【明日の教室セミナー】荒木寿友先生✕苫野一徳先生「『哲学×道徳』で見えてくるこれからの学校づくり」受講レポート

文/糸井登(「明日の教室」代表、京都女子大学附属小学校副校長)、吉川裕子(立命館小学校教諭)

みなさん、こんにちは。「明日の教室」代表の糸井登です。今回報告するのは、7月6日(土)の午後、京都・山科にある新学社の会議室で行った荒木寿友先生と苫野一徳先生による「『哲学×道徳』で見えてくるこれからの学校づくり」と題するセミナーです。

実は、苫野一徳先生には今から10年前に「明日の教室」にご登壇いただいています。そのときの講座の様子(2014年)は以下の「明日の教室DVD」シリーズで見ることができます。10年前、30代の苫野先生の講演を聴くことができます。
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http://sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_039.htm

荒木先生との関係では、2015年に荒木先生の授業のゲストスピーカーとして私が立命館大学にお邪魔した記憶があります。ですから、やはり10年ほどのお付き合いになります。荒木先生にも2017年に「明日の教室」のご登壇いただいています。その時の講座の様子(2017年)は以下の「明日の教室DVD」シリーズで見ることができます。
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http://sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_054.htm

揺れ動く学校改革の中で、教師主体の授業から学習者主体の授業へ。個別最適化、自由進度、協働学習といった様々な言葉が飛び交っています。では子供を主体とした学校づくりや教員に必要になってくる資質等はどうなってくるのか、それを哲学や道徳の見地から語っていただくというのが今回のセミナーの主旨です。そして、デュオセミナーの形をとることで、お二人の話にさらに広がりや深まりが出てくるのではないかと考えた次第です。

事前の打ち合わせをする中で、「荒木先生の話を聞いた上で、苫野先生には、即興でその話を広げたり深めたりする話を展開していっていただく」という流れで構成していくことになりました。これはなかなか難しいのではないかと思っていたのですが、そんな心配は全く無用でした笑。セミナーは終始、まるで打ち合わせをしていたかのようにスムーズに展開していきました。私は、これこそ、デュオセミナーの真骨頂だなと感心しながら聞き入っていました。

では、セミナーの様子を紹介します。今回も報告を書いてくれたのは、吉川裕子先生(立命館小学校)です。


荒木寿友先生✕苫野一徳先生セミナーレポート(報告者:吉川裕子先生)

7月6日(土)に行われた立命館大学・荒木寿友先生と熊本大学・苫野一徳先生のお二人による「明日の教室」デュオセミナーの内容をご紹介します。

テーマ1「学ぶということ」

まずは、荒木先生のお話。最初に「特殊詐欺」をするためにどんな能力が必要になってくるかについて、隣の人と考えました。実はこれにはコミュニケーション能力、計画力、語彙力、話術などたくさんの力が必要です。これらの能力は使い方によって犯罪にも役立てられます。荒木先生は、身につけた能力の「使い方」が大切であるのに、学習指導要領では「何のために学ぶのか」という目的性の視点が弱いのではないかと指摘されました。

日本の道徳教育では、生活経験に基づいて相手の気持ちを察することが大切にされてきました。しかしこれからは、道徳的知識も身につけた上で、価値の意味(What)、なぜ大切とされているのか(Why)、実現のためにどうするか(How to)から重層的に捉える必要がある、とお話しされました。

次は、苫野先生のお話です。荒木先生のお話を受けて始まるスリリングな展開でした。まず、日本の学習指導要領は、「何のために学ぶのか」「そもそもなぜ学校があるのか」を再考する必要があるとお話しされました。日本では、学習者主体の教育への転換期が、大正自由主義教育、戦後の民主主義教育、総合的な学習の時間の導入期と3度ありましたが、いずれも頓挫しました。今回が4度目の正直です。一時的な流行で終わらせないために、「何のために、どこをめざすか」を明確にすることが大切だと強調されました。

次は、荒木先生と苫野先生の対話です。荒木先生から「私たちは自由を欲しているけれども、自由になると孤独になる。そのはざまの中で生きているのではないか」という問いが出されました。

