そろそろ教師としての専門性を高めていきたいのですが…(前編)【教師の悩みにピンポイント・アドバイス 田村学教授の「快答乱麻!」#6】

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教師の悩みにピンポイント・アドバイス 田村学教授の「快答乱麻!」
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國學院大學人間開発学部教授

田村学
そろそろ教師としての専門性を高めていきたいのですが…(前編)【教師の悩みにピンポイント・アドバイス 田村学教授の「快答乱麻!」#6】

先生方のご相談について、國學院大學の田村学教授にお答えいただくこの企画。今回は、若手の先生が学校の仕事にも慣れてきて、専門をどうしようかと悩んでいるご相談に対して「快答」していただきます。

Q 新採用から3年を経て授業づくりにも学級づくりにも校務にも慣れてきました。そうすると、取り組むべきこと、取り組んでみたいことがたくさん出てきて、何に力を入れて専門分野にしていけばよいか悩んでいます。どのように考えたらよいでしょうか?(小学校・20代)

「教科指導の専門性」と「教育課程の専門性」をもつ

 ある程度経験を積んで1年間が見通せるようになり、授業もある程度形づくれるようになって学級経営もできるようになってきたとなると、教員としてのイロハが身に付いてきたということでしょう。そうすると、教師としての専門性を高めていきたいというような思いをもつことは当然のことですし、とてもよいことだと思います。

過去の中央教育審議会の答申や文部科学省の資料をごく簡単にかみ砕くと、教師に求められる資質・能力とは、情熱・教育的愛情と専門性と人間力ということができるでしょう(資料参照)。教師になる人は、当然、情熱や教育的愛情はもっているはずですし、人間力も豊かであろうと思います。そうすると、教師としての専門性が確かに育っていくかどうかが欠かせないことですし、それを意識しているというのはよい状態だと思います。

文部科学省資料、教師に求められる資質能力の再整理より抜粋
文部科学省「教師に求められる資質能力の再整理」より抜粋

その教師の専門性という点で私が考えるのは、過去における教師の専門性と、これからの専門性は変わっていくのではないかということです。過去においての専門性は、ごく端的に言えば「専門性を1つもつ」ということだったと思います。しかし、私はこれからの教師は「専門性を2つもつ」ことが必要だろうと考えています。2つというのは、「教科指導の専門性」と「教育課程の専門性」です。

これまで言われていた「専門性を1つもつ」というのは、国語や算数などの「教科指導の専門性」のことであったと思います。専門の教科をもつ中学校の先生はもちろんですが、全教科を教える小学校の先生でも、とりわけある教科が得意だとか、その教科の研究会に所属して仲間と共に研究を深めるといった「教科指導の専門性」をこれまでも高めてきたと思います。そうした専門性はもちろん、これからももっていたほうがよいわけです。

それに対して、これまで教育課程あるいはカリキュラムを語るとか、もっと言えばそれを編成するとか、創造的につくり上げていくということは、あまり意識されてこなかったと思います。それにはある意味、必然性がありました。日本の学校のカリキュラムは、学習指導要領というナショナルスタンダードを国が整理してつくってくれており、それに沿った教科書が非常に適切な形で準備され、すべての学校に確実に供給されていたため、オリジナルのカリキュラムをクリエイティブにつくっていく必要があまりなかったわけです。それよりもむしろ、学習指導要領に示された内容をいかに確かに指導するかとか、どんな授業として実現していくかということのほうに重点が置かれたため、教科指導に目が向くのも仕方のないところがあったわけです。

しかし近年の状況を考えると、カリキュラム・マネジメントの必要性は確実に高まってきています。象徴的なことで言えば、生活科が始まったときに、教科書はあるものの学校や地域に合わせた学習活動をクリエイトしていくことが必要になったわけです。また総合的な学習の時間においては、そもそも目標や内容を学校が定めるようになっていたわけです。さらに現行学習指導要領においては、総則第1の4に、各学校において「カリキュラム・マネジメントに努めるものとする」ことが明示されています。

ですから、教師の専門性を考えたとき、当然、単一の教科の指導の力はあったほうがよいわけですが、もっと教育課程全体を俯瞰して見る力が非常に大事になってくるわけです。また、そのようなカリキュラム・マネジメントの力をもっていると、自分自身の授業実践の質も向上するはずだと思います。

生活科や総合的な学習の時間を通して、カリキュラム全体に目を配ることの大切さに気付いた

そのような考えをもつに至ったのは、私自身の教師としての体験もありました。私はもともと大学時代の専攻は数学科で、算数・数学が専門です。その後、新潟県の小学校教諭になったわけですが、小学校では運動ができる若い男性教諭は体育主任を任される場合が多くあり、その時に運動会を企画・運営することによって学校組織を動かす経験をするなどして、大学の専門とは異なった体育を専門にするようになっていく先生もいるわけです。私も若手の頃に体育主任を任される機会があったのですが、私の場合は算数・数学を勉強したいとの思いが強く、新潟県内の算数の教科書を読む会など、算数関係の研究会に参加し、算数を学び続けていました。

