【相談募集中】道徳の授業の言葉かけ、「そうだね」がダメだとしたらどうしたらいいですか?
小学校の道徳の授業における教師の言葉かけについて「みん教相談室」に相談が寄せられました。これに答えてくれたのは、連載「指導のパラダイムシフト〜斜め上から本質を考える〜」でもおなじみの、北海道公立小学校教諭・藤原友和先生。「そうだね」がダメな理由の考察とともに、いつでも適切な言葉を選べるようになる本質についてのお話をシェアします。
目次
Q. 道徳の授業で教師の「そうだね」という受け言葉はダメだと思うのですが、適切な言葉かけについて教えてください
道徳の授業にて、児童の発言に対し「そうだね(そう思うよね)」はダメだと気づきました。どのような言葉がけがてきせつでしょうか? (やややちゃん・20代男性)
A. 「今、何をしているのか」「次にどうしたいか」という指導の意図の達成に効果的な言葉を選ぶことが大切です
やややちゃん、こんにちは。
道徳の授業で、児童の発言に対して教師が「そうだね」と受けてはいけないと気づいたとのこと。
そうだね! そう思うよね! よく気が付きました!
あ、ふざけているわけではありません。スマホ閉じないで!
ちゃんと答えていきますよっ(笑)。
ではこのあと、2500字ほどお付き合いください。
1.「そうだね」は悪しき「正解主義」の象徴?
ええと、ご質問には「なぜダメなのか」については触れられていないので、一般的な話として進めていきます。
冒頭のやややちゃんの発言に対して、私が「そうだね」と受けた話の流れはOKであるにもかかわらず(ふざけた態度に見えたとか、上から目線に感じられるといった話はさておき)、なぜ道徳ではダメなのでしょうかね。
ちょっと考えてみましょう。
考え中。
考え中。
考え中。
(池田修先生風(※1))
……そう! その通りです!
「そうだね」という受け止め方には、「教師が正解を持っている」ことが含意されてしまっているのです。
ということは、授業の中で「そうだね(そう思うよね)」を多用することが、言ってみれば「教師が求める正解を答えてね」というメッセージとして機能してしまうからですね。
道徳の授業は、児童一人ひとりが価値についての考えを深めることをねらいとして行われます。ですから、教師が答えてほしそうな正解をあてるという正解到達主義の授業は戒めなければなりません。
おそらく、やややちゃんが気づいたというのはこういうことではないでしょうか。
それでは、どのような言葉かけが「適切」なのでしょうか(やややちゃんのひらがな表記に特に意図があったらごめんなさい)。次に具体的な授業場面を通して掘り下げてみたいと思います。
ここまでで半分です! どう? いける?
2. 授業展開に即して考える
前項では、「そうだね」は正解主義の道徳になってしまうので避けた方がよいことはわかりました。そこでどんな言葉かけが適切なのか、という相談内容でしたね。
それはつまるところ、「今、何をしているのか」と「次にどうしたいか」によると思われます。
例えば授業の冒頭で、「本当の友達って、どんな人のことかな」と問うたとしましょう。教材文を読む前に、生活体験を掘り起こし、価値についてどのような考えを持っているのかを確かめるための問いです。
児童がこの発問に対して「仲良く遊べる人」だとか、「時々喧嘩もするけど、なぜか一緒にいる人」などと答えたとしましょう。
これに対し教師が「そうだね」と受けてしまうと、その時点で「正解」が確定してしまい、授業は終了です。ジ・エンドです。それ以上、話が広がりませんし、教材文を読む前に問題意識が喚起されたりといったことも期待できません。
私だったらこんな展開になるかなぁ、ということをご紹介したいと思います。
それでは始めますよ。キーンコーンカーンコーン♪
T「本当の友達って、どんな人のことかな。」
C1「仲良く遊べる人。」
T「仲良く遊ぶのが条件ってこと?」
C1「うん。仲悪い人はそもそも友達じゃない。」
T「なるほど。確かにわざわざ仲が悪い人のことを『本当の友達』って言わないかもしれないね。」
C2「よく喧嘩するけど、なぜか一緒にいる人。」
