校長先生の特別活動【玄海東小のキセキ 第13幕】
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- 玄海東小のキセキ
5月の集会活動でけんかが起きたためにクラスで遊ぶことを避けていた4年生が、7月にお誕生日会を行いました。お誕生日会の経験がないため、その段取りは担任に任せっきりでしたが、2学期終わりの12月に行われたお誕生日会では、4年生は担任の手を借りることなく、自分たちの力でやり遂げます。4年生の成長を実感した脇田校長は、これから卒業式に向かおうとする6年生に思いを馳せます。
目次
校長の想像を絶したお誕生日会
6月末の放課後、校長室で業務連絡を終えた北崎正則に向かって校長の脇田哲郎が声をかけた。
「そろそろ集会活動を再開してみんですか」
北崎も同じことを考えていた。この5月に4年生の担任になったとき、集会活動として手始めにドッジボールを行った。楽しいはずの遊びが、ボールがかすった、かすらないで言い争いになり、子供たちは後味の悪い思いをした。もうドッジボールをするのはこりごりだという空気がクラスを覆っていた。
とはいえ、週に2日行われる縦割り活動を積み重ねてきて、子供たちは仲良く遊ぶことができている。縦割り活動では、けんかは一度も起きていない。4年生の子供たちがクラス遊びをしたいと思っている可能性はある。
本来ならば、学級会を準備し、進行を行うのは計画委員会の計画委員だが、子供たちは学級会のやり方をすっかり忘れていた。休み時間に北崎は、お楽しみ係に久しぶりに集会活動をしてみないかと誘った。お楽しみ係は男子ふたり、女子3人が当たっていた。
「またドッジボールすると?」
お楽しみ係の女子たちが北崎に尋ねた。
「いや、お誕生日会はどうね」
北崎がそう答えると、女子たちはほっとした顔になった。
お誕生日会は小学校低学年でよく行われる集会活動である。4年生が行うには少し幼稚な集会活動かもしれない。しかし、勝ち負けのあるゲームをすれば、子供たちはむきになる。お誕生日会であれば、子供たちの創意工夫しだいだ。北崎は1学期の終わりに4月から8月に生まれた子をまとめてお祝いするのはどうかと勧めた。
7月初め、朝の会でお楽しみ係がクラスの子供たちに呼びかけると、「お誕生日会やりたい!」とみんなが前向きになった。だが、学級会やお誕生日会の段取りがわからない。
北崎は自らが司会となって学級会を進行した。学級会は提案理由に基づいて開かれることや、その提案を実現するために話し合うのが学級会であると教え、今回はみんなが楽しく喜び合えるクラスにしたいという理由からお誕生日会を開くのだと説明した。板書係や記録係には、学級会で決められたことを書き留めるように指示した。
「お誕生日会では出し物をすると」
北崎がそう言うと、子供が「出し物って何?」と質問したので、歌、踊りや遊びのことだと北崎は答えた。
「せんべい食い遊びなんか、どうね」
北崎の提案にすぐさま男子が「せんべい食いたい」と叫んだので、子供たちから「ギャハハハ」と笑い声が上がった。おでこの上にせんべいを乗せ、手を使わずにそれを動かして食べる遊びだと北崎は説明した。
「出し物は全部で3つ。あとふたつの出し物とお誕生日会に必要な係を決めるけん、話し合ってください」
北崎が子供たちに話し合いを促すと、クラスの人気者のようこうが「漫才するわ」と手を挙げ、続いて女の子が「お祝いに歌を歌いたい」と案を出した。ほかに意見が出なかったので、そのふたつが出し物に加わった。女の子は何人かで、男性4人組のボーカルグループGReeeeN(グリーン)の『キセキ』を歌いたいと言った。
次は、お誕生日会に必要な係を考えた。そこでは、司会係、飾りつけ係、遊び道具を作る係、おめでとうカードを作る係が決められた。プログラムは、始めの言葉、漫才、せんべい食い遊び、歌、お誕生日おめでとうカード渡し、終わりの言葉である。
お誕生日会が開かれたのは、7月17日の3時間目。場所は音楽室。校長の脇田が参観するとわかったので、急遽、結成された校長お迎え係が脇田を呼びにいく。
