「日本生活科・総合的学習教育学会」全国大会神奈川県大会レポート【教師の悩みにピンポイント・アドバイス 田村学教授の「快答乱麻!」特別版 後編】


前回は連載特別版として、「日本生活科・総合的学習教育学会」の全国大会神奈川県大会についてコンパクトに紹介をしていきました。今回はそれを踏まえ、同学会の会長である田村学教授による解説を紹介していきたいと思います。
授業を生で見て、そういう場に居合わせるという感覚が大事
「日本生活科・総合的学習教育学会」の会長である田村学教授は、今回の学会について次のようにふり返ります。
「全体的に活力とエネルギーに溢れる2日間でした。それはコロナ禍があったため、対面開催に対するニーズがあったのだと思います。とはいえ、授業中の子供の姿や発表内容が期待されるものでなければ、盛り上がらないでしょう。その意味では、授業実践も全体的に非常に良かったと思いますし、それぞれの自由研究、課題研究のテーマも今日的なもの、関心の高いものがそろっていたと思います。さらに、2日目のシンポジウムにおける地元相模原市の実践やそれを踏まえたシンポジストのセッションも、それに資するものになっていたのではないかと思います。
1日目から言えば、授業は全体的に子供たちの思いや願いを実現しようとする姿が見られたと思います。まず幼稚園や保育所では、子供たちが伸び伸びと自分たちのやりたいことをやり、とりわけそれが知的な活動になっている姿が見られましたし、施設の広さなどの環境に合わせた取組が工夫されていました。そのため、子供たちが多様な活動に没頭する姿が見られたのだと思います。
小学校は谷口台小学校が授業を公開しました。他の先生方から聞いた話も総合すると、経験年数や指導力の多様な先生方が自身の良さを存分に発揮しており、子供たちもそれぞれの課題を真剣に追究できていたようです。
特筆すべきは大野南中学校で、全ての学級で授業公開を行っていました。中学校では教科を絞った授業公開は行われますが、総合的な学習の時間で全学級公開というのは、校内の先生方の一体感や前向きな姿勢がなければできないことです。しかも授業での生徒の発言も非常に活発だったと聞いています。全国の中学校の先生方には、ぜひこの大野南中の取組を参考にしてもらいたいと思います。
高校は今、「探究」がとてもホットなテーマですから、相模女子大学高等部に全国から多数の先生が集まっていました。授業における生徒の姿を通して議論をする姿もとても熱いものでした。
今大会のように、幼保小中高がそろって、あれだけたくさん公開することは稀だと思いますので、その点だけにおいてもすばらしいものだったと思います。オンライン参加者も多かったのですが、予想よりも圧倒的に対面での参加者が多かったのは、多くの人たちが授業を生で見て、子供の姿を通して語り合いたいという思いが強かったからではないでしょうか。参加者が多すぎて見づらい教室もありましたが、おそらくそういう場に居合わせるという感覚も大事なのだろうと思います。いくら見えて聞こえても、離れた場所でポツンと寂しくオンラインで参加していたのでは得られない感覚がある、と思っている先生が多かったからでしょう。
やはり、子供たちが真剣に本気で学びに向かう姿は教師にとって魅力的ですし、それを議論しようとする教師集団のコミュニティに身を置きたいという気持ちがあるのだと思います。そういう、とても好ましい場をもつことができたということだと思います。
コロナ後、ここまで大規模な授業をライブで見られる研究会が行われたのは、これが最初だったのではないでしょうか。
1日目の午後前半は研究発表が行われましたが、自由研究は発表数が120以上という圧倒的な数でした。自由研究ですから、テーマも質も多種多様でしたが、世代を問わず多数の研究者や実践者が発表しており、自らの研究や実践をまとめて外に向けて発信することで、自身の次の取組につなげていこうとする活力を感じました。若い方の発表も多かったですし、各グループのコメンテーターも意識的に若い人を配置するようにしていたのですが、そういう意味では世代を問わず、多様な人が思いを発信できる場になっていたのではないかと思います。

午後後半の課題別研究発表は、学会本部がテーマを決めて全体をコーディネートしています。令和の日本型学校教育、GIGAスクール、幼保小の架け橋、評価など、今日的な話題を取り上げており、参加者にとって関心の高いものになっていたのではないかと思います。コーディネーターや発表者以外にも文部科学省の職員もあちらこちらに参加していましたし、どの会場も多くの人が集まっていましたね。余談ですが、その後の懇親会もとても盛り上がっていました(笑)」
教師の指導性の是非を考え続けていくことが、教師に求められる探究の歩み
さらに2日目の内容について、ご自身がコーディネーターとして進行に携わったシンポジウムを中心に田村教授に話を伺いました。
「シンポジウムのストーリーを簡単にふり返ってみましょう。コロナを経験した私たちの社会には、求められる新たな価値があると考えています。例えば、持続可能性や倫理性、身体性などです。一方で情報端末の活用が一層重要になってくるので、生成系AIなども視野に入れながら、今後どのような学びが生活·総合に求められるのか、議論を深めていければよいと考えていました。
実際には、対話と非対話、効率と非効率といった視点から、これまで行ってきた活動や体験の重要性を確認しつつ、テクノロジーが入ることでその価値をより一層有効に機能させることも可能だということが、それぞれのシンポジストの立場から確認され話が進んでいきました。対話も非対話も、効率も非効率も二項対立ではなく、それぞれの良さを再認識しながら、子供の学びを確かにするためにどう位置付けていくかを考えることが求められていくわけです。
具体的にはどのような活動や体験を行うのか、それは、単純な方法論とかポイントといったもので定型化することはむずかしく、個々の教師や子供たちが置かれている状況や場面においてふさわしい指導や対応は異なるのだと思います。会場から多様な質問も出てきましたが、それに対する答えを一つに整理することはむずかしいでしょう。
そうすると、結局は教師が子供と共に探究することが大事で、そういう姿こそが目の前の1個1個の問題の解決につながるということが見えてきたのではないかと思います。そのときに最優先すべきは、目の前の子供の事実で、それを外しては考えられないということです。
子供の主体的な学びを担保するためには、教師の指導性が大事で、その指導性については、授業レベルやカリキュラムレベルのものなど多様に存在します。それら一つ一つが是か否かとなったときに、子供の姿で判断するということなのだと思います。子供が『自由』に学びに向かっているかどうかが問われるのだという意見もありました。
ここで気を付けたいのは、『自由』というのは、『やりたいことをやっていればいい』というようなものではなく、学びの充実や楽しさ、手応えが感じられることが子供の『自由』な学びに結び付いているのではないかということです。ですから、子供の姿をベースにしながら、教師の指導性の是非を考え続けていくのが、今教師に求められる探究の歩みではないかとシンポジウムを通して考えさせられました」
