保護者との懇談での「やさしいどうして?」のまなざし|インクルーシブ教育を実現するために、今私たちができること #4
「インクルーシブ教育」を通常学級で実現するためには、どうすればよいのでしょうか? インクルーシブ教育の研究に取り組む青山新吾先生が、現場の先生方の悩みや喜びに寄り添いながら、インクルーシブ教育を実現するために学級担任ができること、すべきことについて解説します。第4回は、「保護者との懇談での『やさしいどうして?』のまなざし~徹底した個への関心~」について考えます。
執筆/ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科准教授・インクルーシブ教育研究センター長・青山新吾
目次
これまでの本連載について
本連載では、インクルーシブ教育とは、貧困状況にある子どもや性的マイノリティの子ども、外国にルーツのある子ども、不登校の子ども、障害や病気のある子どもなどのマイノリティ属性を含むすべての子どもが対象だとしています。そして、すべての子どもたちが包摂される教育を目指すプロセスがインクルーシブ教育であり、そのためには通常学級の教育が変わっていくことが求められているという前提に立ちました。
ここまで連載の中で3つのテーマについて書いてきました。
そのテーマは、
・第1回 徹底した子どもへの関心をもって子どもと一緒に過ごすことが大切
・第2回 子どもを見つめる際に「見方」を変えてみることで、その子どもが違って見えることがある
・第3回 「やさしいどうして?」のまなざしについて
でした。
今回は、前回考えた「やさしいどうして?」のまなざしを子どものご家族に向けてみましょう。
※「やさしいどうして?」……日常の子どもたちの言動に対して、「どうしてそのようにしたのかな?」「どうしてそのように言ったのかな?」などと、その背景要因にまなざしを向けること。青山先生が学生たちと作った造語。
行動に時間がかかる
かなり前の話です。ある学校で先生からお悩みを聞いて一緒に考える機会がありました。
そこで登場したのが、行動に時間がかかる小学生の話でした。ここでは、細かい話は書かず概要だけ記述します。
学校に登校しても、母親と離れられないというのです。そもそもギリギリの時間か、少し遅れて登校してくるとのことでした。やっと離れても、教室になかなか行けず、子どもは担任に一緒にいてほしい様子だけれど、「そのようなことは無理です」と、担任の先生は言いきっておられました。
また、学校生活のいろいろな場面で時間がかかるので、手がかかっているそうです。給食もなかなか食べられないので、限界まで待って、そこで止めさせているとのことでした。
朝、登校の際に、自分が門のところまで迎えに行こうと思うので、もっと早く来てほしいと保護者に頼んでみたところ、よい返事がなかったそうです。家庭の協力が得られないと子どもの支援もうまくいかないので、家庭の協力を得られるようにするにはどうすればよいのかを教えてほしいと僕に言われました。
「やさしいどうして?」のまなざしを向けてみる
僕は、「どうしてその親子は、朝早く登校してくれないのかな?」と聞かれたら、どのように考えますか? と投げかけてみることにしました。
すると、しばらく考えられてから、
「親の理解が足りないから……」とのこたえが返ってきました。それをとりあえず受け止めつつ、何気なく、家族構成や家庭での暮らしの様子を尋ねてみたのです。
その結果、1歳と4歳の下の子どもがいることが分かりました。
続いて、「お家では、行動がゆっくりではないのかな?」と尋ねてみたところ、
「夕食に2時間以上かかることもあるそうです」
「お父さんの帰りは深夜だそうです」
ということが分かりました。
これらのことから考えて、「どうしてその親子は、朝早く登校してくれないのかな?」に対する考えが、保護者の子ども理解が足りないからということだけで本当に大丈夫なのでしょうか。
「やさしいどうして?」のまなざしから想像してみる
家庭でも、行動のひっかかりがあり、食事にものすごく時間がかかっている。
家庭は乳幼児が一緒に暮らしている環境である。
こういった大切なことを、先生方は、きちんと把握していました。ただ、それらが単なる「情報」になっていないだろうか……という不安が僕に生じたのも事実です。
しかし、これらの話は単なる「情報」ではないはずです。そこに登場する人たちの状況や心情を想像して、家族の日常ストーリーを想像してみることが必要なのです。
夕食に2時間かかることもある状況で、他の行動が全てスムーズということがあるのだろうか。乳幼児2人がいる状態で、行動にものすごく時間がかかる子どもをサポートしながら、いったいどうやって暮らしているのだろうか。そもそも、朝起きてから登校するまでにどんな状況が生じているのだろうか などなど。
僕の頭には、数々の疑問が生まれてきました。
分かろうとする人、一緒に考えようとする人が側にいること
「あのー、僕にはこの親子が、毎日よく時間までに登校しているよね。すごいな~と思えて仕方がないのですが。僕にはそう思えるんだけど……」と話しました。
すると、担任の先生から「はい。でも、それが分かっても解決しないですよね?」と尋ねられました。
「解決? 学校で行動が遅いことが解決しないってことかな?」と確認してみました。
すると、じっと黙ってしばらくしてから、「管理職から、きちんと指導や支援をして、みんなに合わせて行動できるようにしなさいと言われているから……」と小さな声でおっしゃいました。
人間が生きているときに生じるできごとは、すべて何かを行ったら解決すると思いますか? まずは、分かろうとする人、一緒に考えようとする人が側にいることが大切なのです。
その家族にも、そういった人が必要なのかもしれません。いえ、先生ご自身にも、そういう人が必要ですよね。一人で考えていたら辛くなりますから。
今の教室には自分の居場所があるのかな。
先生は、自分のことを分かろうとしてくれているのかな。
今の職場には自分の居場所があるのかな。
職場のスタッフは、自分のことを分かろうとしてくれているのかな。
このような思いを家族や先生自身がもてるところから、すべての子どもを包摂したインクルーシブ教育は歩み始めるのだと思います。
【参考文献】
・勝浦眞仁・市川奈緒子・青山新吾編著『「家族の流儀」を大切にする支援: 自閉スペクトラム症のある子どもの家族支援・再考』(金子書房)
青山新吾(あおやま・しんご)ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科准教授、同大学インクルーシブ教育研究センター長。岡山県内公立小学校教諭、岡山県教育庁特別支援教育課指導主事を経て現職。臨床心理士。著書『エピソード語りで見えてくるインクルーシブ教育の視点』(学事出版)、編著『特別支援教育すきまスキル』(明治図書出版)など、著書・編著多数。
【青山新吾先生 著書】
『エピソード語りで見えてくるインクルーシブ教育の視点』(学事出版)
『インクルーシブ教育を通常学級で実践するってどういうこと?』(岩瀬直樹との共著/学事出版)
イラスト/イラストAC