脇田が音楽室に入って黒板を見ると、A1の画用紙に書かれたプログラムが貼られていた。飾りつけはプログラムの上部中央から輪つなぎが左右1本ずつ垂れ下がる程度のものだった。この会を盛りあげるために、こうしようとか、この会をみんなで楽しむために、ああしようという創意工夫の気持ちがまだ生まれていないのかなと脇田は思った。
出し物では、クラス全員が参加するせんべいを食べる遊びが一番盛り上がった。せんべいがおでこからすぐに落ちてしまう子や、せんべいが汗でおでこにくっついて動かない子を見ては、子供たちは体をくねらせて笑った。脇田も飛び入りで参加して、せんべい食い遊びを一緒に楽しんだ。
「ようやくここまで来たか」
お誕生日会をクラス全員で楽しみたいという意欲がようやく生まれたかと脇田は目頭が熱くなった。
そこには無邪気に楽しむ子供たちがいた。言い争いや取っ組み合いは起きなかった。司会役が緊張して言い間違うと、「下手くそ!」と野次が飛んだくらいである。4年生の子供たちがお誕生日会を心の底から楽しんだとすれば、この楽しさをもう1度といわず、何度でも味わいたいと思うに違いないと脇田は期待した。
4、5年生の子供たちの心の内を窺(うかが)い知ることができる出来事が2学期の10月にあった。放課後に脇田が職員室に顔を出したときである。5年生担任の女性と北崎が談笑しているところに出くわした。その日に起きたクラスの出来事を話そうとしていた彼女が「校長先生も聞いてくださいよ」と誘ったので、脇田も話の輪のなかに入った。
そうすると、彼女は学級通信に「玄海東小」と書くところを「限界東小」と書いてしまったと話した。
「先生、限界東小になっとうよ」
そう子供に指摘された彼女が「よく誤字を見つけたね。ありがとう」とその子を褒めると、周りにいた子供たちがこう言い放ったというのだ。
「どうせ、ぼくたちは限界あるもんね」
「勉強できんしね」
彼女が「へえ、そんなことを思っているんだ」と子供たちの言葉を受け取ったと話すと、北崎は「4年生にも自分たちはだめな子という気持ちがあると」と応じた。4年生は担任が交代したことに負い目を感じているような気がすると、北崎は彼女に解説した。
5年生担任が意外に思ったのも無理はなかった。高学年の子供たちは落ち着きを取り戻し、子供を注意する担任の怒声が飛び交うこともなくなっていたからである。しかし、少なくとも4、5年生の子供たちには、教員たちから叱られ、負の烙印を押された心の傷が残っているのだろう。
2学期の終わりの12月初め、4年生が動いた。議題箱にお誕生日会の開催を希望する投書が入れられたのである。脇田は夏休み期間中に図画工作室で学級会用の議題箱を手作りし、すべてのクラスにそれを置いていた。
その投書を受けた計画委員が北崎に、「またお誕生日会をやりたい」と言ってきた。北崎は「やり方は教えたけん、もうできるやろ」と任せると、子供たちは「できる~」と即答した。
子供たちの言葉に嘘はなかった。北崎のゴーサインが出ると、計画委員は学級会を開いて出し物を話し合った。
出し物は、前回好評の、手を使わずにせんべいを食べる遊びのほか、辛子入りの小さなシュークリームを食べた子を当てる遊び、叩いてかぶってジャンケンポン、クイズ、ダンスが提案された。叩いてかぶってジャンケンポンは、ジャンケンに勝った者が、相手が防御する前に相手の頭を叩くと勝ちとなる遊びである。
司会役が「全部やる時間がないのではないか」と発言した。確かに食べる遊びは全員がやると時間がかかってしまう。そうすると、「時間を短くして、全部やろ」という意見が出て、すべての出し物を行うことで決着がついた。
係決めでは、出し物が変わるごとに司会役を交代して、みんなに出番が回るようにしたことが出色だった。
お誕生日会は12月18日の3時間目に行われた。校長を迎えにいく係の子供たちは、脇田を教室へと急かした。
脇田が音楽室に入ると、輪つなぎが黒板の横の長さいっぱいに飾られているのが目に入った。黒板は絵で彩られていた。飾りつけ係の創意工夫が表現されていた。
司会役がお誕生日会の開会を宣言した。そして、最初の演目を言い淀むことなく説明した。
ふと見ると、黒板の脇にいる女の子が教室の時計をじっと見ているではないか。脇田が「どうしたの?」と尋ねると、その女の子は「時間を測っとうと」と答えた。「時間が足りん」と隣にいた男の子が会話に入った。司会役の持ち時間は30秒とのことだった。子供たちは時間の管理に配慮するようになっていた。
