バラバラに心を痛めていませんか 【赤坂真二「チーム学校」への挑戦 #21】
多様化、複雑化する学校の諸問題を解決するためには、教師一人の個別の対応ではなく、チームとしての対応が必須である。「チーム学校」を構築するために必要な学校管理職のリーダーシップとは何か? 赤坂真二先生が様々な視点から論じます。
第21回は、<バラバラに心を痛めていませんか>です。
執筆/上越教育大学教職大学院教授・赤坂真二
目次
悲鳴にも似た依頼の背後で
前回は、教師がストレスに晒されている現状とその背景要因を、時間を少しさかのぼって考察しました。もう少しこの問題に切り込んでいきたいと思います。
2018年度もスタートして、8か月が経ちました。学校、教育委員会、研究会を合わせて既に80近くの団体からお招きを受けて訪問させていただきました。私の専門が学級経営ということもあるからでしょうか、明確な方針を打ち立てて着々と研究を進めている学校がある一方で、「とにかく来てほしい」という悲鳴にも似たレベルのご依頼をいただくことがあります。話をうかがってみると「クラスが大変」だということです。そこで、具体的に何が大変かと聞くと、要領を得ない回答が返ってくることがあります。いやけっして把握できていないのではなく、問題が多岐にわたり過ぎていて整理ができないといった印象です。
A小学校は、農村部の小規模校です。高学年のあるクラスで、学級経営がうまくいかなくなり担任が交代しました。また、低学年のあるクラスは、春から子どもたちが落ち着かず、担任の大きな声がしばしば聞こえていたとのことでした。前者のクラスは級外職員が担任になり、落ち着きを取り戻しつつありました。訪問時の先生方の関心は、後者のクラスに移っていました。確かに数人の子どもたちは、机に伏したり不規則な発言をしたりしていました。しかし、その目は担任を見つめ、担任の話を聞き、授業にもよく参加していました。それでも担任と支援員の先生方は、姿勢よくピシッとした姿で授業を受けさせなくてはと思ったようです。そのため注意の回数が増え、他の子どもたちまで不安定になり、クラス全体が落ち着きを欠いたと思われます。ただ、担任と子どもたちの関係はできていてそれほど心配な状況には見えませんでした。小規模校において短期間に心配なクラスが複数出て、職員室全体に不安が広がってしまったようでした。
B小学校は、かつてある問題で新聞報道にも出たことがあり、訪れる前は「どんな状況なのか」、とても気になりました。依頼をくれた担当の先生の話を聞けば、報道された件について未だによく状況が理解されておらず、対策もなされていないとのことでした。聞けば聞くほど、荒んだ対立的な職員室が想像されました。
しかし、その予想は180度とまでは言いませんが、かなり異なっていました。先生方は、とても明るく快活で、グループワークもしっかり機能していました。ただ、そのグループワークからうかがい知ることができたのは、先生方の多忙感や戸惑いであり、また、頻発する教室のトラブルや予想できない子どもたちの行動や保護者の要求にヘトヘトになっている姿でした。それでも、先生方は研修で示された学級経営のポイントに従い、自分の学級経営を整理して取り組むべきことを決めていました。こんなに前向きな先生方が、報道に至った事案を起こした教師をどうしてフォローできなかったのか、残念でなりませんでした。
C中学校は、荒れているという評判でした。これもまたしかしですが、生徒たちはそれなりに落ち着いて学習をしていました。ただ、ちょっとしたことをきっかけに私語が始まり、やや混乱するクラスや、先生が真剣に怒っているにもかかわらず、にやにや笑いながらざわざわしゃべったりするクラスもありましたが、それらは授業の冒頭からそのような状況だったわけではありませんでした。普段の授業はけっこうな割合で成り立っていることが推察されました。また、生徒たちは意外なほどにと言っては失礼ですが、仲がよく和気藹々と過ごしていました。つまり、クラスの荒れは、教師と生徒の信頼関係が少し足りないことから起こっていることがわかりました。
懐かしい感覚
これらの学校を訪れてみて感じた共通の感覚があります。それは自分にとって懐かしくもあり、一方でほろ苦いものでもあります。そう、若き日の私のクラスのようです。若き日の私のクラスは問題が頻発していました。あちこちで火の手が上がりました。それを一つ一つ消そうとしていました。一つ消せば、別なところで火の手が上がります。それをいくら繰り返しても火事はなくなるどころか、火柱の数は増えるばかり。個別の消火に気を取られるうちに、家全体が燃えそうになっていました。
これらの学校に共通している学級経営における認識があります。それは、荒れることを警戒して、子どもたちが関わり合う時間をとらないことです。授業をアクティブ・ラーニング化する流れの中で「申し訳程度」に子ども同士の交流を取り入れていましたが、そんなもので今の子どもたちが繫がるわけがありません。一方で、こうした学校の中にも協働が機能し、楽しそうに学習しているクラスもありました。しかし、それは少数派です。学校全体が落ち着くためには、ほとんどのクラスにおいて交流や協働が標準装備されている必要があります。子どもたちが繫がらないことが、集団としてのまとまりを弱め、学級としての機能の低下を招くのです。つまり、子どもたちを繫げようとしないことは、学級経営戦略としては危険きわまりないのです。
私が本当に申し上げたいことはもうおわかりですね。先生方のしんどさは、先生方が繫がっていないことにあります。管理職の先生方然り、研究主任などのミドルリーダー然り、そして、学級担任然り。それぞれが、真面目に真剣に「心を痛めている」のですが、「バラバラに」なのです。「タフな学校」をつくるには、先生方の繫がりが必要なのです。
『総合教育技術』2018年12月号より
赤坂真二(あかさか・しんじ)
上越教育大学教職大学院教授
新潟県生まれ。19年間の小学校での学級担任を経て2008年4月より現職。現職教員や大学院生の指導を行う一方で、学校や自治体の教育改善のアドバイザーとして活動中。『スペシャリスト直伝! 学級を最高のチームにする極意』(明治図書出版)など著書多数。