中学生に語ったラベルの話。~人権や差別に敏感でありたい~ 【連載|女性管理職を楽しもう #6】
- 連載
- 管理職を楽しもう
学校の女性管理職の数はまだまだ少ないですが、女性管理職だって「理想の学校」をつくることができます。前例踏襲や同調圧力が大嫌いな個性派パイセン、元小樽市立朝里中学校校長の森万喜子先生が、女性管理職ライフを楽しむコツを伝授します。
第6回は、<中学生に語ったラベルの話。~人権や差別に敏感でありたい~>です。
執筆/元小樽市立朝里中学校校長・森 万喜子
目次
2024年、いつもと違うお正月に……
みなさんこんにちは。
新しい年、2024年、令和6年になりました。
いつもの年でしたら、お正月はのんびり過ごしながら今年1年の抱負や計画に思いをはせるところですが、ご存じのように元日の午後に北陸地方を襲った大地震、そして翌日の東京での航空機事故など痛ましい出来事が続き、遠く離れた地から映像を見るだけで切なく、悲しくなってお正月気分が吹き飛びました。同じような思いを抱いている人たちもいることでしょう。災害、事故、戦争、紛争、残念な事実に直面しながら、私たちは「生きること、生きていくこと」を深く思い、考え続けながら未来を担う人たちのために最善を尽くすことが使命だと感じます。
毅然と反対意見を言える人、RBG
長く生きていると、自分の考え方に影響を及ぼす人があったことに気が付きます。家族や友人、先輩や同僚など身近な人、直接会ったことはないけれど本やニュースでその思想や生き方に触れた人、小説や映画などのフィクションの登場人物、様々です。ふと湧き上がるその人の言葉やしぐさ、それらが自分に与えた影響について、思い当たる人は誰にでもいるのではないでしょうか。
私がこの何年かで、強く心惹かれ、関連する本を読み、映画を観たのはルース・ベイダー・ギンズバーグ、アメリカ最高裁判所の判事を務めた女性です。2020年に87歳でこの世を去るまで女性やマイノリティの権利向上に努めてきました。彼女は「最強の女性判事」と呼ばれ、また名前の頭文字をとってRBGと呼ばれ、多くの国民から絶大な人気を誇り、その姿はカルチャーアイコンとなりました。私も彼女のステッカーを購入し、手帳やスーツケースに貼り付けています。そう、彼女は私の「推し」なのです。彼女の真骨頂は、多くの人が是と信じる保守的な意見の矛盾をつき、理路整然と反対するところ。I dissent.(私は反対です)という言葉は彼女の決め台詞として紹介されることがあります。RBGは、性別による差別には毅然として、静かに、戦い、法律を変え、国を変えてきました。
今の日本で女性管理職として働いていて、性別によって差別されたり、差別とは言わないまでも、軽んじられたり不愉快な思いをしたことが一度もないという人、それは幸運でとても素晴らしいことです。できれば、不愉快な思いをする女性が一人もいないような、そんな国になってほしいけど、自分自身について考えてみても、「これって女性だからこういう扱いをされるのかな?」と違和感を感じたことはあります。
メディアでも、女性がしかるべき地位についたら、「女性ならではの視点で」とか「女性ならではのしなやかな感性で」などというフレーズが使われることがあります。政治でも行政でも企業でも、リーダーに登用されたときに聞く言葉。きっと言っている人は悪意があるわけではなく、深く考えるわけでもなく言っているのでしょう。
でも、私は、女性ならでは、って何だ? しなやかってどういうこと? じゃあ「男性ならではの視点」とか「男性ならではの感性」もあるの? いったいそれって何? とちょっぴりイライラするのです。
小さな差別は悪意のないところから生まれると言われます。学校は社会の縮図、だったら学校ってところは、色々な人がいていい、フラットに意見を言える、自分たちでしくみを変えられる。そういう体験ができる場であってほしい。私たちはそこのところに注意を払い、大人のマインドセットを変えなくてはならないな、と考えます。