ダンスでは、テレビアニメ『ONE PIECE』の主題歌『ウィーアー!』の曲に合わせて踊った。女の子3人で踊るはずだったのが、男女10人のダンスに変わっていた。リズムと踊りが合っている。
「相当気が合っているな」
子供たちだけで学級会を動かし、お誕生日会を遂行していることが脇田にはうれしかった。お誕生日の子に贈呈されるプレゼントは、お誕生日おめでとうカードからお祝いメッセージが書かれた色紙へとレベルが上がっていた。4年生の子供たちの成長は脇田の想像を遥かに超えていた。
映画や芝居よりよか卒業式
12月の4年生のお誕生日会で子供たちの歌を聞きながら、ふと『一つのこと』という歌の歌詞が脇田の心に浮かんだ。斎藤喜博作詞、遠矢良英作曲の合唱曲である。
斎藤喜博(1911~1981年)は群馬師範学校出身の教育者で、群馬県佐波郡島村(さわぐん・しまむら)村立島小学校の校長時代に行った「島小教育」で教育界にその名を轟(とどろ)かせた人物である。
その歌には、「いま越える ひとつの山」という歌詞が登場する。4年生は限られた仲間だけで楽しむことを超えて、クラスのみんなで楽しむことを覚えたのだと脇田は感慨深くなった。
すると、その感慨は思案に変わった。6年生に最もふさわしい卒業式はどんな卒業式だろうと考えたのだ。そろそろ卒業式に向けた練習にとりかかる時期に来ていた。
脇田は、前年の2008年に主幹指導主事として玄海東小学校に学校訪問をした日を思いだした。クラスを参観すれば、3年生は教科書を開いていないし、6年生は机の上に教科書を置いてもいなかった。現在、6年生となった5年生も似たり寄ったりである。授業中だというのに私語が絶えず、勝手に立ち歩く子供がいた。
それ以後、同校に28回も指導に行くのだが、ますますひどくなる子供たちの騒がしさに校長や教員たちはお手上げ状態になった。地域住民から「この学校は大丈夫か」という電話が市教委にまでかかるほどに子供たちは荒れた。
それが、どうだ。6年生の姿が脇田の脳裏に浮かんだ。縦割り班のドッジボールでは、ボールを投げると1年生が怖がるので、6年生はボールをころがした。
旗作りでは、1年生の子の手をとって一緒に色を塗ってあげる6年生がいた。
運動会の縦割り班対抗種目の大縄跳びの練習では、6年生が1年生に合わせて「いーち、にーい」とゆっくり跳び、気遣いを見せていた。
運動会では、6年生は縦割り班の旗を誇らしげに掲げて縦割り班を引率した。
6年生はリーダーとして振る舞わなければならないときにその役割を果たし、下級生の面倒をみることができる子供たちに育っていた。
「何がだめな子か。立派に成長した子供たちじゃなかか」
脇田はそう思わずにはいられなかった。縦割り班活動では、時と場所をわきまえた行動がとれる子供たちに変貌したのだ。変貌したのは6年生だけではない。5年生以下の子供たちもあとに続けとばかりに変わっていくはずである。
玄海東小学校の子供たちが変わったことを形で示そう。校長が演出家となって卒業式を演出するのだ。しかし、どんな形にすればよいのか、アイデアは思いつかない。
1月から5年生の卒業式の練習が始まった。音楽の時間に体育館で卒業生の入退場曲の演奏を練習するのである。脇田が体育館に出かけると、体育館のフロアでは、木琴、鉄琴、アコーディオン、鍵盤ハーモニカ、大太鼓、小太鼓の演奏者たちが担任を中心にして椅子を輪のように並べて座っていた。
楽器の音が鳴りはじめた。うつむき加減にその音を聞きながら、体育館の縁(へり)を歩いていた脇田は顔を上げた。
「そうだ、フロアを舞台にしよう」
卒業生、5年生、教職員、卒業証書を授与する校長、保護者、そして来賓の全員が向き合って座る格好にするのだ。
そう思いついた日の翌日、脇田は職員会議でステージを使わない卒業式を行うと宣言した。教員たちはおおむね賛成した。
「どんなふうにするとですか」
教務主任の北崎の質問に脇田は、次のように答えた。体育館のフロアを囲むように参列者が並び、そのなかを見守られながら卒業生が歩んでいき、参列者に卒業生の成長した姿を見てもらうのだと説明した。
