映画『小学校~それは小さい社会~』公開記念特別インタビュー 山崎エマ監督「日本の教育って、こんなに素晴らしかったんだ!」
日本の教育「TOKKATSU(特活)」が海外で感動を呼び起こしています。公立小学校の日常の出来事をありのままに綴ったドキュメンタリー映画が海外で多大な評価を受けているのです。その映画を制作した山崎エマ監督がどのような思いをもって映画に臨み、小学校を見つめたかをうかがいました。山崎監督はご自身の強さの根源は公立小学校で培ったものと語ります。日本の教育の素晴らしさに気付き、未来の教育について考えるきっかけにしてください。

目次
日本の今、未来が見えてくる
――『小学校~それは小さい社会~』を映画にしようと思われた理由を教えてください。
山崎 私は大阪の公立小学校に6年間通いました。映画で取り上げたような1000人を超すマンモス校です。それからインターナショナルスクールで中高を過ごし、19歳でアメリカの大学に進学しました。そういった教育段階を経て社会人になり、20代半ばの頃、「すごく頑張りますね」「チームへの貢献が素晴らしいですね」「責任感がすごいですね」と言われたとき、これは私だけのことではなく日本人なら普通のことだと思ったのです。
どうして自分がこういう価値観になったのだろうと思い返したとき、小学校で過ごした6年間が基盤になっていることに気付きました。体育会や音楽会の練習に励み、できなかったことを克服し、みんなで協力してやり遂げたことが自信につながり、達成感になりました。自分の強さの礎(いしずえ)は、6歳から12歳の小学校時代の経験だと確信したのです。
日本といえば、「寿司」「忍者」などの話題が多い中で、もっと日本のことを知ってもらうには小学校を知ってもらうのがよいと思いました。なぜ今日本はこうなのか、日本はどうなっているのか、人も含め小学校にその根源があるのではないかという思いから、いつか小学校の映画を撮りたいと考えていました。
私のような海外からの視点をもつ人間が監督することで、小学校にある「当たり前」を丁寧に捉えられるのではないかと思いました。そして、まだ知られていない日本の小学校の姿を海外に発信すれば、今後、世界でどのような教育を目指すべきかのヒントになるのではないかとも思い、このプロジェクトを立ち上げました。
――この映画は海外で多くの賞を受賞し、各国映画祭の上映チケットは完売という評判とうかがいます。海外の人たちは日本の教育制度のどんなところに感動されているのでしょうか?
山崎 小学校で、給食の配膳や掃除など子供たちに責任を与え、役割を分担して、コミュニティであるクラスに還元するというシステムは、日本に生まれ育つと普通すぎて気付けません。しかし、子供たちに任せることに世界の人たちは感動するのです。子供たちに責任を与え、信頼して任せているのは、大人たちが仕向けてたくさんのサポートをしているわけですが、海外の人たちは、自分たちの国の教育とあまりに違うシステムなのが驚きだったのだと思います。
――特に、教育大国と言われるフィンランドでは4か月以上の上映が続くロングランになったとうかがいます。フィンランドの教育は世界が手本にしているのではないでしょうか。
山崎 フィンランドの教育は海外から称賛されつつも、自分たちの中では、質が落ち、教育を見直す時期が来ていると思っている人が多いようです。かつてコミュニティづくりが大切にされていたのに、今は個人としての権利を優先し、自己中心的な子供たちが多く育っているそうです。
日本の小学校の強さは、コミュニティづくりや他人のことを自分のことのように考えられる子供が多いことです。フィンランドにも、もともとあった部分なのになくなってしまっているため、日本から学べることがあるのではないかという多くの声を聞いています。
――日本の教育のよさに日本人自身は気付けていないのでしょうか。
山崎 先生たちは大変だし教員も減っているので、日本の人たちは日本の教育をそんなによいとは思っていないように見受けられます。そもそも日本の教育のシステムが素晴らしいことにもっと自信をもってほしいのです。その独特な部分を認めつつ、課題を切り分けて今後のこととして話し合っていくのがよいのではないでしょうか。