ラベルを貼らない、だけど大事なラベルもある
先日、とある学校でキャリア講話をしました。キャリア講話といっても自分の仕事について話すことはせず、「キャリア教育ってよく言われるけど、これは単に仕事を選んで仕事に就いて働くってことではない。自分で幸せをつかむこと。一人じゃできないから誰かに力を借りたり、誰かを助けたり、そして自分のことや世の中のしくみを知り、新しいことを学びながら、自分の人生は自分で決めることができるんだよ」と話しました。多くの中学生は子どもの頃「ぼくやわたし」と自分主語で話していたのに、中学生くらいになると、「自分は」が「みんなは」「普通は」を主語にして語ることが多くなる。自分がないわけじゃないけれど、自信がないから主語をぼかしたり消したりして忖度しながらしゃべるようになっていると感じることがあります。
そんな中学生に言いました。
「あのね、人はすぐに誰かにラベルを貼りたくなる。たとえば『陰キャって言われて嫌なんだよね』と打ち明けてくれた中学生が私のところに来たの。みなさんもありますか? 一度決められちゃったキャラがなかなか変えられないと悩んでいる人いる? 人はラベルを貼って安心する傾向があるの。たとえば台所で白い粉末が入った容器に『砂糖』ってラベルが貼ってあれば砂糖だと信じて疑わず、確かめずに料理に入れる。もしかしたら、ラベルと中身が合っていないことだってあるのに。食塩はNaClと表せる、でも人間はそう簡単ではない。一枚のラベルで全部表せるなんてことがない。ラベルで見えなくなるものが多すぎるので、貼らないほうがいい。
だけどね、すべての人に貼っておいて欲しいラベルが2枚あります。宅急便などで見かけることがあるかもしれない。何だろう。お友達と相談していいよ」
一番前にいた女の子が小さく手を挙げました。そして小さな声で「われもの注意」と答えました。
「そう、その通り。壊れもの、われもの。人はちょっとした言葉や仕打ちで心が傷つき壊れる。誰でも等しく、壊れものなんだよね。
そして、もう一枚のラベルは、美術館の美術品輸送のときに貼られています。『貴重品』です。これは世の中に一つしかない貴重なもの。大事に運ぶんだよ、という意味です。あなたにも私にも、替わりはいないの。だから私もあなたも、われもので貴重品。英語では FRAGILE VALUABLESと表記されています」
そんな話をしました。
私はこれまで、たくさんの子どもたちや大人たちと関わっていて、その人たちも自分もすべて「壊れやすくて替えがきかない存在」だと考えていただろうか。
正月早々の災害で、水や電気などのライフラインが絶たれて、十分な食料が手に入らず困っている人たちのインタビューに心が痛みます。だけど、災害もなにも起きていない町で、電気や水道が止められてしまったり、十分な食料がなかったりする子どもや大人だっているはずなんです。報道されないから見えないから、ないことにしていないかしら、とか。
色々なことを考えながら、新しい年が始まりました。
みなさん、どうか、壊れやすくて替えがきかない自分や他者を意識して、子どもたちの幸せのために、よい一年をともに。
「自分にとって大切なことのために闘ってください。ただし、他の人が仲間に加わりたいと思うようなやりかたで。」
(ルース・ベイダー・ギンズバーグ)
<プロフィール>
森万喜子(もり・まきこ) 北海道生まれ。北海道教育大学特別教科教員養成課程卒業後、千葉県千葉市、北海道小樽市で美術教員として中学校で勤務。教頭職を7年勤めた後、2校で校長を勤め、2023年3月に定年退職。前例踏襲や同調圧力が大嫌いで、校長時代は「こっちのやり方のほうがいいんじゃない?」と思いついたら、後先かまわず突き進み、学校改革を進めた。「ブルドーザーまきこ」との異名を持つ。校長就任後、兵庫教育大学教職大学院教育政策リーダーコース修了。現在は、北海道の公立学校初任者指導講師として活動するかたわら、青森県が7月に設置した同県教育改革有識者会議の副議長としても活躍中。