見栄えを捨てて「実」をとる【連載|管理職を楽しもう #11】
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前例踏襲や同調圧力が大嫌いな個性派パイセン、元小樽市立朝里中学校校長の森万喜子先生に管理職の楽しみ方を教えていただくこの連載。いま管理職の先生も、今後目指すかもしれない先生も、自分だったらどんなふうに「理想の学校」をつくるのか、想像しながら読んでみてくださいね。
第11回は、<見栄えを捨てて「実」をとる>です。
執筆/元小樽市立朝里中学校校長・森 万喜子
目次
実りの秋です!
みなさんこんにちは。日ごとに秋が深まっていますね。カレンダーの残りも少なくなりました。私は来年の手帳を買い、新しい年のスケジュールを書き込んでいます。講演や執筆のオファーをいただくと、さっそく書き込み、新たな出会いにわくわくしています。
さて、実りの秋を迎え、道の駅の直売所が大好きな私は、時間を見つけては出かけ、野菜や果物をついついどっさり買ってしまうのが常。直売所では、ちょっと形が悪い野菜などが安く手に入るので、「形はどうでも、食べたらおいしいのでOK」と考える私は、そういう野菜や果物を好んで買います。お安く手に入ったりんごで、焼きりんごを焼いたり、野菜たっぷりの汁物を作ったりすると、楽しいですよ。
学校の「働き方改革」、どうなってますか?
学校の働き方改革が話題に上るようになって、もう何年もたちますが、「劇的に改善した!」という話にはなかなか出会えません。留守番電話とかペーパーレスとか会議の回数など、具体的なエピソードは結構ありますが、それですごく仕事が楽しくなった、幸せになったとは聞かない。
一方で、管理職に「早く帰れ」としか言われないとか、「16時45分の勤務時間終了とともに留守番電話に切り替えるので、17時に仕事が終わってから相談したいと思う保護者からの電話がつながらなくて、苦情が来ます。電話対応より、苦情対応のほうが大変。杓子定規な対応も問題ですよね……」などとため息まじりの嘆きを聞くこともあります。数字という「測って見えるもの」にこだわって、肝心の中身のことをよく見聞きすることを忘れてしまっている学校になっていないでしょうか。みなさんの職場はいかがですか。
ブルシット・ジョブについて考える
少し前に『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるのか』(酒井隆史著、講談社現代新書)を読みました。著者の酒井隆史先生は、このテーマの原典ともいえる、デヴィッド・グレーバーが書いた『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)の訳者の一人でもあります。
テクノロジーが発達して、人手が少なくても回るようになった世の中のはずなのに、なぜこんなにも、あまり意味のない仕事が日々生まれ、人がそれに忙殺されているのかを分かりやすい言葉で書いている本です。高級なマンションの入り口にいて、住人がロビーを通ると挨拶をして、正面玄関の自動ドアのボタンを押す。また、大会社の受付の女性は、キャンディのお皿にミントキャンディを補充し、会議室の柱時計のねじをまく以外に大した仕事がない。つまりこれらの仕事は「高級感」を出すためにあります。
今のテクノロジーをもってすれば、必ずしも「人」じゃなくても解決できることをわざわざ人を雇って仕事をつくり、「うちは顧客に満足してもらうためにこんなことをしています」と見せるのです。で、仕事自体は短時間で終わるけど、上司の前では「忙しそうにふるまう」必要がある。そりゃそうですよね、「暇そうにしている」→「働いていない」と考えられてクビになったら困るもんね。
親切なスタッフがいることで、助かることは確かにあります。銀行のATMコーナー、空港のチェックイン機や自動手荷物預け機の近くにさりげなく立っている職員の方に助けられたことのある人も多いでしょう。私が定期的に通う病院の会計カウンターの横には、処方箋を調剤薬局にファックスで送るコーナーがあり、そこには白衣を着た女性がいて、①処方箋をどの薬局に送信するか聞く、②ファックスを送信する、③手元のノートに患者名と送信先の薬局を書く、④患者に「お大事に」と声をかけ、処方箋を渡す。という仕事をしています。最近ファックス送信は自分で行うように機械が導入されましたが、スタッフの女性は常駐して助けてくれます。でも、「ひとりでできるもん」なことが多いよ。
学校にもブルシット・ジョブ?
一方、学校ではどうですか? 見栄えをよくするための仕事を職員に課していないかしら? 前回も書きましたが「そろえる」ことを目的とした掲示物、電子メールの添付ファイルをプリントアウトして、綴じられた後、誰にも読まれない分厚いファイル、アンケート用紙を印刷して、封筒に入れて渡す作業、一枚一枚重ねてステープラーで留める丁合作業と出来上がった冊子(まさか、厚いほうが価値があるなんて思っていないよね?)、校長室に来客があったときにお茶を淹れて出すのはなぜか女性職員、などなど。学校の仕事は本当にやらなくちゃいけないことがたくさんあって、「ブルシット・ジョブ」なんて言い方をするつもりはみじんもないんだけど、でも「丁寧」で「親切」「かゆいところに手が届く」ことで、仕事を評価するのはちょっと気を付けたほうがいい。だって、病院の処方箋送信コーナーでの私のように「自分でできるもん……」って思っている児童生徒がいるかもしれないよ。「主体的」とか言いながら「やってあげちゃう」、「対話的」とか言いながら「時間がないから教えちゃう」から早く抜け出そうよ。
子どもたちは自然そのもの。全部をぴかぴかで形が整った野菜や果物に仕上げる必要なんてない。どれもみんな滋味深く、新鮮で生命力そのものなんだから。
<プロフィール>
森 万喜子(もり・まきこ) 北海道生まれ。北海道教育大学特別教科教員養成課程卒業後、千葉県千葉市、北海道小樽市で美術教員として中学校で勤務。教頭職を7年務めた後、2校で校長を務め、2023年3月に定年退職。前例踏襲や同調圧力が大嫌いで、校長時代は「こっちのやり方のほうがいいんじゃない?」と思いついたら、後先かまわず突き進み、学校改革を進めた。「ブルドーザーまきこ」との異名をもつ。校長就任後、兵庫教育大学教職大学院教育政策リーダーコース修了。現在は、執筆活動や全国での講演の他、文部科学省学校DX戦略アドバイザー(2023~)、文部科学省CSマイスター(2024~)、青森県教育改革有識者会議副議長として活躍中。単著に「『子どもが主語』の学校へようこそ!」(教育開発研究所)がある。