算数には教科教育としてのおもしろみを感じていましたし、例えば筑波大学附属小学校のような研究校の実践に学んだこともありました。また多くの専門書も読み、45分の授業をどうつくるのかといったことも学んでいきました。その中で、算数の教材性や系統性も学びましたし、当然、算数という教科について教えてくれる先輩も、研究会の中にたくさんいたわけです。

大きな転換点となったのは、3校目で新潟県上越市立大手町小学校に異動したことです。大手町小学校は全国の生活科・総合的な学習の時間の研究開発学校の中でも、公立学校としては中心的な立場にあった学校です。生活科が誕生した時、そしてその後に総合的な学習の時間が生まれた時にも、重要な役割を果たした学校でした。その学校に赴任することで、教科研究としての算数だけでなく、学校として研究を進めている生活科や総合的な学習の時間、学年のカリキュラムなどに目を向けることができるようになりました。

その大手町小学校で3年間を過ごした後、上越教育大学附属小学校に異動になりました。附属小学校は大手町小学校の取組をさらに大きくしたような学校で、研究校としての独自カリキュラムをもっていました。当時はまだ総合的な学習の時間が生まれる前でしたから、総合単元活動とか総合教科活動といった学習を行っていたのです。そこでは、子供たちと一緒に地域の河川の探究学習をして環境について学ぶとか、牛や豚を飼育する活動を通して命の大切さを学ぶ、というようなことをしていました。

このようにして、大手町小学校や上越教育大学附属小学校で生活科や総合的な学習の時間の研究に取り組み、学んでみると、本当にダイナミックだと感じたのです。子供の学びが45分に留まらず、学校生活全体をつくっていくような話になったり、学びの場も学校の中だけに留まらず地域に広がっていったりします。私自身も子供の学びを通して、それまで知らなかった地域の人と出会い、教科指導だけでは知り合えない人たちとの関係が広がっていくなど、学びの広がりや深まりの大きさを感じました。何より子供自身の学びもダイナミックかつエネルギッシュで、揺るぎのない学びをしていると感じたわけです。

もちろん教科の学習でも、工夫した教材を用意すると子供は飛び付いてきて興味・関心を示し、問題解決に真剣に取り組んでいきます。しかし、放課後の帰り道や家に帰った後までそれをやり続けるかというと、さすがにそこまではいかないことが多いわけです。しかし、生活科や総合的な学習の時間では、家に帰ってもやり続けたり、休みの日にも積極的に調査に出たりするような学びが起こります。それは子供たち側の視点で見ると、言われて取り組むのではなく、自ら「ああしよう」「こうしよう」と思って追究し続けていく学びです。そのようなことを実感する中で、子供の学びを考えた時に、単一の教科だけでなく、子供の学び全体を見ていく必要があるのではないかと思うようになっていきました。

学習の内容で言えば、環境のことを学習する中で理科のことが出てきたり、社会のことも出てきたりします。あるいは、生きものを育てて命について考える時に、文学作品の話や文章表現について出てきたり、数値化された算数の話も出てきたりします。そのように教科横断的な学びが起こっているわけです。それは、単独の教科だけでは生まれにくいし見えてこないのですが、生活科や総合的な学習の時間を通してそういう本質的な学びの意味や価値が見えてきたわけです。そうした体験を通して、単一の教科だけでなく、カリキュラム全体に目を配ることの大切さに気付いていきました。

その頃から、縦の系列も見えてくるようになってきました。小学校の低学年の子供たちは、極めて(教科)横断的、総合的に学ぶわけです。そもそも子供たちは国語があるから学ぶ、算数があるから学ぶというのではなく、目の前におもしろい事物や現象があるから学んでいくわけだし、自分がやりたい活動があるからそれを通して学んでいくわけですよね。それを数理の世界から見れば算数だったり、言語の世界から見れば国語だったり、自然科学の世界から見れば理科だったりするわけです。幼児教育の中ではそういうことが起きています。

そういう幼児期の学びのありようである総合的なものが、学校教育の中でだんだん教科という形で分化していくわけですが、最終的には大学や実社会の中で再び学際的になっていくことが期待されているわけです。そうすると、幼児期や低学年の学びは、素直であり、純粋な学びの姿だと感じるようになっていきました。そうした経験を通して、よりいっそうカリキュラムの縦横を意識するようになっていったのです。そのような、私自身の経験があるがゆえに、「教科指導の専門性」に加えて「教育課程の専門性」という「2つの専門性が必要」だというわけなのです。

次回ではさらに、2つの専門性を身に付けていくための方法などについてお話をしていただきます。

【教師の悩みにピンポイント・アドバイス 田村学教授の「快答乱麻!」#7】は、こちらです。

執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之


「学習指導要領がめざす」子を育む!
『「ゴール→導入→展開」で考える「単元づくり・授業づくり」』
田村 学 著
ISBN 978-4-09-840226-7


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