2月終わりには、脇田は全校朝会で6年生たちに語りかけた。
「卒業式では、堂々とした自分の姿を見せましょう。誰に見せるかというと、お世話になった人たち、後輩の5年生であり、親御さんであり、来賓の方々です。堂々と見せるには、姿勢、歌声、挨拶の仕方などを本気で行うしかありません。ですから、一挙手一投足に気を配り、立ち振る舞いをしっかり練習してください」
卒業式は学習指導要領に示された儀式的行事に当たる。それを踏まえて脇田は6年生たちに卒業式の心構えを伝えた。
2010年3月16日、卒業式の朝を迎えた。空は曇り、風は冷たい。しかし、春は訪れていて、桜の蕾(つぼみ)がふくらんでいる。
モーニングコートを着た脇田が、誰もいない体育館に足を踏み入れると、黄色の鮮やかな菜の花が飾られた花道が目に入った。どんな飾りつけにするかと会場係の教員から聞かれて、脇田は「菜の花畑のような感じはどうですか」と答えたことを思いだした。
通勤途中の車窓から学校の南部を流れる釣川の土手に一斉に咲く菜の花の群生を見たから、何気なくそう答えただけなのだが、前日や当日朝に担任や学校管理員が総出で菜の花を摘みにいってくれたと聞いた。
体育館のフロアには、ステージ下にステージを背にして卒業生が座る。卒業生席から見て、体育館の左側の壁に沿って5年生の席と教職員席、卒業生席の正面の壁に沿って保護者席、体育館の右側の壁に沿って来賓席が並び、卒業証書が授与される式台は教職員席と保護者席の間に配置されていた。
ロの字型の座席に囲まれた中央には、両脇に菜の花が飾られた花道が卒業生席から保護者席に伸び、やや折れて卒業証書が授与される式台へと向かっていた。
午前10時になり、式典が始まった。5年生が演奏する入場曲が流れるなか、42名の卒業生たちが体育館の入り口から入場する。保護者席の間を通り、菜の花が咲く花道を進み、ステージ下に設けられた卒業生席に着席した。卒業生たちは保護者と向き合って座る格好になる。男子はワイシャツにネクタイを締め、紺のVネックのニットを着るスタイル、女子は紺のブレザーにスカートのスタイルが多く見られた。
5年生、教職員、保護者、来賓の総勢はおよそ180名。参列者全員が起立して君が代を斉唱する。5、6年生の声がしっかり出ていると脇田は思った。
司会が「卒業証書授与」の声を上げた。脇田が式台の上に立つ。卒業生たちの視線は脇田に注がれた。
慣れないスーツを着た北崎が卒業生の氏名を読み上げる。卒業生は起立する。5年生、教職員、脇田、保護者、来賓の全員の視線が注がれた。起立した卒業生は、背筋を伸ばし、手の指先をそろえ、腕を前後に大きく振って花道から式台までを歩く。
式台の前で一礼すると、脇田も頭を下げる。壇上で深々と頭を下げて両手で卒業証書を頂き、式台を降りてまた一礼する。その後、卒業生は保護者席の前に歩んで一礼し、来賓席に進んで一礼して、卒業生は自分たちの席に戻っていく。
ある女の子の卒業生が保護者席の前で一礼すると、おそらくその子の祖母だろうか。「ちゃんとできとうよ」と褒める女性の声が式台にいる脇田まで聞こえた。
「校長式辞」の発声がかかった。脇田は式台に立った。
「昨年4月の始業式の日に、私はみなさんに玄海東小学校の下級生から憧(あこが)れの眼差しで見つめられるスターになってほしいと伝えました。
みなさんは縦割り班のリーダーとして縦割り班の旗づくり、運動会の縦割り班対抗種目、縦割り班での掃除や給食に下級生をよくまとめてくれました。先日も6年生を送る会のお礼として、みなさんは1年生に手紙を書いてくれました。みなさんからもらった手紙を大切に飾っている1年生がいると聞いています。
本日、玄海東小学校を巣立っていくみなさんは、下級生が憧れる立派な玄海東小学校のスターになったと思います」
これはオーバーではなく、脇田の本音だった。
「別れの言葉」と司会が告げた。「別れの言葉」は、卒業生全員が小学校6年間の思い出をひと言ずつ語ったあと、お別れの歌を歌い、お別れの歌の間奏で卒業生全員がひとりひとり感謝の言葉を述べるという構成になっている。
ある男の子の卒業生は立ちあがると、次のような修学旅行の思い出を語った。行く先は長崎、1泊2日の旅である。
