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「過ち」を「改める」とは?〈後編〉能楽師・安田登の【能を知れば授業が変わる!】 第九幕

連載
能楽師・安田登の【能を知れば授業が変わる!】
「過ち」を「改める」とは?〈後編〉能楽師・安田登の【能を知れば授業が変わる!】 第九幕

後編の今回は、「過ち」を「改める」とき、子供がいやな気持になる指導は問題を悪化させるだけ。ではどうすればよいかという話です。高校教師から転身した筆者が、これまでになかった視点で能と教育の意外な関係性を全身全霊で解説します。
※本記事は、第九幕の後編です。

能楽師 安田 登 やすだのぼるプロフィール写真

執筆
能楽師 安田 登 やすだのぼる

下掛宝生流ワキ方能楽師。1956年、千葉県生まれ。高校時代、麻雀をきっかけに甲骨文字、中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師時代に能と出合う。ワキ方の重鎮、鏑木岑男師の謡に衝撃を受け、27歳で入門。能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演など国内外で活躍。『能 650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)他著書多数。

「過ち」を「改める」とき、子供がいやな気持になる指導は問題を悪化させる

前編〉では「過ち」とは何かということと、そしてそれを「改める」ときには、自分自身を打ってはいけないという話をしました。

これはもちろん児童に対してもです。

いまは児童を「打(ぶ)つ」という先生はほとんどいないと思いますが、児童の問題点を指摘したときに、その子がいやな気持ちになるような言い方、指導も打っているのと同じです。長い目で見れば、そのような指導はむしろ問題を悪化させることになります。

例えば、いつも遅刻する子、何度言っても忘れ物をする子、計算問題などでケアレスミスをする子。実はすべてかつての私です。そういう子にきつく言うことは問題を悪化させるというのは、私自身が身をもって体験しました。

その先生が怖い先生だったりすると、その先生が担任のときには問題が一時的になくなることもあります。しかし、先生が変わったとたんに、それがより大きな問題として噴出します。そういうときに「前の先生は指導力があった」などと言われますが、それは違います。

その先生は川を堰(せ)き止めただけです。川は堰き止められれば決壊します。治水の要は水の流れをよくすることです。人間もそうです。「指導力のある先生」のあとを受け継いだ先生が大変になるだけなのです。

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