苫野先生が答えます。「自由とは、生きたいように生きられること。生きたいように生きたいと思うから、生きたいように生きられないことに苦しむ。もし私たちが孤独に苦しんでいるとするなら、それはむしろ自由ではないということです。そしてだからこそ、その苦しみから脱して、私たちは自由に生きたいと欲するのです。これが『人間的欲望の本質は自由である』というヘーゲルの洞察で、私たちはさまざまな欲望を持っているが、自由への欲望は他の欲望と次元が違います。欲望を持っている時点で欲望によって制限されている、欲望がある以上自由を欲してしまうのです」。

人間が何万年も殺し合いを続けているのは、自由への欲望がバッティングするから。殺し合いの歴史を止めるためにはお互いの自由を認め合う「自由の相互承認」しかない。どこが一番真ん中の言葉なのかを考えるのが哲学で、みんなが自由に生きられるための一般条件は何かを考えていくというお話でそした。難しかったですが、面白かったです。

テーマ2「学校における民主主義と自治」

荒木先生は、コールバーグの「ジャストコミュニティ」の実践についてお話しされました。ジャストコミュニティは、コールバーグの晩年の実践で、総意をめざして話合いを行い、合意形成を図るために数年間かけて話し合う取組みをしていたそうです。

一方、日本の道徳教育では、一般的には個人の内面に目を向け、他者との合意形成は求められていません。しかし道徳の本質は「他者と共によりよく生きていく」ことだと荒木先生は語ります。今の学習指導要領では、合意形成は特別活動で扱いますが、いきなり学級会で何かを決めるのはハードルが高いので、道徳の授業で合意形成の練習をするのがいいのでは、とお話しされました。

また荒木先生は、「民主主義の基本は意見表明から始まる」とお話しされました。日本では、大人も意見表明が苦手な人が多いようです。多様な文化的背景をもった人が増え、自分の意見を表明していくことが大切になっていきます。日本でも「子どもの権利条約」「こども基本法」で子どもの参画、意見表明権が定められていますが、子どもが意見を表明すると、生意気だと言われがちです。

AIが台頭する中で、「人間として失ってはいけない力」は、「自己決定」の力と「自己選択」の力だと話されました。

次は、苫野先生のお話。荒木先生の「道徳は他者と共によりよく生きること」という言い方が好きだ、とおっしゃいました。何万年もの殺し合いの歴史を経て、考えられたのが民主主義であり、発明されてからまだたった2世紀しかたっていない。そんな民主主義のジレンマとして、「みんな」の外部が必ずあり、「みんな」をいかに外部に開いてお互いに対等に話し合っていくかが課題である、と話されました。学校こそが民主主義の場であるはずだから、学校の先生はみんな民主主義とは何か説明できないといけない、という言葉にはドキリとしました。

テーマ3「学校づくりを支える教員養成・研修」

荒木先生は、これからの教員養成・研修に必要なのは、リフレクション・振り返りの力だと話されました。教員の数が足りない中で、質の高い教員を増やすという難題を抱えている日本の教員養成の現状。実践知を獲得するためにはリフレクションが大切であり、コルトハーヘンのALACTモデルの紹介をされました。自分の「観」を振り返るためのリフレクションが大切であり、信頼できる先生と振り返るための対話の時間を設定することを提言されました。

苫野先生は、リフレクションを真ん中にして、チームとして力を伸ばしていくやり方には伸びしろがある、と話されました。分業・協働で生産性が上がるのが人間の面白いところで、得意なところで苦手なところを補っていくことが大切です。ただ現状は、チームとして成長していく教員養成の経験値を持っている先生が少ないので、方向性を定めて少しずつ変えていくこと、また教員研修を対話型にして校務の整理削減を進めることを提案されました。

その上で、教員に「教師としての専門性」だけでなく、「教育の専門家」になることの必要性を話されました。そのために、以下の4つに目配りすることをあげられました。

・教育の本質を深く考えている

・教育の歴史に精通している

・世界の教育に精通している

・教育の実証的な研究にある程度精通している 

歴史や世界の教育についての知識があると、自分たちの教育を相対化でき、想像力が働く、「ほめる」「叱る」だけでも多くの実証的な研究があるので知っておく必要があると話されました。