「長崎名物の『ちりんちりんアイス』を食べ過ぎてお腹を壊したのが思い出です。みんなに迷惑をかけてすみません」
静かな会場から小さな笑いが起きた。「ちりんちりんアイス」の値段は当時、100円。長崎の観光名所などで、屋台で流し売りされている名物である。引率していた北崎が、その子が集合場所に遅れてきたので心配すると、下痢をしたと言う。その子は、うまい、うまいと「ちりんちりんアイス」を10個も食べたのだった。
ピアノの演奏が始まった。『旅立ちの日に』(小嶋登作詞、坂本浩美作曲)のイントロだ。お別れの歌として卒業生が選んだこの歌は、公立中学校の校長と音楽教諭のコンビにより作られた歌で、卒業式でよく歌われている合唱曲である。卒業生たちが歌の1番を大きな声で歌い終わると、長い間奏に入った。
卒業生たちは次々に感謝の言葉を述べていく。ある男の子は、親への感謝をこう語った。
「たくさんの思い出を胸に中学校に進学します。お父さん、お母さん、忙しいのに勉強を教えてくれてありがとう。お父さんとお母さんはぼくの一生の宝物です。ふたりの子供に生まれてきて本当に幸せです」
保護者席からすすり泣く声が聞こえた。
「来賓の方々には、6年間お世話になりました。ありがとうございました。地域の人に挨拶ができるようになりました」
その子は来賓にもお礼の言葉を加えた。
感謝の言葉の最後を飾る子が立ちあがり、「いままでぼくたちのことを支えてくださったみなさま、ありがとうございました」と叫ぶと、卒業生全員が一斉に起立し、「ありがとうございました」と感謝を復唱した。卒業生たちは自分の言葉で感謝を語ったあと、『旅立ちの日に』の2番最後の歌詞「この広い大空に 夢を託して」を歌いあげて「別れの言葉」の時間を終えた。
来賓祝辞では、PTA会長が昨夜、したためたであろう祝辞を読みあげる前に、こうひと言を述べた。
「落ち着きがない子供たちだと聞いておりました。しかし、本日の卒業式を見る限り、立派な子供たちに育ったと思います。素晴らしい卒業式に感動しました」
最後は、卒業生と5年生の校歌で締めくくられた。人影のない校舎にまで、その歌声は響いた。
昼ごろ、教室で担任との別れを終えた卒業生たちがそろそろ帰る時間になった。朝には曇っていた空が晴れ渡り、温かい日差しが学校の玄関前に集まった見送りの子供たちに降り注いだ。5年生が手にしている花アーチの花が、造花なのに輝いて見えた。
花アーチのトンネルのなかを歩く卒業生たちは、同じ縦割り班を組んでいた5年生と話が弾んで、なかなか歩みが進まない。
そのトンネルを抜けた卒業生たちは脇田を囲んだ。「すげー、緊張した」と感想を漏らした。脇田は卒業生たちの肩を叩きながら「よく頑張った」と褒めた。6年生は「ひとつの山」を見事に越えたのだ。おしゃべりと笑い声が止まなかった。
*
卒業式の1週間後に終業式を終えた。脇田はどっと疲れが出るかと思ったが、清々しい気分で満たされていた。
その夜には、教職員を慰労する宴会が行われることになっていた。会場は鐘崎(かねざき)漁港近くの「国民宿舎ひびき」。最上階の5階には展望レストランがあり、お祝いごとがあると使われるような地元の人に親しまれている施設である。
1階のフロントに挨拶すると、奥から社長が現れ、脇田を呼び止めた。社長は脇田にこんな話をして聞かせた。
「こないだ、区長さんたちが来んしゃったと。いやー、よかもん見たばいと言うから、何を見たと聞いたら、卒業式だと」
「ほう、卒業式」
「そう。下手な映画や芝居を見るより、玄東(げんとう)の卒業式が遥かによかった。余韻覚めやらず、飲みに来たと言いんしゃったと」
玄東とは、玄海東小学校の呼び名である。集落ごとに何人か区長がおり、地域のとりまとめ役になっている。脇田はその年配の区長たちを来賓に呼んでいた。地域とかかわるには区長と懇意にしておかなければいけない。
卒業生たちが大人へと向かっていく姿を見て、区長たちは眩(まぶ)しく感じたのではないかと脇田は受け取った。
伝え聞いた地元の人の褒め言葉が、脇田には心地よかった。今宵は自分もその余韻に浸って飲もうと決めた。
ライター/高瀬康志 イラスト/菅原清貴 ※文中の敬称は省略させていただきました。
本幕をもって、連載を終了させていただきます。
ご愛読ありがとうございました。