく配置されているという素敵な園の環境に魅了され、学生たちを連れて伺ったのです。
ある子どもが、手押しの二輪車にちょこっと砂を入れて運んでいます。ゆっくりゆっくり、でも確実に前に運びます。障害のある子どもで、二輪車を押すという動きにもぎこちなさを感じます。音声言語での表出はまだ難しいのだと聞きました。
この子どもの二輪車が、園庭の隅にある低い鉄の棒(バー)が2本並んで設置してある遊具のほうに向かっていきました。たまたま鉄の棒の近くに佇んでいた僕と、支援員の先生がその子どもの近くにいます。
「この子と支援員の先生はどうするのかな……」と思いながら、僕はその状況を眺めていました。
その子は鉄の棒に突き進みます。
「棒にぶち当たる!」とドキドキしました。でも、支援員の先生は何もおっしゃらずに見守っています。
棒の前で、その子は二輪車をストップ。そして、ゆっくりと足を曲げて自分のからだを下げていきます。そして、ゆっくりゆっくりからだを前に進めて、1本の棒の下をくぐりました。くぐると、平行に置いてあるもう1本の棒に右手を伸ばします。そして、小さな手でぎゅっと棒をつかんだのです。そうしてから、左手を伸ばして二輪車を自分のほうに引き寄せてさらに前進! 見事に2本の棒をくぐり抜けたのです。

思わず僕と支援員の先生は「すごーい!!」と言いながら拍手しました。でも、その子は特に反応するでもなく、何事もなかったようにまた園庭を進んでいきます。
そうか……と思いました。
あの子は、園庭を二輪車を押して前に進みたいのです。そこに、たまたま邪魔な棒(バー)があったので、精一杯からだを動かして「突破」したのです。でも、目的は前に進むことだから、「突破」したことは、大したことではないのかもしれません。でも、こうした体験を重ねることで、子どもは自分からは見えないところでからだの動きを意識したり、動かしたりして自分のボディイメージをもてるようになっていくのでしょう。
また、右手で棒をつかまえて、左手で二輪車を引っ張るという、とても難しい協応動作(からだの異なる器官や部位を同時に適切に動かすこと)の体験を積んでいくのです。それが、からだの動きの発達につながっていくことは間違いないと思いますが、子ども自身は、自分のやりたいことに夢中になっているだけなのだと思います。
「はっぱトラック」に見る子どもの世界
しばらくして、僕は、別の場所で子どもたちと一緒に葉っぱを摘んでおりました。摘んだ葉っぱを砂場に掘った「池」の中に浮かべようという話になったのです。子どもたちと夢中になって摘んでいたら、そこに、先程とは別の子どもが二輪車を押しながらやってきました。その子どもも、まだ、音声でのことばを使ってコミュニケートすることが苦手だと聞いていました。せっかく二輪車がやってきたので、僕は自分の手の中にあった葉っぱを二輪車の荷台に入れてみました。その子はこちらを見つめていますが、特に反応はありません。僕は、次々に葉っぱを二輪車に入れていきました。そして、
「はっぱトラック!」
と言ってみたのです。
すると、その子が突然満面の笑みで僕の目を見ながら、「はっぱトラック!」と言ったのです。
「うん、はっぱトラック!」
「はっぱトラック!」
2人で言い合いながら葉っぱを入れていきます。すると、その様子を見ていた周囲の子どもたちも、「はっぱトラック!」「はっぱトラック!」と言いながら葉っぱを入れていきます。しばらくすると、その子は二輪車で、砂場とは別の方向に葉っぱを運んでいきました。
一応「はっぱトラック、お砂場」と言ってみましたが、「はっぱトラック」はどこかに向かっています。周りの子どもたちはそれを見て笑っています。「うん、はっぱトラックはお仕事で忙しいんだよね」という感じです。
他の子どもたちと別の葉っぱを「池」に運んで戻ってくると、お仕事を終えた「はっぱトラック」がまたやってきました。他の子どもたちも僕も、
「はっぱトラック来たよ!」
と言います。
すると、その子も満面の笑みで「はっぱトラック!」と言ったのでした。
保育の世界の当たり前を学校にもつないでいこう
インクルーシブ教育を少しずつ進めたい。その際に、「子どもたち同士がつながり合える場の形成」なんてことばで方針を定めてみたくなるかもしれません。
でも、実際には、子どもたちの生活の中に入りながら、それぞれの子どもの思い、世界をできるだけ大切にして、ときに少しだけその世界を紡ぎ合わせることの連続から、インクルーシブな世界が見えてくるのかもしれません。
日々の何気ない子どものエピソードを丁寧にことばにして語ること
保育の世界で当たり前に大切にされてきたことに触れて、それを学校にもつないでいくこと。インクルーシブ教育を進めるために、今できることは、こういった小さなことの連続だと思うのです。
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青山新吾(あおやま・しんご)ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科准教授、同大学インクルーシブ教育研究センター長。岡山県内公立小学校教諭、岡山県教育庁特別支援教育課指導主事を経て現職。臨床心理士。著書『エピソード語りで見えてくるインクルーシブ教育の視点』(学事出版)、編著『特別支援教育すきまスキル』(明治図書出版)など、著書・編著多数。
【青山新吾先生 著書】
『エピソード語りで見えてくるインクルーシブ教育の視点』(学事出版)
『インクルーシブ教育を通常学級で実践するってどういうこと?』(岩瀬直樹との共著/学事出版)
イラスト/高橋正輝