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被災地の学校関係者へ|桃﨑剛寿 熊本地震の経験から 【<能登半島地震>震災経験者からのメッセージ 子供の心を守るために #2】

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<能登半島地震>震災経験者からのメッセージ 子供の心を守るために
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2024年1月1日 16時10分ごろ、石川県の能登半島で震度7の地震が発生しました。まずは被災された皆様に心から御見舞を申し上げます。被災地の状況は時の経過とともに変わっていくと思いますが、学校が大事にしなければならないのは、子供と先生たちの心ではないでしょうか。それらを守るために被災地の学校が何をする必要があるのかを、過去の震災経験者の先生方から聴く3回シリーズの第2回目です。今回は熊本地震で教頭として避難所の運営を担った桃﨑剛寿さんに、お話を聴きました。

桃﨑剛寿校長

桃﨑剛寿(ももさき・たけとし)
1964年横浜市生まれ。熊本大学大学院修了後、熊本県内の中学校数学教師となる。県立教育センター道徳担当指導主事、熊本市教育委員会生徒指導担当指導主事等を経て、現職。教育サークル「道徳のチカラ」副長として活動し、編著に『中学校編 とっておきの道徳授業』シリーズ(日本標準)、著書に『スペシャリスト直伝!中学校道徳授業成功の極意』(明治図書出版)などがある。

本企画の記事一覧です(全3回予定)
 被災地の学校関係者へ|多賀一郎 阪神・淡路大震災の経験から
 被災地の学校関係者へ|桃﨑剛寿 熊本地震の経験から(本記事)

能登半島地震を受け、現在の気持ちを聞かせてください。

能登半島地震が発生してからというもの、他人事とは思えず、もっと被災地の報道を増やしてほしいと思いながら、テレビを見ていました。

熊本地震で亡くなった方は、2023年4月現在の数値で276人ですが、これは関連死を含めた数字で、地震後、時間が経った後に亡くなった方の数も含まれています。それに対し、能登半島地震は地震直後でも相当な数の方が亡くなられていますから、熊本地震よりも大きな被害に心を傷めています。

熊本地震が起きたのは、2016年4月14日(木)の21時26分と、16日(土)1時25分です。特に2回目の地震が大きく、県内のあちこちに大きな被害をもたらしました。地震の後、「阿蘇大橋が落ちた」、「熊本城が大変なことになっている」など、熊本のシンボルといえるものの被害状況を耳にするたびに悲しい思いをしたことを覚えています。

その当時、私は熊本市内の中学校の教頭をしていました。熊本市内でも場所によって被害状況は全く違い、校舎が潰れる寸前になる、体育館の屋根が落ちるなどの被害を受けた学校もありましたが、勤務校では体育館の壁の一部が崩れる程度で済み、1回目の地震の直後から避難所となりました。校区は割と復旧が早かった地域でしたので、教頭として避難所の運営に関わったのは3週間程度でしたが、その後の話も含めて、私が経験したことをお話ししたいと思います。

地震直後の子供たちの様子を教えてください。

1回目の地震は木曜日の夜に起きましたので、金曜日は休校にして、教職員はめちゃくちゃになった校舎内などを片付けました。そして、「月曜日には授業を開始できるのではないか」と話していたら、深夜にまさかの本震がやってきました。そのまま学校は臨時休業となりました。

1回目の地震の直後は勤務校の避難所にそれほど多くの方が来られませんでしたが、2回目の地震の後、約800名の方が来られました。勤務校の生徒数は約600名ですので、それよりも多くの方が来られたのです。主に高齢者と、学校の周りにはマンションが多いため、近隣のマンションの住民の方も多くおられました。マンションの上の階は地震のたびにとても揺れますし、停電し、断水し、ガスも止まってしまったようです。

こういう場合、普通は体育館を使ってもらうと思うのですが、勤務校では体育館の横の壁が崩れ、握りこぶし大のコンクリートの塊が落ちてきました。また揺れたときに塊が落ちてきたら危険だということで、体育館には避難者を入れずに、校舎の中に入ってもらいました。建物の中に入るのが怖い、という方たちにはコンクリートの上に体育館から持ち出したマットや畳を置いて、その上にいてもらいました。九州地方の4月ですから、厚着をしてもらえば外でも大丈夫でした。このほかに、運動場で車中泊をする方もいました。

地震の直後に、避難所に集まってきた生徒たちはみんな黙っていました。取り乱しているような生徒はいなくて、むしろ感情を外に出さないのです。ただ、顔は緊張していました。中学生には、また大きな地震が来たらどうしよう、元の生活に戻れるだろうか、学校生活はどうなるんだろうかなど、色々な不安があったと思うのですが、それを言ってはいけないのではないかと遠慮するような雰囲気がありました。

臨時休業が続く中でも、今ならば1人1台端末を使えば、生徒の顔を画面越しにでも見ることができますが、熊本地震のときにはまだ端末はありませんでした。当時は家庭との連絡手段として電話連絡網が使われていたのですが、4月でしたのでまだ作っていなかったのです。そこで前年度のデータなどを頼りに、生徒の様子を把握するために教員が家庭訪問をしました。もちろん、家の中に入ることはしません。生徒の顔を見て、様子を聞きます。何か不安なことがあれば聞き取るようにしました。生徒は何かあっても自分から言ってこないため、教員のほうから早めに顔を見に行くのは大事なことです。

ある教員が家庭訪問をしていたときに、マンションの階段の踊り場に置かれた椅子に気づきました。それは断水し、エレベーターが止まったマンションで、給水車から水をもらうときなど、1日に何度も階段を上り下りしなければならない上階の人たちを思いやって、各階の住民たちが置いたものでした。このときの住民の助け合いの広がりが綴られたエピソードが教育出版の中学1年生の道徳科教科書の「マンションの椅子」という教材になっています。

校区は熊本市内でも割と電気や水道の復旧が早いほうでしたので、5月の連休明けには避難所を閉鎖し、学校を再開しました。地震の直後には、生徒たちは気持ちをなかなか口に出せないようでしたが、少しずつリラックスしていき、1か月ぐらいたつと怖い思いをしたことを話題にするようになり、先生たちにも少しずつ話をしてくれるようになりました。

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