日本人自身が日本の教育に対して全部よくないという声を多く聞くことがとても残念です。海外の人たちが感動しているという視点で見ていただけると、誇らしく思えるのではないかと思います。そのあたりを届けたいし、気付いていただきたいと思います。
――長期取材、長期撮影をされたのはどうしてでしょうか。
山崎 ドキュメンタリーは始まりがあって終わりがありません。春が来て、また春が来る、1年生は2年生になる、6年生は卒業するという時の流れは保障されています。小学校の教育システムの1年間はとても考え抜かれていますので、区切りとしてそれを表現したかったのです。
――映画を制作する際、どの部分に一番苦労されたのでしょうか。
山崎 小学校は200日程度あり、そのうちの150日間は朝7時前くらいから入って撮影の準備をしていました。計画した撮影以外に、学校は突発的にいろいろなことが起きるので、私は学校中を5時間くらいまぐろのようにぐるぐる回って、面白いことがないかと情報を集めていました。出来事は1回きりなので、自分が目で見ても映像に捕らえられなかったことはたくさんあります。
撮影した映像は何回も見返して、最高の映像と最高の音でつくり上げて、そこにいなかった皆さんに届けるための凝縮したリアルです。学校という場所が主人公で、様々な子供の出来事で進んでいくというような構成になっています。
先生方や保護者の皆さんには私がどういうことをねらっているかを理解してもらって、「最初の時間にこういう話をするかもしれません」などの先生からの情報や「家ではこういうことをしている」などの保護者からの情報をいただいていました。先生方、子供たち、保護者の方たちとコミュニケーションをとり、カメラを回し続けることができる関係性をつくるなども含め、毎日必死でしたね。
保護者の方たちは先生のある側面しか見ることができません。先生たちは、ある意味正解がない中で毎日正解を探して試行錯誤しています。前年のクラスではできていたことが今年のクラスでうまくいかないなど、教育は生ものなのに、「悩む」といった人間っぽいところを先生たちが表に出す機会がなかなかありません。「先生たちもみんな人間」と社会全体が知ることが大切だと思うのです。
社会全体が教育に関心を
――山崎監督がこの映画で一番訴えかけたかったのはどの部分なのでしょうか。
山崎 社会でとても大切な役割を任されているのが学校や先生たちです。教育は今後どう進んでいくのか、学校や先生たちだけの問題ではないはずです。社会が教育に関心をもち、よいところを残し、どういうところを変えていくべきかの議論をもっと社会全体でしてほしいという思いを込めています。
多くのメディアからは「先生の仕事は大変だ」ということが伝わっています。もちろん、大変な仕事ではあるのですが、喜びややりがいなど先生にしか味わえない体験があるはずで、先生方の様々な姿をこの映画に詰め込みました。
國學院大學教授の杉田洋先生にいただいた言葉で、「働き方改革を進める中で働きがい改革も進める」ということです。教員にとっての働きがいも守っていかないといけないと思います。かつては誰もが小学生だったので、入り口としては入りやすい映画だと思います。
学校は社会の縮図ですから、今の学校を知ることは今後の日本を知ることにもつながると思います。社会の未来は教育にあるはずですから、普段は考えない人も教育について自分事として考えるきっかけにしてほしいですね。
――長期間にわたり小学校に密接に関わられた山崎監督は、日本の小学校の教育についてどのように思われますか。
山崎 私が25年前に卒業した時代と比べたら、個人の尊重は進化していると思います。しかし、「もっとできる」「もっと頑張ることができる」という、何か困難なことを乗り越える場が減っているのではないでしょうか。バランスではありますが、「もっと頑張る」ということも重要だと思います。ここを乗り越えれば楽しみが待っているような教育体験、成功体験が存在するシステムになってほしいですね。