鼎談:AI時代の教育―自由・共生・身体性を考える

最後は京都橘大学の池田修先生を交えた鼎談です。

荒木先生からは、日本の学校教育は「知徳体三位一体」だと言われるけれど、本当に三位一体で教育はなされているのだろうか、と問われました。また、他者とのまとまり、集団をつくっていくという「自分たちの輪」を強くすればするほど、見ず知らずの他人に対する壁が高くなるので、複数の集団に所属し、境界線を緩く捉えて緩やかな関係性づくりをしていくことが大切だ、と提言されました。そもそも他者がいるから学びが必要になってきたのであって、個別最適な学びが孤立した学びにならないように協働的な学びが必要という表現に違和感を感じる、とも話されました。

苫野先生は、三位一体が先にありきではなく、「自由に生きるために必要な力は何か」から考えていく必要があると話されました。便利だからこそ不便なキャンプに行きたくなるように、AIが発達しても「人は何ができるか」ということに興味がある人は多く、「他者と共によりよく生きる」ということがキーワードになるだろうと話されました。所属しているコミュニティが多ければ多いほど他者に親和的になれるので、プロジェクトベースや異年齢での活動、地域の人を学校の中に入ってきやすくするなど、学校の中に一定程度流動性を作っていくことが有効だと話されました。

池田先生は、生成AIを使う際には必ず何か命令を出すことから、AIを使った学習は学習者主体になる可能性がある、道徳と哲学と倫理の先生たちがAIをどう活用するかの議論にどんどん参加してほしい、と話されました。個人のポテンシャルだけでは限界が来るが、仲間の力やAIの力を借りると上がるという実感があるそうです。また、人間は失敗できるようにシステム化されていて、失敗の中から経験値を得ていきます。対話は速く正確に答えを出す「正解主義」からすると面倒くさいと感じられ、まだまだ「正解主義」に捉われているのではないかと話されました。

最後はフロアからも質問があり、身体性が話題になりました。池田先生は、身体感覚、身体知は絶対大事だが、もうAIのない生活には戻れないので、その先を考える必要があると話されました。苫野先生は、暑い、寒いと思う前にエアコンをつける、退屈だと感じる前にYouTubeを与えるといった、子どもたちが身体的欲求に気づく前に与えることはやめた方がいいと話されました。

次から次へと話題が広がり、具体から抽象に、さらにまた具体に、と話が展開しました。池田先生の恩師・竹内常一先生の「自分のためだけに学ぶとエゴになる可能性がある、まわりの人のため、社会のために学んだことが生かされると本当の学びになるのではないか」という言葉で締めくくられました。

「民主主義」という大きな抽象的なテーマについて考える中で、いつのまにか子どもたちや先生方との関係や授業について具体的に考えている、というような刺激的な時間でした。フロアからの質問もたくさん出て、あっという間の3時間半でした。


次回は9月7日、三宅貴久子先生✕堀力斗先生デュオセミナーを開催

さて、次回9月の「明日の教室デュオセミナー」のテーマは探究学習です!

9月7日(土)に瀬戸SOLAN小学校の三宅貴久子先生と関西大学初等部の堀力斗先生をお招きして、これからの探究学習について考えていきます。

登壇いただくお二人の先生は、もう何年も前から「探究学習」に取り組んでおられる方です。お二人の実践から、これからの探究学習を考えていく格好の場となると思います。多数のご参加をお待ちしております!

明日の教室セミナー開催予告】
「そして、これからの探究学習を考える」
講師:三宅貴久子先生(瀬戸SOLAN小学校)✕堀力斗先生(関西大学初等部)

日時:2024年9月7日(土)13:00~17:00
会場:新学社5F会議室(京都市山科区)
参加費:4000円(税込)
詳細・お申込は下記リンク先にて
↓↓↓
https://peatix.com/event/3896078/view

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