T「喧嘩するんだ(笑)。本当の友達なのに喧嘩するの?」
C2「だって、『喧嘩するほど仲がいい』っていうよ。」
T「ああ、確かにそうやっていうよね。なんで喧嘩するの?」
C2「それくらい、本音でつき合っているってことだと思う。」
T「そうかぁ。本音でつき合うから喧嘩になることもあるんだね。」
T「今、何人かに教えてもらったんだけど、大体みんな本当の友達の条件って、『一緒にいると、何か自分にプラスがあること』って考えているみたいだね。そうじゃないって人いる? …なるほど。それじゃ、今から教材を読んでいくよ。『本当の友達』、出てくるかな?」
はい。太字で示したところにご注目ください。
いわゆる「問い返し」という授業技術です。
児童の発言の奥には、必ずその子なりの価値についての考えがあります。それを言語化して、「Aさんはこのように考えているんだ」「Bさんはこうなんだ」と明確にすることで、クラスの児童全員が、価値について考えるための材料にしていきます。
この時、正解かどうかは問題ではありません。
考えを深めるための「サンプル」を提供してもらっている、という感覚です。
ですから一つにまとめる必要はありませんし、教師の意図する方向に引っ張っていくこともしません。
例に示した授業冒頭の場面では、多種多様な価値についての考え方が提出され、このあとの授業展開の伏線となっていくことが大切です。ですから、なるべく児童の考えを聞くことができるように児童の発言を受け止め、問い返しています。
また、授業後には、授業の初めに考えていたことと比べて「このような考え方もあるんだな」「やっぱりこの考えは大切だったんだ」と、自己の変容に気づいたり、元々持っていた考えを確かなものにしたりといった自らの学びに気がつくための手がかりにもなります。
先ほど、「今、何をしているのか」と「次にどうしたいか」によりますよ、と言ったのはこういうことです。
ここまでで、やややちゃんの相談には答え終わっているのですが、最後に少しだけ補足させてください。
あ、お急ぎでしたらここで読み終わって大丈夫です。
3. 逆に「そうだね」でさらっと受ける場面もある
前項で紹介したのは授業の導入部です。そして、この後に教材を読んでいきます。そして、読み終えた後にどんな話だったかを簡単に共有します。
この時、「何が起こってた?」「どんなことで主人公は悩んでいたんだった?」と教材の内容を確認する際には「そうだね」で問題ないことはわかりますよね?
T「何が起こっていた?」
C「料金の不足している絵葉書(※2)が届いた。」
T「そうだね(板書する)。」
C「お母さんは言わない方がいいって言ったけど、お兄ちゃんは伝えた方がいいと言ったから、困った。」
T「そうだね。困ったよね(板書する)。結局どうしたんだろうね。」
なんでわざわざこんな補足をするのかというと、ですね。
やややちゃんは、「『そうだね』はダメと気づいた」とおっしゃるわけですけど、「『そうだね』がダメな場面・場合がある」と捉え直した方がいいのではないかなぁ、と感じたからなのです。
そして、やはりここでも「今、何をしているのか」と「次にどうしたいか」によるのではないかなぁ、と思います。
要は「指導の意図」です。
指導の意図に対して、選んだ言葉が教師の意図を達成するために効果的だったかどうか。
こう言う視点を持つと、授業の振り返りの精度が上がっていくのではないかなぁ、と老婆心ながら思いました。
やややちゃん、果てしない授業改善の旅の入り口にようこそ。
私も未だ尽きない旅路の途中です。お互い、健康には留意してぼちぼちやっていきましょう。
【引用・参考文献】
※1 池田修・藤原友和, 2022年, 「指導のパラダイムシフト〜斜め上から本質を考える〜【毎週木曜更新】」( https://kyoiku.sho.jp/special/99830/)
※2 「絵はがきと切手」, 『小学道徳4 はばたこう明日へ』, 教育出版
みん教相談室では、現場をよく知る教育技術協力者の先生や、各部門の専門家の方が、教育現場で日々奮闘する相談者様のお悩みに答えてくれています。ぜひ、お気軽にご相談ください。